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庄内協同ファ-ムだより 発行 No.94 2003年3月

神様と仏様

佐藤清夫 鶴岡市 2003/3/24

我が家には、仏壇とそのうえに神棚がある。宗派は浄土宗であり、神様のほうはみんなと同じ天照大神である。神様と仏様を一緒に祭ってあるのがこの辺の普通の家であり、小さいときは神様と仏様では、どちらがえらいのかと考えたことがあった。
神様については、「古事記」に書いてある国を造る国生みの話があるそうだが、その一説を書くと、イザナギノミコトはイザナミノミコトに「汝が身はいかにか成れる」と問うと、「吾が身は、成り成り成りて成り合わざる処一処あり」と答える。そこでイザナギノミコトは「我が身は、成り成りて成り余れる処一処あり。故、此の吾が身の成り余れる処を以ちて、汝が身の合わざる処にさし塞ぎて、国土を生みなさんとおもう」というのである。

このようにして、日本の国を造った神様はえらいに決まっているが、その製造方法は人間の所作とほとんど同じである。そしてたくさんの神様を造り、ヤオヨロズノ神はこのようにして出来たのだ。また、農家を取り囲む自然はすべて神様になっている。火の神、水の神、田の神、山の神と今でも活躍している。
一方仏様は、中国からの外国文化として入ってきたのが奈良時代になる。仏教も神道も多神教であるためかあまり排他的にはならずに、仲良く共存してきたのだという。
法然がいうところの「ナミアムダブツ」を唱えることで極楽に行くことができるという浄土教は、平安時代爆発的な流行だったという。何が当時の人達の心をとらえたのかはわからない。

今の私の「ナミアムダブツ」は生活習慣のひとつに過ぎないが、そんなにうまい話があるわけがない。また当時の人達にしても本当に極楽浄土なる所にいきたかったのかどうか疑問である。今は無料では極楽には行けないことになっている。
私の周りの人達は先祖を大事にする。正月、お盆、春彼岸、秋彼岸は先祖様が帰ってくる日である。出来る限りのご馳走でもてなすこととなっている。春祭り、秋祭りが両彼岸に当たる。これは神事であり神様の行事である。
先祖様が帰ってくるという考えは仏様にはない。極楽浄土というはるか遠くに行ったきりである。あまりに遠いから帰ってこられないのである。これらのことから見ると、
仏様より神様のほうがより深く我が家に影響を与えていることと思う。
皆さんのうちでははたしてどうだろうか?

2003年度・庄内協同ファーム生産者集会
「栽培技術講習会を終えて」

改正農薬取締法の施行を直前に控えた3月3日(月)に組合員、協力組合員を対象に栽培技術講習会が開かれました。

忙しい春作業に入る前の1日を、茨城大教授、中島紀一氏と、県農業試験場、上野正夫氏をお迎えしてご講演いただき、もっと大勢の人に聞いてもらいたかった、という感想を持ちました。中でも、今までに数回機会を得ている中島先生のご講演は、改正農薬取締法について、とてもわかり易く、独特のコメントを含めながら説明して下さり午前中があっという間に終わってしまいました。
 法律がこうも性急に施行されることになった理由のひとつには、昨年の無登録農業問題があったのは、周知の通りです。禁止農薬にもかかわらず、それが全国的に流通し、
使用されていた実態が明らかになり、国民の食に対する信頼を大きく損なう問題に発展したためです。

主な改正点を紹介すると
1. 登録農薬の製造、輸入、使用の禁止
2. 薬使用基準に違反する農薬使用の禁止
3.罰則の強化
の3点があげられます。

又、この法律の施行に当り、新たに無登録農薬の製造や使用を禁止したために、安全性が明らかなものまで農薬登録を義務付け過剰規制とならないように特定農薬という仕組みを作りました。

ところが、有機農業を目指す農民が化学農薬の代替として、編み出して来た工夫や、病害中防除や除草の為に水田に放すアイガモさえも、特定農薬として登録しないと使用は禁じられるという奇妙な結果を生むことになり“アイガモも農薬か?”と大きな論争を呼び、新聞記事を賑わしたことは皆さんの記憶にも新しいことと思います。
危険農薬の規制強化のはずが、論議は意外な方向へ発展し、先生いわく“これは、農薬行政からの煙幕だったのではないか”とのことですが、お話を伺ううちに思わず、なるほど、とうなずいてしまいました。

そして、私達生産者側から見れば、農薬取締法は、生産者自身や、生産者の健康を守るものでは決してなく、食卓の残留ppmを守るものだという事が、よく理解できたと思います。
そして、慌しく結んだ中島先生の一言。“農薬のリスクについて厳しい認識を持ち、農薬を使わない農業の可能性を消費者と手を取り合って本格的に進めなければならな
い。それ以外に生き残りの道はない。”いつもいつも、にこやかな笑顔で厳しいことを平然と言ってのける中島先生の貴重な結論でした。

 盛り上がった午前中の講演の後、簡単な昼食をすませ、午後は、県の有機農業の研究に関する中枢機関を職場とする、上野正夫氏の講演でした。
これから、県がどのような形で有機農業を推進してくれるのか、その為に今どのような事を行なっているのか興味津々であっただけに、ちょっと肩透かしを食ったような物
足りなさが残りました。「有機農業の技術的課題とその対応方法」の演題に寄せた期待はさておき、担当者の講演の中から有機農業推進に対する意欲や、力強さが汲みとれなかったことは、とても残念に思いました。

 あれから約1ヶ月、季節は進み、吹く風の中にも華やいだ春の匂いが満ちています。
生命あるものすべてが動き出す、この春こそが私達農民にとって1年の始まりです。稲倉の前に置かれた水槽には、既に温湯消毒を終えた種もみが、徐々に水分を含みながら時満ちて出番が来るのを待っています。
 あれもこれもと一気に作業が集中する4月をまだ全開になり切っていない頭と体で追いかけて行きます。再び巡り来た春に感謝し、今年も無病息災で大地と向き合う仕事を楽しみたいと思います。

発行事務局 志藤知子


庄内協同ファ-ムだより 発行No.93 2003年2月

農民レポートから協同ファームと私

(草莽・がむしゃら・これから)  富樫 善之 羽黒町

一、草莽の頃 -農民の持つ歴史・哲学・賢治の農民芸術概論を経て-

老農からの聞き取り、庄内農業の転機となる乾田馬耕、これらの基盤を作ってくれた先人達への感謝を込めたリポート。
青年団・農協青年部・映画上映会等々、如何に作物を作るかは農民自ら決めるとのスタンスから、強制減反への反発・反対・拒否。そして“疲れ”が残った。
仲間内の実感は、-慰めあいから蔑みあいへ、蔑みあいから励ましあいへの発展―、反発心は人一倍強い我がまま者が地域・組織から抜け出て、体制内改革は無理と自らモデル作りを模索する。

二、がむしゃら -生意気さで人脈を拡げる-

反発や拒否だけでは駄目、自分の作った生産物を自ら価格を付けて供給出来ないようでは、他を批判出来ない。産直の始まりである、今にして思うと無茶苦茶でした。生産物を満載した車が高速道でエンコしたり、都内の配送で道に迷ったり。交流会も多種多様で夜も更けてどこの部屋で寝るのかと聞くと、喧々諤々の議論をしているすぐ隣の板の間に毛布を被ってくれとの事、ゆっくり寝むれたものではないので、また起きだして議論に加わったり、まさに朝までバトル状態でした。最初は唖然、でもこんなものかと交流(武者修行?)を重ねると、三里塚・水俣等の全国区の運動を通じて人脈ができました。

三、そして -もじゃ・もじゃの議論の後に-

 各メーカーの餅を食べ比べて、これなら自分らで作った方が良いとの結論。各10万円ずつ出し合って、餅の加工場を作った。それから、20年程品質を安定させ、品目も増やし他に、麦・豆の加工とメンバーのおこし・ヘチマ水・漬物とバリエーション豊富になった。20代の頃、中国農村に学ぶツアーを組んでいた頃の諺にある“一本の蔓に、多くの実が成る”そんな状態です。

四、これから -どんな絵を描けるか-

我がままが集まって、組織を作り運営をやって来ました。メンバーの体力も無理が利かなくなりつつあります。無登録農薬・産地表示・スローフード・ガット等々目まぐるしい動きです。今の状況は、より根源的な所を問われているように思います。
バブルが去り、市場原理優先にも翳りが見えて、もっとルールを明確にしながら、経験知を加えるしかない状態です。
こんな状況の中の日本・山形県庄内で“食べ物”を作ってゆくとはどんな事柄なのだろうか。現地点から先を読まなければ成りません。

 かって、京大の今西先生が先の読み方について、論じておられました。それは、まず過去に意識を飛ばし、そこから現在を通じてその先を見据えるというものだ
ったと思います。この手法をここで活用すると、まず、学生時代に強烈な刺激を受けた、敗戦後の日本の食糧をどう確保するか、当時の石黒農相を中心に検討していたグループがあり、分野毎に研究が引き継がれていて、私は“傾斜地に於ける食糧生産“をライフワークにしました。
人間にとって必要な蛋白源を魚類と家畜(穀類を餌として)に求めてきました。この供給は逼迫して来るのが明白です。
今が再出発の時期なのです。その形として、自然保護団体の研究会でのファームメンバーのパネラー発言「自然と供に在り、継続してゆける形態は社会構造上もコストの面からも、評価されうるものだ」があります。

私の足跡をたどると、インドネシアの開発輸入の現場研修一年、タイのモデル農場(オランダの支援)、ヒィリッピンのデルモンテ農場と加工残滓を活用した畜産、シベリア極東部、中国黄土地帯と南部農村地帯、朝鮮半島の状況とテーマを“生産の形”として見て歩きました。
益々、月山の山麓部での生産の重要性に確信を深めています。
 長期的には、木の実(胡桃・銀杏)中期的には発酵食品、短期的には雪の下でも育つ作物を入れた2年3作(例:豆・麦・赤蕪)とこれらの加工品。道は遠いけどイメージは出来ていて、技術を積み・土地を増やして、皆さんの目にも後5年あれば理解して頂ける一個の作品としてその形を現してきます。

長いようでも短い時間でしたが、やっとここまで歩いてきたというのが実感です。
中国の賢人の言葉に“終わりを恐れる事なかれ、始まりを持たざる事を憂えよ”と励ましてくれています。


庄内協同ファ-ムだより 2003年1月 発行 No.92

スケッチ 夢を見れるのは幸せなこと

藤島町 志藤 知子

~自然豚舎が建ちました~

 韓国自然農業と出会って以来、いつかはとあたためていた自然豚舎がようやく我が家の地続きの一角に、その姿を現しました。採光と対流を考えた踏み込み式の豚舎は、屋根はカマボコ型、南向きの天窓を備え、両側はカーテンのみ、シンプルな造りですが、敷料の発効熱のせいで、庄内の厳しい冬でもホカホカと暖かく、吹雪の日以外は換気の為にカーテンをあげています。従来の豚舎に比べ、とても明るく開放的で飼育されている豚も、元気に走り回って、まるで遊んでいるかのように見えます。
 この豚舎の一番の長所は、糞尿処理の必要がない点です。糞も尿を敷料の中に吸収され、良い状態で発酵が進めば、その何割かは豚が餌として食べる事が出来るようになるということです。
 ちなみに、この豚舎の建坪は90坪、一区画8坪の豚房が東西に10並び、片側に通路があります。

~白豚から黒豚へ~

 一昨年から、黒豚の導入を始め、5頭から始まった母豚が40頭を超えるまでになりました。産子数が少なく、育成にも時間がかかり回転率が落ちると言われている黒豚をあえて導入したのは、それだけゆっくりとしたペースで養豚ができると考えたからです。回転率の低さは、白豚よりも、市場評価が高いという所で補えばという計算なのですが、高い評価を得る黒豚を育てるには、又、相当の技術が必要なことを改めて経験しています。肉質の良い美味しい黒豚を、自信を持って出荷できる体系を探ることが今年の目標になるのでしょうか。近い将来、遠くに住む皆様にも、安全でおいしい黒豚をお届けできる日を夢見てできることからひとつずつ頑張っていきたいと思います。

~夢を見れるのは幸せなこと~

 歳を重ねても臆病にならず、心身の衰えも考えず年々新しいことに何かひとつは挑戦しないではいられない夫の行動力を不思議な目で見ています。“今年はもう55才なのに”が“まだ55才”なのです。“あと10年は頑張れる”が何年も前から続いていて一向に、9年、8年にならないのです。
 でも、よくよく考えてみれば、じっとしているより何かに向かって行動できることは幸せなことです。ハラハラ、ドキドキし、時にはため息をつきながらも、新しいことの結果を見届ける楽しみも生まれます。何年か先の定年に向かってカウントダウンするよりも設定しきれないゴールに向かって駆けていくことができるのなら、二人揃って行けるなら、それ程の幸せはないのかもしれません。

~今年もよろしくお願いします~

編集局から

 私達の農産物を食べてくださる皆様に支えられて、世情厳しい一年を何とか過ごすことができました。皆様のご期待に沿うべく今年も組合員一同皆様との様々なふれ合いの中で、伝え合わなければならないことをしっかり確認し合いながら進んで行きたいと思います。
 人の体にとって安全であること、相互の信頼のもとに安心できること、そして環境にも優しいことを変わらぬ目標として今年も頑張りたいと思います。
 本年もよろしくおつき合いくださいますように。


庄内協同ファ-ムだより 2002年12月 発行 No.91

「丸い餅と五木寛之」の話

鶴岡市 五十嵐良一

 私達の(農)庄内協同ファームでは、米の収穫を終えた土色の圃場に、点々と白い、白鳥が舞い降りた頃から本格的な餅の製造が始まります。
 減反への反対運動の過程でやり始めたもち加工も、20年近くになりました。我家の稲倉(農作業場)で、仲間とまきを持ちより、釜で自分達のもち米を蒸し、数台の家庭用もち搗器で板もちにしてから20年。
 昨年、ようやく自前の土地と有機認定を受けた自前の工場で有機栽培のもち米も「餅」加工することが出来ました。

 ここ庄内では、正月はもちろん、丸もちにして保存し、焼き、調理する文化圏?です。
 最上川をはさみ、南北で2万町歩、2万町歩で収穫されたお米が酒田港からの「北前船」で、関西との往来が丸もち文化の定着と言われています。
 関東以北で、丸もちですごすのは、庄内地方だけなのかもしれません。県内でも妻の実家(月山の東側=内陸地方といいます)は、切もち文化で暮に、家族皆で、丸もちやお供えの鏡もちをこしらえる儀式?は最初、興味深げでした。私も、子供の頃、新聞の4コママンガのもちが四角いのを不思議に思った記憶があります。それが私だけではなく、丸もちと切もちの文化圏の違いを文にした、作家もいてうれしかった事をもち加工の作業をしながら思い出し、今回のファーム便りに載せる事にしました。

 それは、五木寛之著 日記 -10代から60代までのメモリー-(岩波新書刊)という本です。抜粋してみると、20歳の日記(1953年) 1月3日(九州の餅と東北の餅について) 昨年の暮であった。きっかけは何だったか忘れてしまったが、餅と言うものは大体丸いものであるか四角いものであるかが問題になって数時間にわたる大論争を巻き起こした事があった。
 俺は餅と言うものは日本中どこでも丸いものとばかり思っていた。所が、東北では、関東もそうらしいのであるが、餅は本来四角くて平らなものとして認められているらしいのである。もっとも東北でも小松君の庄内のように丸い所もあるらしいが、大体において四角いのが普通であるらしい。「ぢゃ君達は餅という単語を聞いて四角な形を連想するのか」と俺が、至極馬鹿気た質問を放ったのに対して井上君等が、「そうだよ、勿論四角さ」と言下に答えて俺のドギモを抜いたものだ。所で井上君も「それぢゃ君達の雑煮の中に入っている餅は丸いのかい」とたずねて「当たり前だ」と俺が答えたのに「へえ」とたまげてしまったのだからどちらもどちらである。僕等は朝鮮でも丸い餅を食い、九州でも丸い。餅と言えばあの美しい形の、「ふっくらとした丸味に非常な親しみを覚え、」餅とはこんなものだとばかり思っていた。 四角な餅が存在すると云う事は僕等にとっては脅威であった。
 知らないと言う事は恐ろしいものだ。自分等の世界史しか知らないと言う事は餅一つについてもこの通りである。 我々は方々自分等の住んでいる世界を中心にしてものを考え、恐ろしい錯覚や誤解に平然として安住してる事が、相当に多いように思う。みじめな生活の中にひたっていると、そのみじめさが当然のように思えて来るのだ。 新しい事を知ると言う事は我々の物の見方や生き方に決定的な影響をあたえるものだしそこから進歩も発展も生ずるものだ。

 

 私達の法人でのもちの加工は、丸いもちの方が数多く出荷されています。もし、この庄内が関東以北丸もち文化圏でなかったら「こんな形で正月用のもちを加工してこなかったかも。この文化を伝え続けた、ご先祖様に感謝しなくちゃ。」笑いながらの仲間ともち加工の20年目です。

スケッチ

鶴岡市 小野寺 美佐子

 庄内の地にも25日夕方から綿のような雪が降り始めました。夕ぐれ時の木々に積もった雪は、まるで白い花が咲いたようで
幻想的な世界をつくりあげています。
 夜半に入り、綿雪が細雪に変わりました。音もなく降り積もる様は、「雪の降る町を」のステージになった町らしく、絵のような美しさです。こんな美しい景色を産み出す自然も一度荒れると、一寸先も見えない地吹雪に変わるのですから、自然の力は脅威です。2002年もあとわずかで幕を下ろします。 私なりにこの年を振り返ってみれば、一向に回復の兆しの見えない、経済と社会の不安感は今までになく、殺伐とした時代に映りました。

 農家にとっても、狂牛病の騒ぎがやっと下火になったと思ったら、農薬問題、秋にはひょう害や天候不順等、自分の力ではどうしようもない現象に悪戦苦闘の一年でした。 私自身も年代的に、体調の悪い年でしたが、悪いことばかりではありませんでした。仕事は、+、-プラスでしたし、体調の思わしくないのが幸いして、近所の人達の協力を得ることが出来ました。また、悪い年だといわれていたので行動を慎んでいた割には芽の出ることもあり、やはりプラスの年だったのでしょうか。
 この間、2003年を迎えるにあたって、来年の運を占ってもらいました。(この占い師さんよく当たんです)私の人生来年からバラ色ですって!
 特に仕事運がいいとの事。よし!今まで押さえていたエネルギーを全開にして、来年からは精力的に動きましょう!
 それでは皆様よいお年をお迎えくださいませ。


庄内協同ファ-ムだより 2002年11月 発行 No.90

田舎が元気じゃないと、都会も元気にならない!

鶴岡市  冨樫 俊一

 秋を飛び越え冬がやって来た。そんな言葉がぴったりの11月中旬の天気であった。連日の雨やみぞれ。そして、ついには本降りの雪の到来。
おかげで大豆や自然乾燥の稲などは、収穫や調整が出来ずに大変な思いをした年である。ちょうど今年1年の農業情勢と良く似ている。
 BSEに始まり、偽装表示、そして無登録農薬問題と農家にとっては大嵐の1年であった。

 安全とおいしさ。そして「生命力のある食べ物」作りを目指して頑張ってきた我家でも、今年は手痛い洗礼を受けることとなった。イネミズゾウ虫の大発生で田植をしたはずの苗が消えてゆく。必死に対策を講じる息子の努力をあざ笑うかのように、その勢いは止まるすべを知らない。御陰様で反収4俵という原価割れの結果に相成った。経営者としては「早くあきらめて農薬を散布したら…」と思うのであるが、一方では私達がずーっと目指してきた目標にむかって必死に頑張ってきた結果だから仕方ない。アフガンや北朝鮮に比べたらまだ天国よ!と自分に言い聞かせる。納得させる。うーん。これだけ化学が進歩したというのにイネミズゾウ虫ぐらいに手を焼いているとは情けないものである。化学肥料や化学農薬を使わないで作物を作るということは大変なことで、まさに江戸時代へタイムスリップしたようなもので、手探りでやっていくしかないのである。

 こんなにひーひー言いながらやっているというのに、一方では無登録農薬問題で尾ひれがつき、特定農薬ということで有機栽培で使用されている資材で例えば食酢、トウガラシとか牛乳とか土壌消毒する為の熱湯でさえも国で認めなければ無登録農薬扱いにされるとか?
 今まで農薬散布の旗振りをしてきた農水省。消費者意識が変わるやいなや変わり身の早いこと。今度は一転、環境保全型農業と来たもんだ。こんな人達に認めてもらわないと有機栽培も出来ないとは。もう本当になにおか言わんやだ。
 そんなあなた達へ贈りたい賞があります。田中さんが話題になったノーベル賞ならぬ「農、減る賞」を記念に受け取ってください。迷惑している農家、消費者から哀を込めて贈りたいと思います。

 とはいえ、世の中どうあろうとも食べ物がなければ私達は生きてゆけません。身体は食べ物で出来ています。食料の海外依存率が60%を越える今、消費者と生産者が本気になって「食べ物」を考える時期にきています。日本の中核農家の平均年齢は67歳を越えようとしています。食料の自給率向上を決めた国会決議はどこへ吹っ飛んだやら!衛営とつないできた農業をここで途絶えさせてはならない。
 生産者と消費者が互いに支えあい、互いに安心安全の生活が出来るようにもう一踏んばり頑張りましょう。
 田舎が元気じゃないと、都会も元気にならない。

 協同ファームではいよいよ餅つきの最盛期を迎えます。今年も安全安心で美味しい田舎の元気を皆さんにお届けします。楽しみに待っていてください。それでは、また会いましょう。
あー、忙しい忙しい。

スケッチ 柿の収穫を終えて

藤島町 志藤 知子

 東北の冬の訪れは早く、11月初めからの雪混じりの冷たい雨が、厳しい季節の到来を思わせます。今年は、ゆっくりと紅葉を楽しむ天気にも、時間にも恵まれず忍び寄る冬に全てを奪われないように、収穫を急ぎ、雪の前に片付けなければならない作業に追われて、短い秋の日は飛ぶように過ぎていきます。

 我が家では、柿の収穫と青豆の刈り取りが終われば今年の作物は全て終了なのですが、今秋は来る日も来る日も雨、それも晩秋特有の雪混じりの雨にたたられて大変な毎日でした。風雪の中での柿もぎなど滅多にないのですが、悪天候続きで、天気を選ぶ余裕もなく、どんな日でも、朝になるとどの家からもシートで覆ったトラックが飛び出して行きました。

 そんな秋を通りこして、柿の出荷も全て終わり、ひと仕事の区切りがついて少しホッとしています。ひとシーズンで約8トンの柿を収穫し、脱渋を済ませ、そのほとんどを生協や共同購入会向けに、減農薬栽培の柿として産直をしています。その中で今年は、柿が黒ずんでいるとの問い合わせが二件ほどありました。その事について少し書いてみたいと思います。
 今年度の当地での農協出荷向けの柿は、殺菌剤・殺虫剤の組み合わせで、5月30日から7回行なわれました。その都度、指定された日に、薬剤調合所に行き、薬液の供給を受け防除を実施します。合計14農薬を確実に散布しないと共販はできないきまりになっています。そんな地域の環境の中で、私達は、天恵緑汁や玄米酢、木酢液などの有機資材を中心に、6農薬プラスした形での防除方法をとっています。自家製豚糞堆肥やボカシなど有機資材の投入を中心とした土づくり、除草剤を使わない草生栽培、日当たりや風通しの良い環境づくりと様々な工夫をしながら、より安全でおいしい柿作りを目指して頑張っています。
とは言え、ここは平核無柿の北限の地とも言われています。基準の半分以下の農薬でしかも厳しい気候の中で慣行栽培の柿と同じように、つややかで見た目の良い柿を作るのは大変な事です。今年のように雨続きだと、7回防除を完全実施しても、尚、園地によっては、汚染果が多かったという情報もあります。

 自分の栽培した作物をより商品価値の高いものに仕上げる為に、生産者は防除に励みます。害虫や病原菌の被害を最小限に押さえ高い市場評価を得る為に多くの労力と資金を費やし、規定通りの防除を行うのです。
見た目の良さイコール品質の良さという固定概念は、生産者側にも買い手市場にもそして消費する側にも深く浸透していて、安心安全を求めつつも、見た目の良さも捨て難い価値観として存在しているようです。
 減農薬なのだから多少のことは仕方ない、などと開き直る気持ちなど毛頭ないのですが、果樹の場合、農薬を減らせば場所(立地条件)によっては、うす墨を流したような汚染果が多くなる事を理解していただけたらと思うのです。
 加えて今年は終盤、あられやひょうの害もありました。その痕跡が黒ずみに追い打ちをかけたということもあったかと思います。期待に沿えなかった方ごめんなさい。きれいな柿の届いた方おいしかったでしょうか。

 皆様から届けられる様々の声に耳を傾け、これからも安心、安全を第一に生産技術の向上を目指して頑張っていきたいと思っています。
柿を通して私達とつながって下さった皆様に感謝をこめて“ありがとうございました!!”


庄内協同ファ-ムだより 2002年10月 発行 No.89

毎年一年生!

余目町  阿部 正雄

この間まで「暑い暑い」と言っていたのに、最近は「寒い寒い」に変わってきた。
季節の流れが早く感じるのは、歳をとったせいだろうか?稲刈りも終わり、ほっと一息つく間もなく生産調整で転作田に栽培した大豆の刈り取りが始まった。今年は8月から雨の日が多く稲刈も昨年より一週間程遅くなっているからか何か慌しい。

8月の出穂の後に続いた雨のせいで新しい病気を知った「米こうじ」というものらしい。稲穂に何か黒いものがついているのが多くみられ、何だろうと先輩の方に聞いてみると「米こうじ」というものだと教えられた。出穂の時に雨が続くと出来るものらしい。「米こうじの出来る年は豊作だ」という話も耳にしたが、結果はあまりよくなかった。

「米作りは毎年一年生」そんな言葉を思い出した。一年に一度しか作れない米、その年の天候や生育に合わせ稲作りをしていく。毎年同じものは出来ない。また、来年に向けああしよう、こうしようと考えながら準備を進めていく。
稲刈りの終わった田んぼには、もう冬の使者、「白鳥」が落穂をつばみにやって
きている。雪に大地がおおわれる前にもうひと頑張り。

スケッチ

三川町 芳賀 和子

白鳥の甲高い声に目を覚まし、まだ薄暗い早朝、隣の村の斎藤さんのハウスに向かいます。ハウスの中は薄緑色の菜の花が葉を大きく広げて育っています。春に油を採る菜の花とは違う品種で、秋に葉を食べる菜の花です。特別養護老人ホームへ菜の花を届ける当番の日、収穫するのは、柔らかい葉のところ。露地の畑と違い、露にぬれないで収穫できるのがありがたい。

町の花、菜の花を植え、学校給食に届ける活動をしているみず穂会に入っています。今年は会の役員になっているため、菜の花を役員10名で栽培しています。8月25日に播種、この日は曇り空でにわか雨も降り、真夏の作業にしては畝をつくる鍬を持ってもありがたい涼しさでしたが、この日から10日間も雨が降らず、カンカン照りの太陽が、やっと出てきた芽を枯らしていく。

気温の低くなる夕方に水をかけたり、小さな育苗カップに種をまき直して植えたりと、思わぬ作業で大変でしたが、10月10日から特別老人ホームや小中学校にも届けることが出来ました。私の小さなハウスにも、冬の間の野菜を少し蒔きました。春菊、チンゲンサイ、ターサイなど鍋物に向きそうな葉物、それと菜の花も。

近くの大学に通っている長男の学校の文化祭があり、行って来ました。学校祭の準備で毎日毎日、朝方に帰ってきては、仮眠し又準備へ行っていた息子に、「やっているかい。」と一声かけるつもりで見に行きました。
着くとすぐ「これからチェロとピアノのコンサートが始まります。」の館内放送、まずはこれをきかなっくちゃと大教室へ。お話を交えた生の演奏は素敵でした。チェロの音は人間の声に近い音なんだとか、心にしみる心地良い1時間30分でした。

庄内平野を見下ろす月山、鳥海山も冠雪を頂き、収穫の終えた田圃に、白鳥が落ち穂をついばむ姿が見える季節となり、加工場も新米でのもちつきが始まりました。夏の間、稲や枝豆の作業に汗していたメンバーが加工場に集合。活気があふれる毎日となっています。
米の精米、洗米、餅つき、袋詰め、出荷作業まで、それぞれが頑張って作っていますので、よろしくお願いいたします。


庄内協同ファ-ムだより 2002年8月 発行 No.88

有難くない贈り物

藤島町  志藤 知子

災難は思わぬ所でポッカリと口をあけて待っている。
夫が農作業中に骨折したのは、春作業真っ只中の4月15日、春野菜を植え付ける準備をしていた時のこと。自家製の豚ぷん堆肥を畑に入れようと今春購入したばかりの機械を使って運搬中のことだった。
傾斜のある進入路に向きに変えた途端、バランスが崩れて、後の両輪が浮き上がった。立て直そうとして操作している夫をハラハラしながら見ていた私の目に次に映ったのが、車体をグラグラと揺らしながら暴走する機械。ほんの数秒の事だったが、何かが起こった事を直感させ、走り寄る私に、夫は、“離れろ!!”と言う。ようやく止まった。顔を蒼白にしてゆがめ痛みをこらえている様子の夫に“どこをぶつけた?どこが痛い?”と矢次早に問う私。苦痛に顔をゆがめ、機械から降りた夫は1、2歩歩くと腰をおろし、右足の長靴を脱ぎながら“やってしまった。”とつぶやいた。

事態を察した私は、家に駆け戻り、母に事情を告げると、着替える余裕もなく、保険証を握りしめ、堆肥の臭いをつけたまま、夫を病院に運んだ。救急の待合での時間の長かったこと長かったこと。結果は右足の甲の骨折。添木をして、松葉杖で現れた夫は、私に向かって苦笑した。
まだ半分を残していた稲の種蒔き、これからが忙しい本田の準備。そして田植。先の仕事を心配する私に“大丈夫、何とか乗切れる。”と励ましたのは、夫のほうだった。“そう、悲観的になるな。”と言いつつ、自分自身を元気付けていたのかもしれない。

あれから4ヶ月。どうなることかと思った春作業も、周囲のたくさんの人達の暖かい応援のおかげで、どうにか乗切ることができ、田んぼも、畑もそして豚舎の方も何事もなかったかのように、回っている。夫の足も、今ではすっかりと腫れも引き、以前にはいていた靴が、スムーズにはける程に回復した。二階の寝室にも上がれず、二人で階下の子供の部屋に寝泊りした一ヶ月間が今では夢のような感じだ。

8月下旬、今、庄内平野は、こごみ始めた稲穂が風に揺れて、とても美しい。黄金色になりきる前の、活力に満ちた今の時期の風景が私は好きだ。
“春の事件”があっただけに、今年のこの恵みはひとしお嬉しく、健康で働ける有難さが身に沁みる。やっぱり今年も早々に思わぬプレゼントをもらってしまった。
毎年、あの手、この手のプレゼントです。

スケッチ

鶴岡市  佐藤 清輔

とある枝豆農家の息子は、家業も継がずに高校生とじゃれあっている。
休みの日に実家に戻り家の枝豆収穫の手伝いをする中でつれづれなるままにこんなことを考えた。

物言はぬ枝豆はどれほどのことを人に伝えているのだろうか?
枝豆に口がついていたらいいと思った。
「オレは明日あたりが食べごろだ」
「私にもっと水を飲ませてください」
「体の調子がおかしいから何とかしてくれよ~」
それに対して口のついている高校生はよくしゃべる。
ああいえばこういう「だって~」「っていうか~」と口数の減らない高校生と何もしゃべらない枝豆とどちらが扱いやすいのか、一概には言えない。

天気の良い日悪い日にかまわず毎日小さな部屋に何人も詰め込まれて聞きたくもない話を聞いて育つ子より、天と地の恵みをいっぱい体に浴びて育つこのほうが、自然であり、すばらしいと思うがそのすばらしい子を育てていくのは小さな部屋で育った子であるということがおもしろいところだなあと思った。
生徒にならば「思い」を直接届けることが出来る。しかし、百姓は「思い」を枝豆やその他の農産物にこめてお客様に届なければならない。
本当に難しくてだからこそやりがいがあることだ。

今年は雨降りの日に手伝った記憶しかないといってもいいくらいだった。
私が畑に出ると雨が降ってくる。
それが苦でなかったのは自分がこの「だだちゃ豆」と両親、家族に育てられたという感謝の思いを感じているからだ。

そして最後に父と母へ
体に気を付けてください。何がなくても健康であれば一応は幸せだし、やっていけます。そしてよく考えるとそれが一番幸せなのかもしれないと思います。

愚息 清輔

※清輔君は代表理事佐藤清夫の長男で別の町で現在高校の教師をしています。
   休みの日は、家に戻り農作業を手伝っています。


庄内協同ファ-ムだより 2002年7月 発行 No.87

有機栽培認証に取り組んで

三川町  芳賀 修一

 例年にない例日の雨が続いた梅雨も、やっと明け、いきなり猛暑となり汗だくの毎日です。
庄内協同ファームで、有機認証制度に取り組んで3年目
私は,一昨年から枝豆、今年から枝豆と水稲を取り組んでいます。

ダダチャマメ

 枝豆は3年間有機栽培を継続したので、転換中の文字が取れ本当の有機栽培の豆が出荷できます。但し、面積を拡大しているので転換中の物と両方区別しながらの出荷となり、混じらないように注意しなければなりません。
 畑の状態は、長雨の影響で下の葉っぱが黄変し、草型が小さく豆の成りも少なく収量が心配です。
 もうすぐ、収穫を迎えますが、昨年はお盆頃から葉ダニが大発生し、唐辛子エキスを3回散布しても止まらず,実入りを悪くし、収穫をあきらめた場所もありました。今年は、もう一つ「ニーム」(インドセンダン)の葉と実を煎じたエキスを掛ける予定です。ニームは最近殺虫効果がある植物として脚光を浴びており、有機栽培で使われ始めました。

水稲

  水稲の方は、今年から庄内協同ファームのメンバー10人ほどで紙マルチ田植機を購入し、私は50㌃作付けしました。
 作業は通常の田植機の3倍も時間が掛かりましたが、慣れればそう苦にならない作業でした。
 紙の除草効果は抜群で、水を足すだけのほったらかしで、なにも生えていません。紙の隙間はコナギが大発生で効果の比較が一目で分かります。
 但し、当初期待されたイネミズゾウムシの発生抑制は出来ず、畦畔周辺2㍍ぐらいは、生育が停滞し、今でも5~6本の分けつしか有りません。(通常一株20本以上になる)収穫量は通常の7割いけば良い方で、まだまだ経済効果は期待できず、実験段階です。

有機認証制度について

今年の枝豆の袋に印刷された有機JASマークを見ながら、どれ程の人がこのマークの意味を理解しているのか心配になりました。
 認証のマークは印刷すればいくらでも出来そうな気もしますが、このマークを取得するまでの膨大な手間、と費用、そして生産の記録、報告、監査、等等書ききれないほどの行程が有ります。そしてマークやシールは廃棄も含めて厳重に数量管理され他に流用できない仕組みに成っています。
 しかし、残念ながらマーク一つで有機農産物としての商品形態を表しており、法律で規制された間違いのない表示として一人歩きしてしまい、生産した私達の思いや、苦労、喜びも伝わってゆかない気がします。
 農産物を取り扱いする人達にとって表示が無かった時代は、栽培方法、生産者の紹介等、様々の方法で農産物の持っている情報を伝え宣伝して売り込みますが、認証農産物は、説明の必要のない間違いのない商品として売り込まれがちです。
 認証の仕組みは、消費者にとって品質を間違い無く法律で認定してくれる事で選択をし易くする意味がありますが、逆に昨今の表示へ疑問が広がる中で、信頼が薄らぐ事が心配です。
生産者としても、認証されたことで安心せず、より多くの情報や、思いを伝えることが必要と思います。

スケッチ ~私にとって絵を書くと言うこと~

余目町 富樫 裕子

夜、電話に出た私の耳に「こんばんは、菊です」となつかしい声。成田に着いて、今遼子の所にいるという。彼女は両親とも日本人だが、ドイツ生まれのドイツ育ち。次女が高校一年の時、半年間我が家にホームステイしていたのだが、夏休みを利用しての日本に遊びに来たらしい。お盆に遼子と一緒に帰ってくると言う。「成長したのか」の問いに「変わりませんよ」の後、しばらくして「ウフッフッ、庄内弁なつかしい」の声。5年ぶりだろうか、彼女ももう大学生。時がたつのは早いものです。しかし考えてみると、菊ちゃんがドイツに去ってからの5年の間に我が家はなんと次から次へと色んな事が起きたろうか。まずは、次女のアメリカでの一年間の高校生留学。帰ってくるまで心配の連続で、心休まない日が続いた事。そして、その後の大学受験。そして忙しい稲刈りと花の収穫を前に私の突然の入院。何ヶ月もの間、夫を落胆させ奈落の底に突き落としてしまった。

 その後、100歳にあと一歩という97歳で逝ってしまった祖父。大学を卒業し、長野の大学校に研修に行き、やっと就農かという長女といれかわる様に3ヶ月あまりの闘病の末、亡くなってしまった舅。やっと落ちついたかと思った矢先、長女が以前から付き合っていた人と結婚したいという。母ひとり子ひとりの彼との結婚は、夫も私の気持ちも重くした。結婚は許したものの、お互いの立場から、どういった選択、生き方をしていくのか悩んだ末に、サザエさんのマスオさんの形で、彼は私たちと一緒に農業をする事になった。今年の4月には孫も生まれ、娘はもっぱら子育てに忙しく、彼と一緒に農業をするのは、夫と私。慣れない仕事に嫌な顔もみせず、明るく振るまってくれる新しい息子に感謝している。「友達に農業する事になったと言うと、必ずビックリする。夢のある仕事だと思うんだけどなあ」と彼は、ラズベリーで観光農園をやりたいという娘の夢を一緒に叶えるべく、家の仕事の合間をみては、今年買って植え付けた苗の手入れに余念がない。

「農業はふたりでやるから楽しいんで、ひとりでやっても楽しくないぞ」そう娘に言い続けた私としては、良きパートナーが出来てほんとうに良かったと思っている。互いに助け合いながら仲良く農業をやっていってほしいと願っている。  早朝、夫と2人で田の畦の草刈をする。私にとっては、今年で26回目の稲作りだ。2人並んで草刈機を動かしながら、ひとりやっても楽しくない、ふたりだから草刈も楽しいんだよネと夫の方を見ると脇目もふらず、ひたすら前を見て機械を動かしている。今は青々としている稲たちも、もうすぐ白い可憐な花を咲かせる。今年の稲刈りはいつ頃になるだろうか。それまでは台風なんか来ません様にと願いながら、私も夫に負けずと機械を動かした。キーン、キーン。2人の草刈機の音が、青い空に響き渡った。

とがし家

とがし家


庄内協同ファ-ムだより 2002年6月 発行 No.86

日々 !!

野口吉男  藤島町

今年も半年を過ぎようとしています。春から天気の変動に悩まされている今日この頃です。
今はサッカーのワールドカップで盛り上がっていますが、国内は経済の停滞、政治への不信、食品への不信など多くの問題が噴出して何を信用すればいいのか判らない状況に陥っています。
このような中で私達は、いろいろ試行錯誤を重ねながら現在有機栽培の農産物を生産しているわけですが、誰もが、簡単に取り組める状況にならないもどかしさを感じています。早く確立した栽培技術を見つけたいと考えています。

6月11日に有機認証機関のアファスによる圃場検査と書類の検査が行われました。最初は家で台帳、作業日誌の検査と確認などをした後、雨の中、圃場の畝畔を回りながら検査を受け稲の状態、土の状態、周りの状態、水路などを詳しく見てもらいました。その後もう一度戻って稲倉などを見た後、去年の台帳や納品書の確認をして終わりました。毎年多くの台帳の記帳と毎日の作業日誌の記録、今までの農業にはなかったシステムに戸惑いはありましたが、3年目に入り新たな気持ちで毎日の記録をしています。

現在、有機栽培の稲のほうは、風とイネミズゾウムシに痛めつけられところをカラスに潰されなくなった稲も多くあり生育の遅れが見られます。6月8日にファームの米部会で圃場を回ったときにもいろいろ対策を取ったが(私の場合は、草刈を2回終了する)、イネミズゾウムシで田の周りが縁を取ったように白く見えるところがあり、皆これには本当に困っていることがわかりました。(カモの入っている圃場はきれいでした) 今後イネミズゾウムシを減らすためどうするか考えなければならないと思っています。 今年もトロトロ層による雑草の防除をやっていますが、現在ヒエとコナギ等が発生しています。去年より米ぬかを多めに散布したがこれからの雑草の発生度を注目し来年に向けての対策を考えるつもりです。

6月17日に今年初めて除草機を押しました。暑い中田の中を歩くのは大変きつい作業で100m歩いては汗を拭き拭き押しています。いかに普段歩いていないかあらためて思い知らされています。除草機を押しながら稲を見るとイネミズゾウムシに変わりイネドロオイムシ、イナゴがついていました。雑草のほうは思ったより発生している面積が少なくホッとしています。これからも収穫までにはいろいろあると思いますが気を引き締めて取り組みたいと考えています。(このようにして見ると、昔の人は農薬や除草剤もない中で毎日大変な苦労をして栽培していたことが改めて思われます。)
6月14日、15日にファームの研修があり、農家のライスセンター、加工施設、宿泊施設、また食品加工会社、酒造会社などを見学する。地元にいながら見ることのなかった施設なども見ることができ、地元にも知らない所が在ることを考えさせられました。

スケッチ ~私にとって絵を書くと言うこと~

鶴岡市 五十嵐ひろ子

今年、我が家では90aの水田を紙マルチの田植にした。周りの田んぼと比べるといくらか生育が遅れているように見えるが、紙マルチがしっかりと雑草の生育を抑えているという確かな安心感がある。重労働だった田植作業も、青々と広がる田んぼに癒される感じである。
 そんな我が家の田んぼを横目に見ながら今日は、学校へと車を走らせる。
 2年程前から地元の小学校の図工の授業で絵の指導をしている。というよりも一緒に楽しんで絵を描いているというほうが正しい。学校が週休二日制にになり、地域の人達とつながりを持ちながら、ゆとりある教育ということなのだろう。

 全国的に子供の数が減少している中、例にもれずこのこの小学校の生徒数も年々減少しており、全校生徒数が100人を切っているとのこと。
 職員室で挨拶をして、一年生の担任の先生と教室に入ると、目をまんまるにしてみんな緊張した表情だ。でも本当は私のほうがもっと緊張しているのだ。
 一年生は赤川の花火大会に出品するポスターを描くのだが、筆は使わず、パレットに絞った絵の具を指につけて書くという方法にする。紺や灰色等の濃い色の色面用紙を配って、さっそく真新しい絵の具で色づけされていく。赤、黄、橙、子供達は顔や髪まで絵の具を付けながら大奮闘して個性的な絵が出来上がった。
 子供たちの絵から学ぶことはとても多い。今井繁二郎先生は、生前に「君達の絵に足りないものは遊び心だ。子供達の絵から学びなさい」とよく話しておられた事を思い出す。
「筆洗い用の黄色いバケツには水を入れ過ぎないようにしなさい」と先生の言葉も空しく、バケツにいっぱい水を入れ、たっぽん、たっぽんとこぼしながら行くB君の後から、ズボンを膝までまくり上げて裸足で雑巾を拭きながら追いかける先生。体格のいい男の先生は汗まみれになって奮闘する姿に私も思わず苦笑する。

 後日、先生からA子ちゃんのポスターがコンクールで入賞したと電話をもらったときは本当に嬉しかった。
5,6年生は『動きある人物の書き方』ということで、スポ少のサッカーやバトミントンの場面を絵にするのだが高学年ならばある程度デッサン力も期待したいと思った。下描きした絵を見せてもらうと体の割に腕や足が短いので、絵全体が貧弱になっていた。顔の表情とか手や足をしっかり描く事により、画面全体が引き締まったものになる。意を決して私は、こういった「君達が描いている腕の長さでは、男子はオシッコする時チンチンに手が届かないぞ!」。笑いをとるかをかうか。結果は上々だった。担任の女の先生も笑っていた。

こんな風に地域の人達とかかわり合いながら華の40代も過ぎようとしている。
この頃強く思うのは、描きたい絵の方向性がぼんやりながら見えてきたこと。農業をやっていて自然の中から感じとれる風、光、匂いを表現できたら素敵だ。
本業は農業である。認証を得ての米作りがあり枝豆があり、漬物加工がありメロン、へちまがある。これからの50才代はがむしゃらに働くだけでなく、美しいものを美しいと感じる感性を持ち続けながら、ゆったりと暮らしたい。


庄内協同ファ-ムだより 2002年5月 発行 No.85

紙マルチ田植えに取組んで

三川町 菅原 孝明

今年は、桜が平年より10日も早く咲き温暖な春作業で出発しましたが 平年になく寒い田植えになりました。昔から言われるように、季節はずれの暖かさが続くとその反動がどこかにくるという心配が的中してしまいました。強風と低温で苗は痛めつけられ、この頃インフルエンザが流行っているように、苗達も元気がありません。これからの天候の回復を願っています。
今年度から、有機栽培米面積の拡大を目指して協同ファーム組合員で、紙マルチ田植え機を導入しました。11名が取組み、慣れない機械の為みんな悪戦苦闘しています。
田面に除草対策として再生紙を敷きながら、その上に苗を植えていく田植え機です。苗の生育が遅れないように地温を上げる為、活生炭で着色した黒の再生紙を使います。60日間田面を覆い土に戻っていきます。除草対策としてはおおむね良好ですが、再生紙のコスト高が問題点として残り、又機械の作業能率が普通田植え機の3倍もかかります。後の草取り作業のことを考えて、ゆっくり進む作業です。

能率本位の作業を行ってきたいままでの考え方を大幅に切り替えなければなりません。今まで、合い鴨、鯉、トロトロ層等の農法を色々やってきましたが、サギに鯉が食べられたり、仕事を終えた鴨の処理に困ったり、苗のほうに害を与えたり、除草効果がいまいちだったり、どの方法も一長一短があります。紙マルチ農法の長所を生かし、沢山の有機米を皆さんにお届けできるよう頑張りますので楽しみにしていてください。

山形庄内平野の米作りが、小学校の社会科の教科書に載ったのがきっかけで、私の町では横浜の小学校との交流が始まり、昨年より農業体験として、田植え、メロン収穫などの2泊3日の修学旅行が行われています。その中で環境にやさしい農法という事で、私がやっている合鴨農法の田圃に見学にやって来ます。今から色々の質問がFAXで届いており、稲を食べる害虫はどんな種類がありますか等、米作りを一生懸命に勉強してきます。昨年は合鴨の役目を勉強してきました。鴨たちの役割は、草取り作業、虫を食べてくれる、土をかき混ぜて稲を元気にしてくれるなど、専門的な考えや見方がどんどん出てきます。その中で小学生に教わった事がありました。「鴨は、人を楽しませてくれます。」と言う意見でした。なるほど………

農作業の忙しさに追われ、ただ一目散に働くばかりでそんなゆとりがあったのか……と考えさせられました。いや私自身合鴨に楽しまされて農作業をしていたと再認識しました。
その鴨も今年は5月25日に田圃に入り、小学生は6月中旬にやってきます。今は、紙マルチ栽培の勉強をしているようで、賑やかな田圃のにわか学級で又今年も子供達に教えられることを楽しみにしているところです。この厳しい農業環境のなかでも楽しい農業をやりたいものです。

スケッチ

鶴岡市 冨樫 静子

今年は例年になく、季節が急いでいるようで、家のうらに咲くカタクリの花もいつもより10日位も早く咲きびっくりしました。また、小さな可憐な野の花たちも一斉に咲き、カエルも苗代に卵を産みつけています。自然の営みがやはり早くなっています。
1ヶ月前に播種された苗は、ビニールハウスの中で順調に育ち、グリーンのじゅうたんを敷き詰めたようでとてもきれいです。農薬を使っていない苗は、管理のミスで一晩で使い物にならなかったりするので気が抜けません。

昔から苗半作といって、苗の出来、不出来が収量に大きく影響します。栽培担当者の息子曰く「今年の苗は根っこが良くまあまあの出来ばえだの」就農3年目で少しずつ自信をつけてきたようです。
田んぼの代掻きも終え、いよいよ田植えのスタートです。庄内平野は息を吹き返した様に活気づきます。水田の水鏡にグリーンが映えとても美しい景色です。5日間かかりやっと田植えも終わりホッとしている矢先に、イネミズゾウムシの害虫が発生したと聞かされ、植え付けられたばかりなのに招かざる客の訪れに頭をかかえています。繁殖を抑える為に努力しているようです。

放っておけば葉や根が食害され、ひどい場合は稲がなくなってしまい、大変な減収につながります。安全な作物を生産するには、大変なリスクを伴います。手におえなくなる病害虫もあることを覚悟の上で、安全を第一に考え、作りたいように作っていく姿勢を変えず、家族が一つになって頑張っていけば、それに対する対策がみつかり乗り越えられるのだと思います。


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