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庄内協同ファ-ムだより 2001年12月 発行 No.81

すごい1年だったなーと思う今年もあとわずか。

代表理事 佐藤清夫

今年1年の協同ファームを振り返ってみます。近年暖冬のせいか、たいした雪もなく過ごしてきたのに、1月、2月の地吹雪はかなりの激しさでした。3月、組合員の作付け会議を拡大した生産者大会を催し、今年の庄内協同ファームの事業の大枠と方向付けが確認されました。6月、新加工場に引っ越し、事務所移転、7月には加工設備の移転と竣工祝賀会、竣工記念シンポジュウムを開催しました。その時にはたくさんの方々から励ましの言葉を頂き嬉しく思い、私達一人一人の決意が今まさに問われていく事になると思いました。

5月、6月は天候に恵まれ稲作や畑作物が順調に生育し、7月後半は気温が高く、ほとんどの作物の出荷が早まりました。8月になるとすごしやすい日が続き、だだちゃ豆は糖度の乗りも良く、後半にはアブラムシの発生が多く、唐辛子エキスを何度も散布しました。重い防除のホースを担いでの作業は辛いのですが有機栽培の為にとみんな頑張りました。9月の稲刈はカメムシの発生をとても心配しながらの作業ですが籾摺りの段階にならないと結果は判らなく、すくい取り調査をしたり地元の農協や生産組合組織に申し入れをしたりしました。
10月にはもう新加工場での餅つきが始まり、新しい環境での段取りや予測が呑込めずに苦労しました。11月12月には庄内協同ファーム餅製造の最盛期に入りました。
しかし世の中はとんでもない事件の連続で、アメリカの同時多発テロ事件は全世界の人々を震撼させ平和な世界が一夜にして崩れ去るのを目前にした事で、人間の存在そのものの在りようを考えさせられた事件でした。その影響で日本では倒産に追い込まれた企業が出ました。そしてアメリカのアフガニスタンに対するテロへの報復攻撃が始まりました。その報道をテレビで見ていると、人類の歩んできた道は進歩なのか後退なのか訳わからない気持ちと、悲しい気持ちになってしまいました。

そして今度は狂牛病(BSE)です。確かに食べる消費者の安全は守られなくてはならないのですが、後手後手に回った国の施策が牛を飼っている農家の苦しみを益々大きくしているのではと、苛立つだけでした。スーパーや生協では牛肉の販売高が急落したと嘆き生産者は風評被害があり、年を越す直前の今、泣くに泣けない状況に立たされていると思いますが、その責任は一体誰にあるのでしょうか。まさに日本経済の凋落と日本の政治体制の脆弱さが突出した年だったと思います。

そんな中でイチローと高橋尚子さんは日本人に夢を思い出させてくれたのではないでしょうか。救われる思いでした。自分を信じて日々の課題を克服し夢を達成する二人の生き方は、すがすがしい気持ちにさせてくれます。俺も頑張ろう、協同ファームも頑張ろうと。

今年もたくさんの協同ファームの加工品、農産物をご利用頂き本当に有難うございました。これからもどんな世の中になろうともこのような食べる人、作る人、まちびと、むらびとの良い関係を継続して頂きたいと思っています。身体に気をつけてお互い元気ですごしたいものです。よいお年を。

種を採る

鶴岡市 五十嵐良一

「基本的に稲は自家授粉をして種子を残すのだが、条件により花粉が数キロメートルも飛散し、他品種と交雑する場合があり、黒米の花粉が3km離れた地点で交雑し、ウルチ米種子の形質の中に10%程度認められたものがあり、又、モチ米の種子80数種調査のうち純粋種は23種のみ。」

先日開催された、「手をつなぐ無農薬、有機稲作農家」の全国交流集会「遺伝子組み替え育苗問題」分科会席上での報告です。br>
庄内協同ファームでは昨年より有機栽培の認証を受けた餅加工にも取り組みはじめました。私の有機栽培でわのもち60aも収量に課題は残したものの、42.5俵と27㎏、そして種籾用60㎏を残し、なんとか無事に収穫調整作業も終え、11月23日勤労感謝の日に例年どおりに「田の神あげ」をして家族で餅をつき喜びあいました。
翌日には、庄内協同ファームで稲作の栽培実績検討会を行い、有機栽培について種子消毒や育苗床土、育苗方法、そして合鴨水稲同時栽培、米ヌカボカシトロトロ層での栽培、米ヌカペレットでの除草、不耕起のトロトロ層紙マルチ栽培、有機肥料の肥効結果、食味値の分析結果など1年の成果を報告してもらい来年に向けての反省点、改善点、課題など話し合われまとめました。

私も春からの作付けに当たり課題を設けていました。もち米の有機栽培の種子を次年に備え自家採種してみるという事でした。JAS法では、採種も「有機栽培された種子を用いなければならないとあり、ただし書きがあって「通常の方法によって入手が困難な場合はこの限りではない」となっています。
しかし、何とか有機種子を自家採取したいと思い、昨年迄の種子消毒、温湯浸法57℃7分を60℃まであげ、浸種、催芽、播種を試しました。ところが、ひとめぼれ、はえぬきは、ほぼ完全に発芽したものの、でわのもちは8割に満たない程のまばらさで、催芽、播種のしなおしも考えましたが、なんとか田植が出来、収穫、そして採種にこぎつけました。

それでも、来年に向けての作付けは、細心の注意を払うつもりでも、ウルチ米の混入や、モチ米特有のウルチ米との交雑による「キセニア現象」の発現が心配です。br>
実は、平成5年の大冷害の年に「キセニア現象」という事で、でわのもちとはえぬきの出穂時期が重なり、交雑したモチ種子が農協より購入できなかった経験があります。
確かその時は、「逆塩水選」という形で、モチ種子をウルチ種子用の比重選を行い、浮いた籾を再び、低い比重で塩水選を行った記憶があります。あの時は隣県の他品種の種子を作付けした仲間もいました。ここ庄内では、例年になく早い地吹雪が舞い始めました。自然の摂理の中で思う様には歩めない、有機栽培の実際ですが仲間と共に、この場所で受けとめたいと思っています。


庄内協同ファ-ムだより 2001年11月 発行 No.80

新組合員の工藤広幸です

余目町   工藤 広幸

天気予報に雪だるまのマークがちらほら見え出し、本格的な冬を前に何かと気ぜわしい毎日を過ごしております。
鳥海山、月山は中腹まで雪で覆われ、田んぼには冬の使者、白鳥がえさを求めて、群れをなして飛来し晴天の日は素晴らしいコントラストを描いております。
今年から正組合員としてお世話になることになりました工藤広幸です。ナチュラルコープ横浜の皆様には、J.ファーマーズあまるめとしてササニシキを供給させて頂いてましたが、今年から庄内協同ファームを通して産直することになりましたので、今迄同様の御愛顧の程、宜しくお願いします。
私の経営内容を紹介します。

水田、自作地が5.1ha、受託地が6.0haで今年稲を作付したのが8.7ha。その内、庄内協同ファームに出荷する減農薬米が2.6ha(ササニシキ・ひとめぼれ)です。他に作業受託(耕起、代掻、田植、刈取)3.0ha、転作大豆が受託を含め4.0haでこれが稲作部門です。それに園特部門にハウスが650坪あまり、作っているものはトルコキキョウ、ストック、カスミソウ、それに3,000個の菌床しいたけ栽培です。

今年の作型は、カスミソウが田植えの終わった5月末から6月始めに出荷、6月下旬からトルコキキョウが現在まで、ストックが10月末から来年の3月まで、しいたけが11月末から4月までと1年中稲作とあまりかち合わないように出荷の栽培体制としております。
妻と二人、忙しい時には、シルバー人材やパートを雇用しながら毎日、『農業は金はなくてもリストラもなくていいの』と話しながら働いております。
11月始めに北九州市で開催された全国認定農業者サミットに参加してきました。全国各地から2000人の農業者が集い「くらしといのちを考える国際化の中の農業経営」をテーマに基調講演と分科会討議が行われました。農産物輸入問題(セーフガード、WTO)、狂牛病、コメ政策の見直し問題等、多岐にわたり日本農業の直面してる課題を考えさせられました。
国際化の中で農業も工業製品と同じで、大企業が地球規模で原料調達、加工システムを作っており自動車産業と変わらない状態になっている。東アジア(日・韓中)はいまや最大の農産物輸入市場に成長し、消費者がユニクロ戦略になびいてしまえば日本農業は生き残れないと講演があり、その対策としては生産者と消費者が互いに理解しえることが大事、顔の見える交流を通し消費者の安全を考えた農業をしている生産者との結びつきが重要との事でした。
私もなるべく農薬を使わないで米を作り、自然を大切に環境に負荷をかけない農業を目指し頑張りたいと思います。皆さんの食卓が家族の笑顔でつつまれる事をいつも考え日々の農作業に精を出しております。安全と安心、おいしさを求めて米を作り続けますのでどうぞ一杯といわず、二杯、三杯たくさんご飯を食べてください。

スケッチ

広報事務局 志藤 知子

藤島町の中心街を抜け、鳥海山の雄姿を望みながら少し行くと、我が新工場、庄内協同ファームの建物が見えてくる。グレーの外壁に赤い屋根、黒地に白抜きの看板,組合員が再びの夢をかけ構えた新工場である。
11月19日、私が向かったこの日、フルメンバーに近い季節従業員を迎え、夏の間は広々としていた駐車場には、所狭しと車が並んでいた。出社人数は45名。餅製造もいよいよ最盛期に入る。
始業5分前の朝礼、迎える人も迎えられる人も少し緊張ぎみのすべり出し。ロッカールームで作業着に着替え、7項目のチェック表に沿って、着衣の点検をする。各々の配置場所へ入ると、手洗いをし、更にアルコールで消毒を済ませ、作業開始となる。
人員の配置が無事に済み、各々の場所でスムーズに動き出した頃、餅の製造手順に添って工場の中を歩いてみた。
まずは事務室から一番遠い精米センター。各組合員が運び込んだうるち米、もち米が整然と積んであり、大きな機械の前で、担当の組合員が精米作業をしていた。

原材料が積んであるストックヤードを素通りして洗米、蒸米室へと向かう。
自動洗米機2台と、蒸し機が3台あり蒸し器からはあったかそうな湯気が立ちのぼっている。蒸し機から蒸し米が壁を通して次室へ押し出されてゆく。
壁の裏側へと、蒸し米を追いかけていくとそこは餅製造室。餅つき機が5台並んでいた。隣りあった2台で交互について、1ラインなのだそうだ。1台は、有事の時の備え、4台が休みなく動く頃は、餅つきも山場といったところ。

 

この時間は丸もちを製造していた。隣室から押し出されてきた蒸し米を計量し、杵つきのうすへ移し、つくこと1分30秒~2分。水を1滴も加えずもち米の水分だけでつく。つきあげた餅は、すぐに丸もち製造機へ入れられ、丸い回転板へ、球状の餅がポトンポトンとリズミカルに落ちてくる。それをまた、リズミカルに餅板に並べる人がいて、板を取る人がいて、棚に並べる人がいて、ラインに並んだ9人が各々の持ち場で1定のリズムを刻みながら、滞りなく仕事は流れてゆく。棚が餅で一杯になると冷蔵庫へと運ばれ、そこを抜けるとパック室へ出る。

餅製造室が男の持ち場なら、さしずめ、ここは女の戦場という所か。今年もベテラン陣の手の速さに焦りまくる新人さんが出るのかも。肩こりにはくれぐれもご用心。手詰めの作業は“慣れての業”。素早くきれいに形良く袋詰めができて1人前。1週間後、10日後の彼女らの仕事ぶりに乞うご期待。パックされた餅は金属探知機をかけた後に、シーラーをし、完成。製品はローラーにかけられ、次室の出荷スペースへ。いよいよ出荷の為のダンボール詰め。見落としがないか検品をしながらの箱詰めも最終チェックだけに気が抜けない作業だ。
ひと通りの作業風景を見せてもらって、事務室に戻ると、南向きの部屋は、晩秋の柔らかな日差しを受けて、ストーブもスイッチOFF。組合員が届けたストックの甘い香りが漂っている。
去年までの狭い作業場でひしめき合って働いていた喧騒から抜け出して、この広い場所での餅製造。身の丈に余る借財を背負っての再スタートだけに、人員を切り盛りする慌しさの中に緊張感がみなぎっている。組合員の意気込みに、従業員の頑張りがうまくついてきて、大きな力となりますように、と願わずにはいられない。
小春日和の帰路、晩秋の優しい陽気はそれだけで人の心を幸せにしてくれる。すっかりを雪化粧した鳥海山と月山が揺るぎないその姿で“頑張れ!!”と私達の行く手を応援してくれているように思えた。
前途、順風満帆なれ!!


庄内協同ファ-ムだより 2001年10月 No.79

こんにちは、石垣憲一です

余目町   石垣 憲一

私は5年程前から庄内協同ファームに準組合員として指導を受けたり、圃場見学に参加したり、今年から正組合員になりました。米作りを主にし、ハウス6棟にスットクとトルコギキョウ、減農薬・無袋の桃、5000個の菌床椎茸栽培、ずいき・アスパラ菜など野菜を少々作っています。
 土にまみれて働く両親の背中で育ち、「作物を作らんとすれば根を作れ、根を作らんとすれば土を作れ」と教えられ、長年、土作にこだわって農業をやってきました。特に、昭和の終わり頃に、化学肥料や農薬による土の変化に気づきました。また、我々の作る農産物が多くに人々の健康を左右する事を重く考えるようになり、平成元年から有機肥料・減農薬栽培に転換しました。
自然を相手に有機肥料100%になるまで、沢山の失敗を繰り返しました。長い間、有機栽培の難しさの克服と同時に良い有機肥料を求め、ようやく3年前から、なんとかやれそうな方法と納得のいく肥料を手にする事が出来ました。
農法については、木酢液(木炭を作るときに出る液)の使用に切り換えました。木酢液は薬ではないので、殺虫能力はありませんが、害虫や病気を近付けず、作物の成長を促し、床をよくする働きなど、研究者によって報告されています。農薬のような威力の無い分は、田圃を見回り、草刈、バイド(田圃の中に水路を作る)、水加減の調節など、人手で補い、作物と会話をし、一喜一憂しながら育てています。
 しかし、頑張っても自然の猛威には勝てず、一昨年はカメムシの害をかなり受けてしまいました。それでも沢山の方が、農薬で汚染された米より安心だと喜んで食べてくださいました。そんなお客様たちに助けられ励まされ幸せに涙が流れました。
これからも、よい環境の中で育て、安心して美味しく食べられる作物作りにこだわった農業をやっていこうと思っています。

量より質の楽しい農業を

稲の刈り取りを前に、実行組合の坪刈りが行なわれました。どこの集落でも毎年行なうもので、収量を競う行事です。自分の田圃の中で最もよく出来たところ、ここぞという自慢の場所を指定し、みんなで一坪(3.3㎡)の稲を刈取、収量を競い合うのです。今年も収量では最下位でした。平均収量630kgのところ、我が家は555kgでした。天候に恵まれたけれども、去年と同じでした。でも、籾の手触りは「さらさら」し「ビシッ」として稔り方はよく出来たようです。

私も以前はいつも上位に入賞し、何度も優勝しました。収量では負けまいと頑張り、工夫もし、自慢でもありました。ところが、安全で美味しい米を作ることが大事である事に気付き、栽培方法を変えてからは、優勝も上位入賞にも関係のない話になってしまいました。農薬・化学肥料を使用しない農業を目指すようになってから、農業が楽しくなりました。春、有機肥料を投入し、稲が必要な時だけ吸収し、木酢液で病気や害虫をよせつけないようにし、水のかけ具合で稲の生育を調整するやり方は自分に合っているようです。喜んでくださるお客さんの声はいっそう意欲を膨らませてくれます。

楽しい農業を後継者に

私が農業を始めた頃は、職業として夢も希望ももてる魅力がありました。ところが、米あまり、減反、米価安、輸入作物増大など問題が山積し、農業離れがすごいスピードで進んでいます。多くの若者は、外の産業に職を求めて集落から出て行きます。でも、視野を広げてみれば、食料は不足しているし、経済性や見た目を優先する現在の食料生産など問題だし、農業が担わなければならない大事な役割を考えた時、やりがいのある職業としてやっていける仕事だと思います。「農業のやりがいと楽しさを見いだし、それを後継者に伝えたい」と願って、息子を後継者に育てたいと思っています。
こんな石垣憲一をよろしくお願いいたします。

スケッチ

余目町 富樫裕子

庭の柿の実も色づき、鳥たちがさかんについばんでいます。庄内柿は渋柿のはずなのに、木の上の方はすっかり渋が抜けて、おいしくなっているのでしょうか。昨年の今頃は、舅が毎日腰に籠をぶら下げて柿もぎに精を出し、「裕子。今年のおまえの贈る分はどれくれだ!!」と私の友達の分も作っておいてくれた事を想い出します。今年の5月に、3ヶ月あまりの闘病生活を送った後、突然いった義父。あまりの忙しさにゆっくり悲しんでいる暇なんてなかったけど、私の好物のぶどうの品種もちゃんと覚えていて、食べきれないほど買ってきてくれたり、妙に細かい事まで気がついて、孫である2人の娘達をとてもかわいがってくれました。雪が降ってもう少し心にゆとりが出来たら義父と暮らした25年の月日を想い出したいと思います。

夫の担当の稲の方は、終盤にさしかかり、後は倉の中でお米にするばかり。私の担当のスットクの花は明日が初出荷で、これからが本番です。お互いに手伝いながら、今年もお正月まで忙しい日が続きそうです。


庄内協同ファ-ムだより 2001年9月 発行 No.78

農業に携わって…

余目町   今野 裕之

 今度新しく組合員になった、今野裕之です。稲作を中心に、大豆、野菜を少し作っています。稲は、約3.5ha作っていて、そのうち2.3haが有機栽培(転換期間中)で、残りが除草剤1回のみの減農薬減化学肥料栽培です。
有機は、種子消毒から全て農薬や化学肥料などを使わないので特に育苗段階での失敗が多く、今年も少し失敗しました。

 農業は「自然と共生」しているんです。人間がどうあがいても自然にはかないません。人の考えで、虫が多い時には「あれ」、生育が悪い時には「それ」、生育過剰の時には「これ」といった具合に色々な農薬や化学肥料などを使うのですが、使用直後はそれなりに効いた様に見えても、結局は同じになる様に私の目には見えます。もう少し自然にまかせ、農薬や化学肥料に頼らない農業をみんながしていければなあと思うのです。

 そういう私も農業をやり始めてすぐから有機栽培はしていません。最初は、慣行栽培で農薬も化学肥料も使っていました。私の友達がふとした事から合鴨農法を始めました。田んぼに鴨を放し、虫を食べてもらい、足で土をかき回し草が生えてこないようにする。かわいく、いくら見ていてもあきませんでした。

 「こんなおもしろい農法があったのか、よーし自分もやってみよう」と思いました。実際にやってみると、鴨たちはかわいく、田んぼのいろんな所をつつき虫たちを食べに元気よく泳ぎ回るのでした。しかし、鴨たちは平均的に田んぼの隅をきれいに泳いではくれません。ですから所々草が生えてきます。その時は鴨たちと一緒に田んぼに入って草取りをします。合鴨農法をやり6年目になるのですが、やっと土が出来てきたのかなあと思います。前より有機肥料の量も少なくて済みますし、稲も丈夫に育つ感じがします。

 人は、食べなければ生きていけません。そして、健康に過ごせるように色々な物を食べます。そうして長生きできるのだと思います。「こんなうまいものをもっと食べたい」と皆様から思えるものを、まだまだ未熟な私ですが作っていきたいと思いますので、よろしくお願いします。

スケッチ

三川町  菅原 すみ

9月にしては朝晩肌寒いこの頃、鳥海山は例年より3週間早い初冠雪となり、秋が駆け足で通り過ぎて行くように感じる。
9月11日に始まった稲刈りも、もう少しを残すだけとなった。ザクッザクッ、コンバインが作業し易いように田圃の隅を鎌で手刈りをしている音だ。今年は穂が重い、籾もムチッとしていて稔り具合もいいぞ。
コンバインは30aを50分で刈り終え大きな袋に入った籾がライスセンタ-に運ばれていく。乾燥、調整作業の3日後お米が出来あがった。1年間の米作りが数量と品質に表れる緊張の時。出来たての新米を持って来て食してみる事にする。

水加減は新米も古米も同じ量でいい。昔は稲を自然乾燥にしていたので玄米に含まれる水分が多く、新米を炊く水の量は減らすと言われていたが、現在は機械乾燥で水分は一定に仕上ている。又、米の保管も湿度を一定にして保管しているので新米も古米も同じなのだ。炊飯器がシュ-シュ-音をたて、2人と160羽の合鴨達で頑張った無農薬栽培のひとめぼれが、ごはんとなるクライマックスを迎えようとしている。家中に広がる幸せな匂い。

鴨達は、稲には害虫となるドロオイ虫、イネミズゾウ虫等を食べてくれて、一生懸命に動き回り土をかき混ぜるので草も生えにくかった。8月に入ると日中は暑く、朝晩は涼しい日が多かったのでイモチ病の発生もなく、台風もそれて自然が大きく味方をしてくれた。
8月末、稲穂が頭を垂れ始めるとヒエが稲よりずっと背丈を伸ばし、黒い種をつけ、あっちこちに目立ってくる。鴨達が除草しきれなかった株ヒエだ。

無農薬で稲を栽培するという事は周囲の人に格段の配慮をしなければならない。害虫の発生源になってはいけないし薬剤を使わない分、気を使い時間を使い、圃場を見守り、それなりの手段をこうじなければならない。ヒエのように一目瞭然の雑草だらけにしておくというのは、いかにその圃場の管理が行き届いていないかを示しているようなものだといつも夫と口論になる。
除草剤を使っていないからといってこの黄金色の美しい風景の邪魔はしたくない。ともかく最後の闘いだ。全ての田圃のヒエ取りを終え、稲刈りに臨んだ。

ピ-ピ-、ごはんが炊きあがった合図だ。最後の仕上げ、蒸らしを終え蓋をとる。

プ-ンと甘い新米の香り、ツヤがあり、ごはん粒が立っている。

シャリ切りをする要領で混ぜて仏前に供えるごはんを盛り、我慢出来ずちょっと味見、

「…‥おいしい」。1年の思いと共にのみこんだ。

夕食時、夫は雄弁だった。わかるわかる、安堵と喜びの束の間のひととき。

大禍もなく終えられた今年のお米作り。自然に感謝です


庄内協同ファ-ムだより 2001年8月 発行 No.77

スケッチ

志藤知子 藤島町

 うだるような夏も終盤を迎える8月の今頃。我が家には、毎年、アジアの各地から農業をそれもオーガニックを心ざす青年達が研修にやってくる。栃木県にあるアジア学院の学生として、春から日本に渡ってきた彼らは、片言の日本語で、片言しか英語のできない我が家にショートステイする。

 家の中の間取りの紹介、家族の紹介、そして仕事の手順などは、目で理解できることも多く、さほど不自由を感じないで、何とか意志を通じ合うことができる。多少の単語で何とか頑張ることができる。それでも普段使わない英語は、一度覚えたつもりでも、すぐに頭の中から消えてしまっていて、1つの質問をするのに、つい頭の中で文章を組み立ててからおもむろに話しかけることになるので、沈黙の時間が流れてしまう。

 農業のことに関する専門的な質問などには、こちらもつい手間どってしまって、夫と四苦八苦。手元にあるものを並べて説明しようとしたり、ジェスチャーで補ったり、暑いさなかますます汗が出てしまう有様である。通訳のいない国際交流は、本当に冷や汗ものである。

 それでも、今年インドからやってきたカペさんと、ミャンマーのサイヌーンさんは一生懸命、枝豆の作業を手伝ってくれる。朝は、五時半で”グッド・モーニング”と元気よく前晩の打ち合わせ通りに起きてきてくれるし、ひと通り仕事を説明すれば、自分のポジションにこだわらず、次々と滞っている部分に手を貸してくれる。言葉は、すっきりと通じなくても、彼らの実直さは見てとれる。

 カペさんの作業帽は、麦わら帽子、サイヌーンさんは、一枚の布をかぶる。アラハトさんのスタイルに似ていますね。といったら、にっこり笑った。タイに近い地方は、皆、こういうふうにかぶるのだと教えてくれた。

 二人とも既婚で、国に残してきた家族の写真を大事そうに抱えている。日本に比べれば、まだまだ貧しい自分の国の、これからの農業を模索し、少しでも、日本の技術を持ち帰ろうとする彼らの意欲には、毎年のことながら感心させられる。

 言葉が通じたら、もっともっと楽しい時間をすごせたのに、というカペさんの言葉通り、言葉の違うもどかしさはあったものの、通訳を頼らずにお互いを理解しようとした時間も又、私達にとっては貴重な体験でもあったような気がする。

 でも、せっかくのホームスティ。聞きたいことがたくさんあって今夜は、通訳さんがやってくる。きのうと、きょう、我が家で仕事をして一緒に食事をして、さぁ、今晩はどんな質問が飛びかうやら。・・・・その前に、夕食は何にしようかとお昼休みの今、これを書きながら考えている。


庄内協同ファ-ムだより 2001年7月 発行 No.76

[1]に家族。[2]に仕事。

小野寺 美佐子 鶴岡市

 澄み切った青空にサーッとひと刷毛はいたような白い雲が、真夏になったことを思わせます。いつの間にか短かった私の髪は肩まで伸び、顔や腕はまるで海に行ったかのように真っ黒に焼けてしまいました。素顔に自身のない私は化粧をしないで出掛けることなどなかったのに、笑顔こそ最高の化粧とばかりに、しみだらけの素顔で髪振り乱し動き回っていたのでした。

そんな自分の変化に気づきもしないほど、忙しい毎日でした。

私は仕事が好きで、自分の力量も顧みずあれこれと手を出してしまいます。そして、それなりに結果が出る面白さについのめり込んでしまいます。また駄目なら駄目でやっぱり闘志を燃やしてしまうのです。こんな私の性格に、ここ二ヶ月ばかり我が家の家庭生活はなかったも同然でした。

“私は私に問いました。”こんな生活でいいのかと。私が望んでいたものは穏やかで心豊かな暮らしのはずだったのに、漕げば漕ぐほど岸から遠ざかるような焦りを感じながら、思いは日々の忙しさに埋没してしまいました。

そんなある日私は体に不調を覚えました。この痛みには覚えがあります。5年前に研修先で緊急入院したときに似ています。「ヤバイ!」もうすぐ枝豆大戦争が始まるのに、私が倒れたら誰が雇用している人の管理をするの?誰が夫のサポートをするの?今は合宿でいない子供たちももうすぐ帰ってきます。あんまり期待してはいないだろうけど、母の手料理を食べたがっている家族の食事の支度は誰がするの?私は思い切って半日の休みをとることにしました。

暑い日でした。開け放した窓からは私の体をやさしく擦ってくれるかのような風が吹き流れてゆきました。

休息は大切ですね。4時間ほどの深い眠りから覚めた私はまだ痛みは感じるものの、やる気がふつふつと沸いてくるのでした。思うことはやっぱり仕事の事でした。いかん!いかん!見かけによらず華奢の私。認めたくはないけれど更年期もかかっています。今大事にしないとこれからの人生をつまらなくしちゃう。

[1]に休息。[2]に仕事。本当は[2]に家族のほうがいいのだろうけれど、やっぱり仕事がきてしまいます。ごめんなさい。

しばらくがんばって、[1]を家族にします。でもやっぱり2番目は仕事にさせて下さい。休息は[3]にして少しは身体を労しますから。


庄内協同ファ-ムだより 2001年5月 発行 No.75

いま新たなスタートラインに立っている

代表理事 佐藤清夫

4月中旬頃鶴岡公園の桜の開花も一気に進み、葉桜になってしまった夜、花見を兼ねた「ミ ニゼミ」が開かれた。
テーマは「環境問題の解決に果たす市民運動の役割」(水俣病の問題を 中心として)」というタイトルで、現在岩手大学大学院連合農学研究科の学生から発表しても らった。アグリフォーラム鶴岡の会員、山形大学農学部の先生と学生、団体職員あわせて2 0名の参加者で行われた。

食べ物を食べる人がいる限り農家は必要とされるんだという前提が今崩れようとしている。中国では、日本にいて想像も出来ないほどの規模の野菜が日本向けに作付けされているというし、韓国からも有機農産物の輸出の準備が着々と進んでいるという。遅かれ早かれ数年後には日本に輸入野菜が溢れる事になる。

日本農民が、かつて味わった事のない大きな変化が待ち受けている。 日本の経済はいまだに回復せずにいるし、まだ何年も回復できないだろうという人もいる。しかしそのほとんどの原因に絡んでいるのは日本人自身なのだ。 ユニクロが輸入農産物、輸入食品の販売に手を出すそうだ。農産物の開発輸入は商社の仕事だし、経済自体をここまで疲弊させたのも日本人自身がやったことだ。
自分で首を絞めてきたのだ。出口なんかあるわけがないし、とうとうここまで来てしまった。農家は農家でどうしたら生き残れるか必死で考えなければならなくなっている。
 そんな中、全国津々浦々で直売所が元気だ。そこに集まる農家の顔は活気に満ちている。そこには3つの理由があるようだ。新鮮で、安く、顔が見える関係。この3つ、これは究極のセールスポイントなのだ。まさに庄内協同ファームが目指した当初の産直の理念がそこにはあるようだ。そこにもう1つ安心安全のキーワードを付け加えていこうとするのが庄内協同ファームの今の方向であり、ますます元気の出る産直提携を目指していこうと思っている。

そこで生協や宅配システムなどの流通にただ頼るのではなく積極的に商品を魅力あるものにする努力をするべきなのだと思い、認証取得に向かい組合員の努力により有機認証を取る事もできたし、有機栽培に向かっての技術はいまだに脆弱な段階でしかないけれども、ほんの少しの進展があった。まさにここに道は示されているのだと思う。 もっとも困難な道に見えるが、時代とともに食べ物に求められる価値は変わる。農家としては楽しい話ではないがその求められる価値がどんなに変わろうともその素材の価値を生み出せるのは農家以外にないのだ。流通でも国でもない。 自分たちの新しい工場がいま目の前にある。どうしようが自分たちの思うがままだ。

全て自分たちの責任の中にある。しかし自分たちだけで何かができるわけではない。庄内協同ファームは、いかに地域の人たちを巻き込んでいけるかにかかってくると今更ながら考えている。地元の農協も町も一緒になって庄内協同ファームと消費者を含んで、ここ庄内の地域をおこがましくも何とか楽しいものにしたいと微力を持ってスタートラインに着いている。これからもより一層の産直提携をお願いします。

農業初心者、三年目にして思う事

余目町  富樫 紀子

今年4月から、ついにというべきか、とうとうというべきか、我が家に就農することになりました。4年間の大学生活を北海道で過ごし、農業の勉強と称して、長野の八ヶ岳にある農業の学校でも1年間過ごさせてもらいました。  この5年間で農業技術を習得出来たかというと、答えは限りなくNoに近く、サークル活動や趣味、友達づくりに励み、どちらかといえば、就農までのモラトリアムのような存在でした。

でも、この一見我が家の農業経営にはなんら関係なさそうな時間のなかで、私はたくさんの農業に夢を持った人たちに出会い、様々な考え方を知り、後を継がなくてはならないという、狭く重荷であった農業という存在が、無限の可能性が広がっている世界だったのだとあらためて感じることが出来ました。家を継がなければならず、自分に職業選択の自由がないことが、いやでいやでたまらなかったけれど、非農家で農業を目指している友達に、「のりちゃんは土地もハウスも機械もみんな揃っていて、うらやましいなあ」といわれ、農業をやりたい人間が農家の生まれということは、実はすごくラッキーなことでは!?と思えたことは、かなり目からウロコでした。

だから、遊んでばっかりいたことも一応役には立ってるんだと思うよ、父さん。(いいわけ)  完全なる田園生活を始めて、まだ数ヶ月ですが、全然悪くないなあと今は思っているところです。蛙やイモリを捕まえたり、ヨモギを摘んでだんごをつくったり、畦道に生える桑の実を集めたり、カラスに植えたばかりの苗が引っこ抜かれたといってはくやしがったり、晴れた日には田んぼを渡る風に吹かれ、流れていく雲を眺めたり、そんな農業のもつ時間の流れや、自然の変化が優しくて、面白くて、楽しいです。

今年、5月に祖父が亡くなりました。私に最もプレッシャーをかけ、そして、私が就農することを最も待ち望んでいたのが祖父でした。祖父が倒れた時には、もう手遅れなほどにガンがひろがり、日ごとに悪化していくのがわかりました。痛み止めのモルヒネの量がどんどん多くなり、だんだんと意識が朦朧としていくなかで、祖父は枕もとに私を呼び、はっきりとこう言いました。「紀子、夢を持で。夢を持たなくなったら農業はつぶれる」と。祖父は私に、最期の最後に一番大切なことを教えてくれました。農業で生活を支えていくということは、簡単なことではないです。農産物の価格は決して高いとは言えないし、市場や天候に常に左右され、輸入農産物にも押され気味です。どんな時代でも、農業はいつも厳しい状況にあったんだけれど、そんな中で、曽祖父は田んぼの開拓に、祖父は酪農に、そして、父たちはこの庄内協同ファームという加工、産直組織に夢を託してきたんだと思います。

さて、私はこれからどんな夢に向かっていこうかなあ。今、ぼんやりと考えているのは、観光農園です。農作物と作っている人と田舎の自然を一緒に味わえるような、自分や自分の周りの人たち、地域の人、都会の人、みんながゆったりと雲を眺め、風に吹かれ、幸せな気持ちになって帰っていけるような、そんな場所を創りたいです。ウ~ン頑張るぞー  とりあえず、明日から早起きすることからはじめます。ハイ。

農業初心者、三年目にして思う事

鶴岡市  冨樫俊悦

早いもので就農して三年目に突入してしまいました。本当に周りの人たちに助けられっぱなしの二年間でした。就農当初はまったく何もわからず頭だけで物事を考えていて脳みそがパンクしていましたが、最近では何となく流れがつかめてきて頭を使わない日々が続いています。 このままではボケるかもと思うのですが、逆に頭を使わないでいると様々なものが直接心に入ってくるような気もします。

やわらかな土の香り、畦に咲く色とりどりの花々、暖かい陽光・・・。 夕暮れ時は、しばしの間仕事の手を休めて空を仰ぐ幸せタイム。こんなことばかりしていると、田んぼではヒエがグングン育ち、畑では虫たちがバリバリとブロッコリーの葉っぱを食べていたりしていて、それでまた仕事に追われてしまうのですが、それもしょうがありません。 農業技術についても周りの人達に教えてもらう事が多いです。肥料のやり方ひとつにしても一塊で施したり全面に散布したり、施す時期や肥料の種類などなど様々なことが絡み合ってその作物に一番合うやり方ができていて、実験と失敗を繰り返し道筋を作ってきた先輩農家達の努力に『こりゃー凄いなー』と感服するばかりです。

自分も作物を観察してどの肥料をどれだけほしがっているのかわかるように、作物と話せる農家になりたいものです。 ところで、就農するとき一つ自分で決めたことがあったのですが、最近それを忘れがちになってしまいました。それは、『金を稼ぐためだけの農業はしない』ということだったのですが、お金大好きの私としては私欲物欲に走ってしまいやすいので、野菜が金に見えてきがちでした。当然お金は必要だし大切なものであることはわかっています。しかし、その先で何が出来るかということを常に考えていたいし、少しでも実行に移すようにしていこうと思っています。

この前、幼稚園の園児たちが我が家の田んぼで田植えをしました。泥の中に素足を突っ込んだ園児たちはキャッキャッと楽しそうにはしゃいでいて野生のサルのようでした。見ている自分も楽しくなって、教える側だったはずが教えることなど何も出来ずに逆に多くのことを教えられた気がしました。 何年先になるかわかりませんが、将来は農業の喜びを分かち合える仲間たちと農業共同体のようなものを作ってみたいと思っています。農業と日々の暮らしがそのままで芸術であるような、自給自足をしながらも外に向かって大きく開いているような、そんな共同体が夢です。

6年目に入って…

藤島町 職員 佐藤司

2001年6月、庄内協同ファ-ムが引っ越して間もなくした頃、いつも通り昼休みをしていたら従業員の人に「司君今年で6年目だのー」と言われ、そうかもう5年も経ったのかーと思ったのと同時に、今までの事、そしてこれからの事を考えていた。 高校を卒業と同時に庄内協同ファームに勤めて今年の4月で6年目に入った。高校の授業の中でパソコンの授業が多く、また農業高校だった為、農業の授業もすること があり、高校3年の就職活動では、この2つの勉強が生かせる仕事がないかと探していました。
そんな中ちょうど庄内協同ファームを知り、受験したところ採用され現在にいたっています。 仕事の内容としては、県外との取引を多くしている為、荷造りをして宅急便で送る発送作業や規格書などを作成する営業的な仕事を主にしていますが、今の時期人手が少ない為、時には製造に入る事もあります。

庄内協同ファームの取引先は遠い為、なかなか消費者の方々とあまり交流する機会が少ないのですが、数年前、東京の生協さんに1週間、名古屋の生協さんに1週間と研修に行く機会があり、その研修の中で配送員の方と一緒に、配送の車に乗って実際に消費者の方々に商品を届けるという経験をする事ができました。その時1人の消費者の方と話ができ、話をしたところ「商品が届くのをすごく楽しみにしているのよー」と笑顔で答えてくれました。

思い出すと庄内協同ファームに入った時、組合員の人達からよく聞かされたのが「顔の見える関係をずっと作ってきたし、これからも作っていきたいなやのー」と言われ最初は何を言っているのかわからなかったけれど、その時初めて、組合員の人達に聞かされた話の内容が理解出来たのと同時に、大切なことだと思いました。今でもその消費者の方との会話をはっきり想い出す事が出来ます。

庄内協同ファームは、餅の加工が中心なので年末にはたくさんの従業員の人達が働きにきます。中には12月だけしかこない人もいます。そうした人たちとは今までは、その時だけの付き合いや、話をしたことのない従業員の人がほとんどでした。しかし、これからはそういう人達といろいろな話をして、いい関係を作りたいです。また従業員だけといい関係を作るのではなく、原料を作っている生産者の人とも、もっともっと話をして関係を今より深めていきたいです。

そして庄内協同ファームの中でもいい関係を作り、その仲間たちと共に協力して消費者の方々に安全でおいしい農産物、加工品を届けたいと思います。 6年目に入り責任ある仕事も増え、新しい仕事に気をとられ日々の仕事が雑になりそうな時もありますが、そんな時はあの消費者の方の「商品が届くのをすごく楽しみにしているのよー」と言ってくれたあの笑顔を想い出し、これからも荷造りや、規格書の作成、もちの製造を続けていきたいです。

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夢を持ちたい

三川町 職員 今野昭史

小さい頃、私は農業が嫌いだった。中学くらいまで農業の手伝いをしていたが、休みの日など友達が遊んでいるときに限って手伝わされたのが嫌で、大人になったら絶対農業はやらないと決め込んでいた。当然のことながら、進路は農業ではないものを選んだ。私が選んだのは水産業。何故それを選んだのかは割愛させてもらうが、私は故郷を離れ、鹿児島で真珠養殖をやっていた。しかし、そこの会社が倒産して、私は故郷へ帰ることとなった。

故郷に帰ってきて10ヶ月ほどぶらぶらしていた。仕事もそれほど真剣には探してはいなかった。ある日職安に行ったら、庄内協同ファームの採用案内があった。自分の家の近くにそんなところがあるとは思いもしなかった。なんとなく気にはなったが、もっと条件のいい仕事があるだろうと思って決断までは至らなかった。そうこうしているうちに、実家での肩身も狭くなって、働かない事にはどうにもならなくなった。職安に行って相談してみると庄内協同ファームを紹介された。私はそこを受けてみようと思い、そして採用された。 なぜ嫌いな農業にかかわる仕事をしようとしたか。それは農業に関わるのが運命なのではないかと思うようになったからだ。

私は夢を持っていない。農業が嫌いで選んだ水産業ももうする気はなかった。夢を持っていないと仕事を探そうとしても何を探せばいいのかわからなくなる。となると、自分が今まで生きてきた中で関わってきたものから探すしかなくなる。私の家は農家なので、農業に関わる仕事をすれば、何か道が開け、新たな夢も見つかるのではないかと思ったのだ。農業の知識は、農家ではない人よりは少し分かる程度でお世辞にもあるとはいえないが、今から勉強すればなんとかなるだろうと腹をくくったのだ。

私の庄内協同ファームでの仕事は、ファーム内での製造を円滑に進められるように段取りをする事だ。しかし、実際は私の力不足で円滑には進められていない。だからいつもドタバタしてしまう。最近は仕事に追われて自分で何をやっているのかわからないときもあるのだが、何とか頑張っている。 組合員の中の息子に私の高校時代の後輩がいるのだが、彼は農業をやっていて農業が面白いという。自分と同じ世代で農業が面白いという人に今まで会ったことがなかったからかもしれないが、私は彼を羨ましく思った。この庄内協同ファームには他にも農業に夢を持っている人がたくさんいる。私はここでの仕事を通して自分にも農業の夢が芽生えればいいと思っている。

スケッチ ~120羽の必殺仕事人~

鶴岡市  佐藤喜美

6月に入って一段と緑が濃くなった。田植えが終わって1ヶ月あまり、成長した稲の苗は草丈が30センチをこしただろうか、株間に見えていた水面も葉に覆われ一面の青田に変わっている。さて、今年5年前一度挑戦して失敗に終わった合鴨農法に取り組んでいる。ひとつはこの農法が有機米作りでは一番定着していることと、完璧に害虫を食べてくれるというメリットがあることだ。

年々増えてきているイネミヅゾウムシに頭を抱えていた夫は、「除草は私も手伝うから」という言葉に決心したようだった。 5月26日九州で生まれてすぐ、舟形まで空輸され第一農場で育てられたかわいい14日雛が我が家に着いた。雛が小さかったので早速ビニールハウスの中に部屋を作り餌付けと外気温に馴らすことにした。5日ほどそこで過ごした合鴨を網とてぐすを張り巡らした圃場に連れて行き放した。
ところが合鴨は水鳥なのに溺れてしまい、体から油が出ず毛づくろい出来ず弱って瀕死の状態の物がでて大騒ぎ。その鴨たちを圃場から引き揚げタオルで体を拭き、毛布に包んで温めること3時間。 すっかり元気になり、用意した桶の中で早速水泳ぎの練習を始める鴨もいて、その様子を見ていた夫も私もまるで親にでもなったつもりでついつい時間を忘れて見入ってしまうほど。 2,3日するとすっかり泳ぎもマスターした合鴨を再び圃場に連れて行き一羽一羽に「しっかり仕事をするんだよ」と言い聞かせて放すと、すぐ前の群れの中に入って行った。でも圃場では空からの外敵カラス、トンビに狙われ20羽ぐらいは餌食になってしまった。
なかなか外敵を現行犯逮捕も出来ず、見せしめのためにクローンカラスを吊り下げたり、てぐすを細かく張ったりしたものの、かわいそうなことをしたと思う。

私はこの農法で期待したことが2つある。害虫を食べてくれることと草取りをしてくれること。1つ目は完璧だったが2つ目の除草は私の考えが甘かったことがすぐ結果となって出てしまった。外敵に狙らわれ怖い目をした合鴨は群れを成してしまい、なかなか分散しないためヒエがみるみる大きくなり、彼らの手に負えなくなってしまった。最初に放す時「あなたがちゃんと言い聞かせて放さないから仕事怠慢でダメだ」と夫に文句は言ったものの、このまま見過ごすわけにも行かず、意を決して田んぼの中でマージャンをすることにした。
(庄内では田の中を這うという)草取りのため片道(距離として60メートル)1時間半の腰を曲げての除草作業は腰から火が出るくらい(庄内では、ものすごく痛いことを言う)辛い仕事である。

彼らも草のあるところは泳ぎ悪いとみえて、私が草取りをした後をガアガア(これは私に対してお疲れさんと言っているように)鳴きながらついてくる様子は可愛いけれど「しっかり仕事してよ」ついつい独り言をいってしまう。とにかく 草取りももう少し。これを教訓に来年はしっかり合鴨を調教し、除草の仕事は彼らをメインに私達がお手伝いというようになればいいなと思っている。7月に入るとそろそろ梅雨も明け、本格的な夏の到来である。春から好天に恵まれ農作物も順調に育ちまずまずの収量が望めそうだ。 より安全で、よりおいしい物を追求していく庄内協同ファームの新たな出発の年でもある。

・・・・・・・竣工記念メッセ-ジ 

庄内協同ファームが藤島町にやってきた

組合員 志籐知子

これは私にとって、気楽な脇役から一転して主役に抜擢されたような気分である。 これからは何かにつけ、藤島町か?ファームとの接点になる、そう思うと藤島住民の私としては何か身の引きしまる思いがしてしまう。今年は我が家の三人の息子たちの新たな出発の年でもあった。私たちもそれに負けじと新しいスタートラインに立って子供たちへのエールよりも、さらに大きなエールを自分自身に送りつつ、この新拠点から大きく羽ばたきたい。
藤島町のみなさん、どうぞよろしく!!

楽しくおもしろくワイワイと

組合員 冨樫俊一

先日息子の友人が援農にやって来た。東京生まれの百姓志願だという。最近時々そういう若者に出くわす。ともすれば元気を失いがちな現場で、そんな新鮮なハートでひたすらな思いを語られると、もう君の瞳に完敗。

がむしゃらにこれまで私も頑張ってきたけれど、忘れていた百姓が元気な頃に戻ったようで何ともいえない良い気分になった。土を耕す現場では証書や肩書きよりもアイデアと前向きな姿勢が一番だ。我々が食べ物を作る。食べ物は人を作り、人が文化を創ってきた。いわば百姓は、ほとんど表にでることはないが、実は社会の末端までを動かしている血液みたいなもので生きる為には、絶対に必要なものだ。

百姓に多様な価値観を持った若者が多くなってきたことは実に嬉しいことだ。外圧が強く、揺れている今だからこそ内圧を高めるべく個々のエネルギーを高めこの若者達を失望させないよう温かく見守ってやりたいものだ。
楽しくおもしろくワイワイとやりましょう。 日本の未来も捨てたもんじゃないかも?

いくら無農薬の米作り、とはいえ

組合員 五十嵐ひろ子

我が家の労力を考えると合鴨農法はムリ。そんな我が家でも出来そうな紙マルチ農法に今年は挑戦した。三反歩の田植えに4時間ほどかかったが、除草の効果は期待できそうだ。あれから一月ほど経ち、緑が一層濃くなった田んぼを眺めながら、今日私は、地元の小学校の一日先生。 担当は美術(図工)。絵を教えるというよりは、絵を描く楽しさを教えられたらと思っている。目を輝かせ、出来上った作品に歓声を上げる子供達に愛しさを感じながら軽トラでの帰り道、緑の田んぼに庄内協同ファームの新しいスタートを思う。

私達の宝物

組合員 菅原 すみ

2月の吹雪く季節になると、6~7人のメンバ-は公民館に集まり、就農と同時に減反政策でリストラに遭った自分達のこれから生きていく道を探る合宿を重ねていた。私はいつも賄婦。悶々としているメンバ-のひとときの気分転換になっていただろうか。
あれから26年。身の丈に余る新拠点の竣工式を迎えようとしている。お祝いに駆けつけて下さる方々に食べて頂くごちそうを考え、賄の準備をしている傍らには一緒に歩んできた仲間達がいる。 そして、振り向けば親の背中をみつめている庄内協同ファ-ムの子供達。ファ-ムの若い職員達と共にキラリと輝く真珠のように育った。
私達の自慢する宝物、後継者達。親と同じ道を歩んでいたり、それぞれが選んだ道に進んでいたりしながらも何らかの形でファ-ムに関わっている。
さあ、みんなでもうひと頑張りしよう。いぶし銀のシルバ-を目指して。

何にも勝る『裕子ブランド』

組合員 富樫 裕子

今、トップブランド『エルメス』の銀座店がオープンしたそうで、1個何十万もしそうなバッグや靴を買う人で長い行列ができているとか。 我が家のトップブランドの野菜たちも、家の裏の畑で、春先から、ほうれん草、春菊、小松菜、チンゲン菜、いちご、などが終わりに近づき、今は白菜、キャベツ、さやいんげん、大根、きゅうり、が採れ始め、もうすぐナスやトマト、みょうがが食べ頃になります。今年から新顔のにがうりも盛夏の頃には食卓に上り始めるでしょう。  自分で種を播き、毎日成長を楽しみながら、手をかけ、やがて収穫をし、食卓にのせる。それがとても嬉しくて、何にも勝る『裕子ブランド』です。


庄内協同ファ-ムだより 2001年5月 発行 No.74

楽しい農業を目指して

小野寺喜作  鶴岡市

4月中旬頃鶴岡公園の桜の開花も一気に進み、葉桜になってしまった夜、花見を兼ねた「ミ ニゼミ」が開かれた。
テーマは「環境問題の解決に果たす市民運動の役割」(水俣病の問題を 中心として)」というタイトルで、現在岩手大学大学院連合農学研究科の学生から発表しても らった。アグリフォーラム鶴岡の会員、山形大学農学部の先生と学生、団体職員あわせて2 0名の参加者で行われた。

主催の「アグリフォーラム鶴岡」は平成8年に、農業に関わる人々が自由に集い、地域に 貢献していこうという目的で発足した任意の団体で、私も発足当時から入会している。現在 26名の農家と5名の特別会員(山大の先生)で構成され、市役所の農政課に事務局をおい ている。これまで、地域住民を対象にした講演会(幸田シャーミン・クロードチアリ・森田 正光等)や映画上演(原野の子)・落語とだだちゃ豆の夕べの開催。市内6つの中学校に、花 束を贈る事業。会員相互の交流と研修、地元の大学の先生や学生との交流を兼ねたミニゼミ 等を実施してきたユニークな団体だ。

水俣に関しては、反農連の甘夏みかんを共同購入したり、東京水俣展へのカンパ、ビデオ テープの購入等、庄内協同ファームとしても関わってはきたが、今回のミニゼミで、水俣病 について改めて問題の根深さと、私たちにとっても身近な問題として考えることができた。 日本の高度経済成長と石油エネルギー資源への転換の国策のもとに、問題を先送りしたこと が多くの犠牲者を出し続けてきたのだ。水俣病という問題から、普遍的な価値を求める市民 運動への展開、環境問題としての解決への模索、ゴミの21種類分別(現在は23種類)、地 域環境協定、環境マイスター制度等で、様々な環境問題に先進的に取り組む水俣の現在が発 表者から紹介された。発表のあと花見酒(?)をくみかわしながら活発な意見交換が行われた。

“水田のダムとしての保水機能、農業は環境をこわしながら保全もしている面があるが、農 薬の使用、化学肥料の使用量は世界平均の20倍と異常に多く使用している問題がある。”“自 分としては、あまり農薬等使いたくないが、消費者や流通関係から見た目のよい、虫の害の ないものを求められているし、価格がとれないのでしかたなく(必要悪)使っている。

“完 全な有機はムリだ。農薬や化学肥料を使わないで済み、資材××を開発してほしい。”“農業 も農薬等で環境に負担をかけていることを認識し、できるだけ減らしていこう。”“楽しい、 消費者から喜ばれる農業をめざそう。”etc.  夜7時から始まったミニゼミも、酒をくみかわしながら12時をまわっていた。農業の環 境問題に関してこの会でこんなに話しが盛りあがったのははじめてだ。少しでも、農薬や化 学肥料を減らし環境にやさしい農業者が増えていくことを実感した。

スケッチ

芳賀和子  三川町

新緑が美しい季節です。田植えが済み、水を満々と貯えた田んぼが太陽の光りを受け、き らきらと輝いています。
庄内平野の南に横たわる月山の中腹から見渡すと、点在する村々と 合間ってそれはそれはすばらしい景色です。 毎朝、朝ご飯の支度は私の係りなのですが、枝豆やへちまの播種と定植のこの時期は義母 にお願いして、朝仕事から外に出ます。 が、なにせ朝の弱い私のこと、今朝も外に出たら、 もう、ずいぶんとお日様が高く昇っていました。かっこうやひばり、すずめの声に混じり、 きじがからかうように間高い声で鳴いています。

急いで12坪ほどの小さな育苗ハウスに向か います。中には、4月末に播いたへちまの苗が双葉を開き、2葉が出てきたところ、6月1 0日頃に植付けるのは、もう少し大きくなってから。その横には、1週間前に播いた、だだ ちゃ豆の中でも、8月のお盆の頃に収穫の、庄内3号の苗が、ちょうど植え頃です。水をた っぷりと吸わせ、トラクターで耕した田んぼに植えていきます。一本一本並べては植えてい く、腰の痛い作業です。なんか去年より腰が痛いようだと言う私に、「年ひとつとったからな ー。」と笑う夫。そんな夫の歩く後姿もなんかおかしい・・・・。もう少し、6月中頃まで頑 張って! その後、除草のための耕起、虫よけのための唐辛子エキスでの防除など、収穫ま で管理作業になります。 夏の庄内の味だだちゃ豆、このおいしい枝豆を育て守り、私たちに伝えてくれた先人に感 謝し、腰の痛みもなんのその、植え付けて行きます。

もうひとつ、庄内の5月の味をご紹介しましょう。笹まきです。もち米を熊笹の葉で三角 に巻き、ゆっくりと煮て、黒蜜ときなこをまぶして食べる郷土食です。 地域であく汁で煮る所、タンサンをいれて煮る所、なにもいれず白く仕上げる所と、庄内 でも色々ですが、この辺はタンサンを入れうすい黄色に仕上げます。昔はどの家でも作って いましたが、大鍋で長時間煮なければならないせいか、なかなか作る家は少なくなりました。

それでも、家を離れた子供たちや親戚に、毎年送るものを近所から頼まれ、ファームの笹ま きは義母が巻いています。私も義母に教わり、巻いてみましたが、三角にならなかったり、 端からもち米が出たり、煮上がりが軟らかすぎたりで、まだまだ満足のいくものは出来ませ ん。これから何度が挑戦してマスターしたいと思っています。 庄内が全国に誇れる伝統の味を私たちも守り、次代に引き継がなければと思います。今後とも どうぞよろしくおねがいします。


庄内協同ファ-ムだより 2001年 3月 発行 No.73

有機認証二年目の生産者

小野寺 仁志 鶴岡市

大雪に見舞われた冬も終わりを告げるように、最上川河口付近に飛来していた白鳥が旅立っています。また、風は冷たいものの陽はやわらかく、川の水もぬるみ、まさに春を感じさせます。

昨年、庄内協同ファームで農業版ISO14001とも言えるシステムを導入して有機認証をする認証団体のアファスから有機認証(システム認証も含め)を得、そのお披露目も兼ね3月10日に第1回庄内協同ファーム生産者集会を行ないました。 授与式・経過報告、各責任者から活動報告がなされた後、認証を得た生産者から苦労話や失敗談を交え有機栽培に取り組んだ報告がなされ、盛大のうちに報告会が終わり、午後から2名の先生方から御講演をいただき、有機栽培の意義と重要性を改めて知らされ、春からの生産に積極的に取り組む事を皆で確認しました。

私個人も昨年、水稲50㌃、枝豆55㌃、黒豆120㌃ほど有機栽培に挑戦しました。(他は特別栽培です) 作付け・栽培方法の計画を作成し、ある程度それに沿って作業を行なうのですが、他からの汚染がないように機械・器具の掃除や洗浄、周囲の圃場・生産者に気を使ったりお願いしたりと今まで以上に、周辺の協力を得なければ出来ない栽培法と思いました。

それに毎夜、第三者から有機認証が証明できるようにチェック項目を漏れなく農作業日誌に記帳、栽培実績台帳に必要事項の記入をしなければなりません。そして、監査員が栽培実績台帳を確認の上、始めて有機栽培農産物として認証できるのです。(この他に生産者台帳、出荷台帳、環境台帳等がありますが、ここでは略します)

今までとは違い記帳・記録に係る時間が多くなり、最初はこんな大変な事出来るのか不安でしたが、これほど几帳面に記録を取るのなら、逆にこのデータを利用しない手はないと発想を変え、コンピュタ-で管理を行ないデータベース化しています。それが2~3年後に営農活動、栽培技術の向上に結ぶのではないかと思っています。
今年も、もうスタートしています。消費者のみなさんの励ましを糧に更なる向上をめざし有機栽培に取り組みたいと思います。

庄内協同ファーム体験記

伊藤千枝 鶴岡市

私は去年の11月から今年の3月まで、アルバイトとして庄内協同ファ-ムにお世話になりました。お先真っ白の地吹雪の中、車で1時間近くかかるこの職場を選んだのには理由がありました。

去年、農作業の経験のない母が、初めて枝豆作りに挑戦しました。農家の人に教えてもらいながら、悪戦苦闘の末、夏には立派な枝豆ができました。朝から夕方までかかって枝をひっこ抜き、サヤを枝からはずして親戚や友人の家へおすそ分けに行きました。 私も一度手伝ったのですが、予想以上の重労働。くたくたになり、「もう二度とやらない」と心の中でつぶやいた程でした。しかし、母には疲れより、収穫の充実感、自分の作った枝豆を「おいしい」と喜んでもらえたうれしさの方が大きかった様で、とても生き生きとしていました。

自分の作ったものを「おいしい」と食べてもらえる喜びと充実感。庄内協同ファームにはそれがあったのです。自分の仕事にやりがいを感じている人達と一緒に働いてみたいと思いました。そんなファームを支えているのは、太陽の様に明るくほがらかなお母さん達。そしてその太陽に少々押され気味ではあるけれど、男気のあるおおらかなお父さん達。お互いの大変さ、喜び、夢をわかち合える夫婦の姿がありました。「夫婦っていうよりは同士っていうかんじだの-」という言葉になるほど、納得。(将来、どんな人を結婚相手に選ぶべきかもかなり参考になりました。)

さて、先日、慶応大学の教授が講演会でこんなことを言っていました。目まぐるしく変化する現代社会で、今一番必要なのは『地域に住む自分達が、楽しみながら自分達の夢を実現するという理念だ。』 “安全でおいしいものを作り、届けたい”そんな夢からスタートした庄内協同ファーム。皆さんの働く姿は、夢をもつことの大切さ、明るく生き生きと働くことの素晴らしを教えてくれました。5ケ月という短い期間でしたが、貴重な体験をさせて頂きました。この場をお借りして、庄内協同ファームの皆さん、本当にありがとうございました。そして、ファームのお米やおもちを買って下さった皆さんの元へ「おいしさ」という喜びと幸せが届きます様に。

旅立ち”も又、春

後記——事務局(T・S)

職に就く子、進学する子、各々に、新しい芽が息吹くことを願って、あと何日と、別れの前のひと時を愛しむ春。忙しく旅支度に追われながら、話しておかなければならないことを伝え忘れたような気がして傍を離れがたい親心。子の旅立ちを手助けできる幸せと、淋しさをかみしめながら、春作業へと向う。

春のやわらかな陽ざしと、顔を出し始めた大地が、私たちのエネルギ-を呼び戻す。やわらかな春の陽ざしが雪を溶かし、春の雨が雪を流す。あんなに降り積もった雪が、一気に呑み込まれるように姿を消し季節は確実にもう春。百姓にも再び春。人の命を育む農業がすたれていいはずがない。”身土不ニ”。改めてこの言葉の意味をかみしめ、又、元気をふりしぼって、大地に向かおう。
“いらっしゃい、春!!”


庄内協同ファ-ムだより 2001年 2月 発行 No.72

大雪の冬に

斎藤健一   羽黒町

2月20日20年ぶりの大雪である。庄内平野でも出羽三山の麓、中山間地に位置する我が家 では積雪150cmを越えた。久しぶりに屋根の雪おろしに精を出す。若い頃は屋根 の高さなど気にもかけなかったが、上ってみて驚いた。妙に足がすくむ。俺も歳を とったと実感した。

新聞によれば県内で雪おろし中の事故が100件を越え、何人 かが亡くなられたとの事。お年寄りが多い。毎日降り続く雪の中では、勤めに出て いる息子の休みまで待てず「昔とったキネヅカ」と気軽に屋根に上り事故にあった のか。いたましい限りである。

私の村では幸い事故はなかったが、若い者が勤めにゆき、日中はいない。お年寄 りたちが黙々と雪おろしに精を出す現実は同じ。特に米価が下落し続けるここ数年 は「不況で仕事がない。」といいながらも、何かしらの仕事を見つけ働きに行かなけ れば家計が成り立たない。 先日、公民館の雪おろしで久しぶりに会った友達は、内陸まで2時間かけて働き に行っているという。勤め先の建設会社に地元での仕事がなく、やっと見つけた仕 事先が通勤2時間。朝6時には家を出る。これでは雪をかたづける時間がない。昨年の夏に少し体に変調をきたし体重が40kg台まで落ち込んだ私は今冬、ファ ームの仲間から楽をさせてもらい、少しのんびりした時間を過ごしている。体重も 50kg台中間まで戻った。 これまで冬の間はろくに家にはいなかった訳で、雪おろしも暖冬続きのおかげで やらずにすんできた事もあるが、冬に村の暮らしなど気にもとめずにきた。

村の経 済はすでに稲作(農業)主体から、外からの賃労収入主体へ変わっていることは頭 では理解していたつもりだったが…。  春にそなえて、有機認証も頭に入れ作付けの予定を考えながら、久しく忘れてい た野菜栽培の本などを読みかえしつつ、これまでの自分をふりかえさせら れた。この村に住み、暮らすことの意味をふと考え込むこの頃だ。

スケッチ

冨樫静子 鶴岡市 2月20日

20年ぶりの大雪となった今年の冬は、暖冬に慣れた者にとってはとても厳しく長 く感じられました。我が家の近くを流れる湯尻川もすっかり凍ってしまい、蛇行し た美しい川の冬景色を何年かぶりに見ることが出来ました。今年は河川改修のため、 この景色を見るのも最後になります。思い出に残そうと思わずシャッタ-を切りま した。

また、まだかやぶき屋根の我が家の軒下につららが下がり、例年にない太くて長 い美しい氷の芸術が出来ています。窓ごしにそんなつららを見ていると、ライトア ップでもしてみたらどうだろう、幻想的でステキかもしれないなあ・・・・。こたつに 入り、そんな思いをめぐらせながら、コ-ヒ-を飲む幸福な時間を持つことが出来 るのもあとわずかです。

正月明けからの農閑期は、食事の支度を母に代わり私がしています。毎日の食事 の献立を考えるのもなかなか大変な事です。今まで一手に引き受け台所を守り、家 族の健康を考えてがんばってくれた義母に感謝したいと思います。

さて、今日の夕食はキムチ鍋にしようかな! さっそく、裏のハウスに新鮮な野菜を採りにゆく。私と息子の合作である無農薬栽 培の白菜、京葉、春菊、大根、ネギを採って来る。キムチは本場韓国のトウガラシ 粉を使って作った自家製キムチ。  まず、こんぶとかつおぶしでだしをとり、土鍋にだし汁を入れ、みそ仕立てにし ます。材料を長く煮こむものから順に入れ、具沢山のキムチ鍋の出来上がりです。 「鍋、出来たよ-!」と家族に声をかけ皆が揃ったところでふたをあけ、フ-フ- さましながら食べます。寒い夜はこれが一番。身体が温ったまり最高です。残った 煮汁にご飯を入れ雑炊にするととてもおいしいです。

それから、今年はふわふわした出来たての豆腐が食べたくて豆腐作りにも挑戦し てみました。材料は庄内協同ファ-ムの無農薬大豆。凝固剤は海水からとったニガ リ(ミネラルの一種)。レシピ通りに豆乳を温め、ゆっくりニガリを入れ、へらでか き混ぜます。しばらくすると、だんだんと固まってくるのがわかります。それをし ゃもじですくって食べてみました。大豆の味がしてとても美味しく、成功に近かっ たです。欲をいえばもう少しふわふわした、なめらかさが欲しかったです。  冬場の農閑期は農産加工にチャレンジしていきたいと思います。そして家族の健 康を考え、自給率を高め、食生活を豊かにしていきたいと思います。


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