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庄内協同ファ-ムだより 2002年11月 発行 No.90

田舎が元気じゃないと、都会も元気にならない!

鶴岡市  冨樫 俊一

 秋を飛び越え冬がやって来た。そんな言葉がぴったりの11月中旬の天気であった。連日の雨やみぞれ。そして、ついには本降りの雪の到来。
おかげで大豆や自然乾燥の稲などは、収穫や調整が出来ずに大変な思いをした年である。ちょうど今年1年の農業情勢と良く似ている。
 BSEに始まり、偽装表示、そして無登録農薬問題と農家にとっては大嵐の1年であった。

 安全とおいしさ。そして「生命力のある食べ物」作りを目指して頑張ってきた我家でも、今年は手痛い洗礼を受けることとなった。イネミズゾウ虫の大発生で田植をしたはずの苗が消えてゆく。必死に対策を講じる息子の努力をあざ笑うかのように、その勢いは止まるすべを知らない。御陰様で反収4俵という原価割れの結果に相成った。経営者としては「早くあきらめて農薬を散布したら…」と思うのであるが、一方では私達がずーっと目指してきた目標にむかって必死に頑張ってきた結果だから仕方ない。アフガンや北朝鮮に比べたらまだ天国よ!と自分に言い聞かせる。納得させる。うーん。これだけ化学が進歩したというのにイネミズゾウ虫ぐらいに手を焼いているとは情けないものである。化学肥料や化学農薬を使わないで作物を作るということは大変なことで、まさに江戸時代へタイムスリップしたようなもので、手探りでやっていくしかないのである。

 こんなにひーひー言いながらやっているというのに、一方では無登録農薬問題で尾ひれがつき、特定農薬ということで有機栽培で使用されている資材で例えば食酢、トウガラシとか牛乳とか土壌消毒する為の熱湯でさえも国で認めなければ無登録農薬扱いにされるとか?
 今まで農薬散布の旗振りをしてきた農水省。消費者意識が変わるやいなや変わり身の早いこと。今度は一転、環境保全型農業と来たもんだ。こんな人達に認めてもらわないと有機栽培も出来ないとは。もう本当になにおか言わんやだ。
 そんなあなた達へ贈りたい賞があります。田中さんが話題になったノーベル賞ならぬ「農、減る賞」を記念に受け取ってください。迷惑している農家、消費者から哀を込めて贈りたいと思います。

 とはいえ、世の中どうあろうとも食べ物がなければ私達は生きてゆけません。身体は食べ物で出来ています。食料の海外依存率が60%を越える今、消費者と生産者が本気になって「食べ物」を考える時期にきています。日本の中核農家の平均年齢は67歳を越えようとしています。食料の自給率向上を決めた国会決議はどこへ吹っ飛んだやら!衛営とつないできた農業をここで途絶えさせてはならない。
 生産者と消費者が互いに支えあい、互いに安心安全の生活が出来るようにもう一踏んばり頑張りましょう。
 田舎が元気じゃないと、都会も元気にならない。

 協同ファームではいよいよ餅つきの最盛期を迎えます。今年も安全安心で美味しい田舎の元気を皆さんにお届けします。楽しみに待っていてください。それでは、また会いましょう。
あー、忙しい忙しい。

スケッチ 柿の収穫を終えて

藤島町 志藤 知子

 東北の冬の訪れは早く、11月初めからの雪混じりの冷たい雨が、厳しい季節の到来を思わせます。今年は、ゆっくりと紅葉を楽しむ天気にも、時間にも恵まれず忍び寄る冬に全てを奪われないように、収穫を急ぎ、雪の前に片付けなければならない作業に追われて、短い秋の日は飛ぶように過ぎていきます。

 我が家では、柿の収穫と青豆の刈り取りが終われば今年の作物は全て終了なのですが、今秋は来る日も来る日も雨、それも晩秋特有の雪混じりの雨にたたられて大変な毎日でした。風雪の中での柿もぎなど滅多にないのですが、悪天候続きで、天気を選ぶ余裕もなく、どんな日でも、朝になるとどの家からもシートで覆ったトラックが飛び出して行きました。

 そんな秋を通りこして、柿の出荷も全て終わり、ひと仕事の区切りがついて少しホッとしています。ひとシーズンで約8トンの柿を収穫し、脱渋を済ませ、そのほとんどを生協や共同購入会向けに、減農薬栽培の柿として産直をしています。その中で今年は、柿が黒ずんでいるとの問い合わせが二件ほどありました。その事について少し書いてみたいと思います。
 今年度の当地での農協出荷向けの柿は、殺菌剤・殺虫剤の組み合わせで、5月30日から7回行なわれました。その都度、指定された日に、薬剤調合所に行き、薬液の供給を受け防除を実施します。合計14農薬を確実に散布しないと共販はできないきまりになっています。そんな地域の環境の中で、私達は、天恵緑汁や玄米酢、木酢液などの有機資材を中心に、6農薬プラスした形での防除方法をとっています。自家製豚糞堆肥やボカシなど有機資材の投入を中心とした土づくり、除草剤を使わない草生栽培、日当たりや風通しの良い環境づくりと様々な工夫をしながら、より安全でおいしい柿作りを目指して頑張っています。
とは言え、ここは平核無柿の北限の地とも言われています。基準の半分以下の農薬でしかも厳しい気候の中で慣行栽培の柿と同じように、つややかで見た目の良い柿を作るのは大変な事です。今年のように雨続きだと、7回防除を完全実施しても、尚、園地によっては、汚染果が多かったという情報もあります。

 自分の栽培した作物をより商品価値の高いものに仕上げる為に、生産者は防除に励みます。害虫や病原菌の被害を最小限に押さえ高い市場評価を得る為に多くの労力と資金を費やし、規定通りの防除を行うのです。
見た目の良さイコール品質の良さという固定概念は、生産者側にも買い手市場にもそして消費する側にも深く浸透していて、安心安全を求めつつも、見た目の良さも捨て難い価値観として存在しているようです。
 減農薬なのだから多少のことは仕方ない、などと開き直る気持ちなど毛頭ないのですが、果樹の場合、農薬を減らせば場所(立地条件)によっては、うす墨を流したような汚染果が多くなる事を理解していただけたらと思うのです。
 加えて今年は終盤、あられやひょうの害もありました。その痕跡が黒ずみに追い打ちをかけたということもあったかと思います。期待に沿えなかった方ごめんなさい。きれいな柿の届いた方おいしかったでしょうか。

 皆様から届けられる様々の声に耳を傾け、これからも安心、安全を第一に生産技術の向上を目指して頑張っていきたいと思っています。
柿を通して私達とつながって下さった皆様に感謝をこめて“ありがとうございました!!”


庄内協同ファ-ムだより 2002年10月 発行 No.89

毎年一年生!

余目町  阿部 正雄

この間まで「暑い暑い」と言っていたのに、最近は「寒い寒い」に変わってきた。
季節の流れが早く感じるのは、歳をとったせいだろうか?稲刈りも終わり、ほっと一息つく間もなく生産調整で転作田に栽培した大豆の刈り取りが始まった。今年は8月から雨の日が多く稲刈も昨年より一週間程遅くなっているからか何か慌しい。

8月の出穂の後に続いた雨のせいで新しい病気を知った「米こうじ」というものらしい。稲穂に何か黒いものがついているのが多くみられ、何だろうと先輩の方に聞いてみると「米こうじ」というものだと教えられた。出穂の時に雨が続くと出来るものらしい。「米こうじの出来る年は豊作だ」という話も耳にしたが、結果はあまりよくなかった。

「米作りは毎年一年生」そんな言葉を思い出した。一年に一度しか作れない米、その年の天候や生育に合わせ稲作りをしていく。毎年同じものは出来ない。また、来年に向けああしよう、こうしようと考えながら準備を進めていく。
稲刈りの終わった田んぼには、もう冬の使者、「白鳥」が落穂をつばみにやって
きている。雪に大地がおおわれる前にもうひと頑張り。

スケッチ

三川町 芳賀 和子

白鳥の甲高い声に目を覚まし、まだ薄暗い早朝、隣の村の斎藤さんのハウスに向かいます。ハウスの中は薄緑色の菜の花が葉を大きく広げて育っています。春に油を採る菜の花とは違う品種で、秋に葉を食べる菜の花です。特別養護老人ホームへ菜の花を届ける当番の日、収穫するのは、柔らかい葉のところ。露地の畑と違い、露にぬれないで収穫できるのがありがたい。

町の花、菜の花を植え、学校給食に届ける活動をしているみず穂会に入っています。今年は会の役員になっているため、菜の花を役員10名で栽培しています。8月25日に播種、この日は曇り空でにわか雨も降り、真夏の作業にしては畝をつくる鍬を持ってもありがたい涼しさでしたが、この日から10日間も雨が降らず、カンカン照りの太陽が、やっと出てきた芽を枯らしていく。

気温の低くなる夕方に水をかけたり、小さな育苗カップに種をまき直して植えたりと、思わぬ作業で大変でしたが、10月10日から特別老人ホームや小中学校にも届けることが出来ました。私の小さなハウスにも、冬の間の野菜を少し蒔きました。春菊、チンゲンサイ、ターサイなど鍋物に向きそうな葉物、それと菜の花も。

近くの大学に通っている長男の学校の文化祭があり、行って来ました。学校祭の準備で毎日毎日、朝方に帰ってきては、仮眠し又準備へ行っていた息子に、「やっているかい。」と一声かけるつもりで見に行きました。
着くとすぐ「これからチェロとピアノのコンサートが始まります。」の館内放送、まずはこれをきかなっくちゃと大教室へ。お話を交えた生の演奏は素敵でした。チェロの音は人間の声に近い音なんだとか、心にしみる心地良い1時間30分でした。

庄内平野を見下ろす月山、鳥海山も冠雪を頂き、収穫の終えた田圃に、白鳥が落ち穂をついばむ姿が見える季節となり、加工場も新米でのもちつきが始まりました。夏の間、稲や枝豆の作業に汗していたメンバーが加工場に集合。活気があふれる毎日となっています。
米の精米、洗米、餅つき、袋詰め、出荷作業まで、それぞれが頑張って作っていますので、よろしくお願いいたします。


庄内協同ファ-ムだより 2002年8月 発行 No.88

有難くない贈り物

藤島町  志藤 知子

災難は思わぬ所でポッカリと口をあけて待っている。
夫が農作業中に骨折したのは、春作業真っ只中の4月15日、春野菜を植え付ける準備をしていた時のこと。自家製の豚ぷん堆肥を畑に入れようと今春購入したばかりの機械を使って運搬中のことだった。
傾斜のある進入路に向きに変えた途端、バランスが崩れて、後の両輪が浮き上がった。立て直そうとして操作している夫をハラハラしながら見ていた私の目に次に映ったのが、車体をグラグラと揺らしながら暴走する機械。ほんの数秒の事だったが、何かが起こった事を直感させ、走り寄る私に、夫は、“離れろ!!”と言う。ようやく止まった。顔を蒼白にしてゆがめ痛みをこらえている様子の夫に“どこをぶつけた?どこが痛い?”と矢次早に問う私。苦痛に顔をゆがめ、機械から降りた夫は1、2歩歩くと腰をおろし、右足の長靴を脱ぎながら“やってしまった。”とつぶやいた。

事態を察した私は、家に駆け戻り、母に事情を告げると、着替える余裕もなく、保険証を握りしめ、堆肥の臭いをつけたまま、夫を病院に運んだ。救急の待合での時間の長かったこと長かったこと。結果は右足の甲の骨折。添木をして、松葉杖で現れた夫は、私に向かって苦笑した。
まだ半分を残していた稲の種蒔き、これからが忙しい本田の準備。そして田植。先の仕事を心配する私に“大丈夫、何とか乗切れる。”と励ましたのは、夫のほうだった。“そう、悲観的になるな。”と言いつつ、自分自身を元気付けていたのかもしれない。

あれから4ヶ月。どうなることかと思った春作業も、周囲のたくさんの人達の暖かい応援のおかげで、どうにか乗切ることができ、田んぼも、畑もそして豚舎の方も何事もなかったかのように、回っている。夫の足も、今ではすっかりと腫れも引き、以前にはいていた靴が、スムーズにはける程に回復した。二階の寝室にも上がれず、二人で階下の子供の部屋に寝泊りした一ヶ月間が今では夢のような感じだ。

8月下旬、今、庄内平野は、こごみ始めた稲穂が風に揺れて、とても美しい。黄金色になりきる前の、活力に満ちた今の時期の風景が私は好きだ。
“春の事件”があっただけに、今年のこの恵みはひとしお嬉しく、健康で働ける有難さが身に沁みる。やっぱり今年も早々に思わぬプレゼントをもらってしまった。
毎年、あの手、この手のプレゼントです。

スケッチ

鶴岡市  佐藤 清輔

とある枝豆農家の息子は、家業も継がずに高校生とじゃれあっている。
休みの日に実家に戻り家の枝豆収穫の手伝いをする中でつれづれなるままにこんなことを考えた。

物言はぬ枝豆はどれほどのことを人に伝えているのだろうか?
枝豆に口がついていたらいいと思った。
「オレは明日あたりが食べごろだ」
「私にもっと水を飲ませてください」
「体の調子がおかしいから何とかしてくれよ~」
それに対して口のついている高校生はよくしゃべる。
ああいえばこういう「だって~」「っていうか~」と口数の減らない高校生と何もしゃべらない枝豆とどちらが扱いやすいのか、一概には言えない。

天気の良い日悪い日にかまわず毎日小さな部屋に何人も詰め込まれて聞きたくもない話を聞いて育つ子より、天と地の恵みをいっぱい体に浴びて育つこのほうが、自然であり、すばらしいと思うがそのすばらしい子を育てていくのは小さな部屋で育った子であるということがおもしろいところだなあと思った。
生徒にならば「思い」を直接届けることが出来る。しかし、百姓は「思い」を枝豆やその他の農産物にこめてお客様に届なければならない。
本当に難しくてだからこそやりがいがあることだ。

今年は雨降りの日に手伝った記憶しかないといってもいいくらいだった。
私が畑に出ると雨が降ってくる。
それが苦でなかったのは自分がこの「だだちゃ豆」と両親、家族に育てられたという感謝の思いを感じているからだ。

そして最後に父と母へ
体に気を付けてください。何がなくても健康であれば一応は幸せだし、やっていけます。そしてよく考えるとそれが一番幸せなのかもしれないと思います。

愚息 清輔

※清輔君は代表理事佐藤清夫の長男で別の町で現在高校の教師をしています。
   休みの日は、家に戻り農作業を手伝っています。


庄内協同ファ-ムだより 2002年7月 発行 No.87

有機栽培認証に取り組んで

三川町  芳賀 修一

 例年にない例日の雨が続いた梅雨も、やっと明け、いきなり猛暑となり汗だくの毎日です。
庄内協同ファームで、有機認証制度に取り組んで3年目
私は,一昨年から枝豆、今年から枝豆と水稲を取り組んでいます。

ダダチャマメ

 枝豆は3年間有機栽培を継続したので、転換中の文字が取れ本当の有機栽培の豆が出荷できます。但し、面積を拡大しているので転換中の物と両方区別しながらの出荷となり、混じらないように注意しなければなりません。
 畑の状態は、長雨の影響で下の葉っぱが黄変し、草型が小さく豆の成りも少なく収量が心配です。
 もうすぐ、収穫を迎えますが、昨年はお盆頃から葉ダニが大発生し、唐辛子エキスを3回散布しても止まらず,実入りを悪くし、収穫をあきらめた場所もありました。今年は、もう一つ「ニーム」(インドセンダン)の葉と実を煎じたエキスを掛ける予定です。ニームは最近殺虫効果がある植物として脚光を浴びており、有機栽培で使われ始めました。

水稲

  水稲の方は、今年から庄内協同ファームのメンバー10人ほどで紙マルチ田植機を購入し、私は50㌃作付けしました。
 作業は通常の田植機の3倍も時間が掛かりましたが、慣れればそう苦にならない作業でした。
 紙の除草効果は抜群で、水を足すだけのほったらかしで、なにも生えていません。紙の隙間はコナギが大発生で効果の比較が一目で分かります。
 但し、当初期待されたイネミズゾウムシの発生抑制は出来ず、畦畔周辺2㍍ぐらいは、生育が停滞し、今でも5~6本の分けつしか有りません。(通常一株20本以上になる)収穫量は通常の7割いけば良い方で、まだまだ経済効果は期待できず、実験段階です。

有機認証制度について

今年の枝豆の袋に印刷された有機JASマークを見ながら、どれ程の人がこのマークの意味を理解しているのか心配になりました。
 認証のマークは印刷すればいくらでも出来そうな気もしますが、このマークを取得するまでの膨大な手間、と費用、そして生産の記録、報告、監査、等等書ききれないほどの行程が有ります。そしてマークやシールは廃棄も含めて厳重に数量管理され他に流用できない仕組みに成っています。
 しかし、残念ながらマーク一つで有機農産物としての商品形態を表しており、法律で規制された間違いのない表示として一人歩きしてしまい、生産した私達の思いや、苦労、喜びも伝わってゆかない気がします。
 農産物を取り扱いする人達にとって表示が無かった時代は、栽培方法、生産者の紹介等、様々の方法で農産物の持っている情報を伝え宣伝して売り込みますが、認証農産物は、説明の必要のない間違いのない商品として売り込まれがちです。
 認証の仕組みは、消費者にとって品質を間違い無く法律で認定してくれる事で選択をし易くする意味がありますが、逆に昨今の表示へ疑問が広がる中で、信頼が薄らぐ事が心配です。
生産者としても、認証されたことで安心せず、より多くの情報や、思いを伝えることが必要と思います。

スケッチ ~私にとって絵を書くと言うこと~

余目町 富樫 裕子

夜、電話に出た私の耳に「こんばんは、菊です」となつかしい声。成田に着いて、今遼子の所にいるという。彼女は両親とも日本人だが、ドイツ生まれのドイツ育ち。次女が高校一年の時、半年間我が家にホームステイしていたのだが、夏休みを利用しての日本に遊びに来たらしい。お盆に遼子と一緒に帰ってくると言う。「成長したのか」の問いに「変わりませんよ」の後、しばらくして「ウフッフッ、庄内弁なつかしい」の声。5年ぶりだろうか、彼女ももう大学生。時がたつのは早いものです。しかし考えてみると、菊ちゃんがドイツに去ってからの5年の間に我が家はなんと次から次へと色んな事が起きたろうか。まずは、次女のアメリカでの一年間の高校生留学。帰ってくるまで心配の連続で、心休まない日が続いた事。そして、その後の大学受験。そして忙しい稲刈りと花の収穫を前に私の突然の入院。何ヶ月もの間、夫を落胆させ奈落の底に突き落としてしまった。

 その後、100歳にあと一歩という97歳で逝ってしまった祖父。大学を卒業し、長野の大学校に研修に行き、やっと就農かという長女といれかわる様に3ヶ月あまりの闘病の末、亡くなってしまった舅。やっと落ちついたかと思った矢先、長女が以前から付き合っていた人と結婚したいという。母ひとり子ひとりの彼との結婚は、夫も私の気持ちも重くした。結婚は許したものの、お互いの立場から、どういった選択、生き方をしていくのか悩んだ末に、サザエさんのマスオさんの形で、彼は私たちと一緒に農業をする事になった。今年の4月には孫も生まれ、娘はもっぱら子育てに忙しく、彼と一緒に農業をするのは、夫と私。慣れない仕事に嫌な顔もみせず、明るく振るまってくれる新しい息子に感謝している。「友達に農業する事になったと言うと、必ずビックリする。夢のある仕事だと思うんだけどなあ」と彼は、ラズベリーで観光農園をやりたいという娘の夢を一緒に叶えるべく、家の仕事の合間をみては、今年買って植え付けた苗の手入れに余念がない。

「農業はふたりでやるから楽しいんで、ひとりでやっても楽しくないぞ」そう娘に言い続けた私としては、良きパートナーが出来てほんとうに良かったと思っている。互いに助け合いながら仲良く農業をやっていってほしいと願っている。  早朝、夫と2人で田の畦の草刈をする。私にとっては、今年で26回目の稲作りだ。2人並んで草刈機を動かしながら、ひとりやっても楽しくない、ふたりだから草刈も楽しいんだよネと夫の方を見ると脇目もふらず、ひたすら前を見て機械を動かしている。今は青々としている稲たちも、もうすぐ白い可憐な花を咲かせる。今年の稲刈りはいつ頃になるだろうか。それまでは台風なんか来ません様にと願いながら、私も夫に負けずと機械を動かした。キーン、キーン。2人の草刈機の音が、青い空に響き渡った。

とがし家

とがし家


庄内協同ファ-ムだより 2002年6月 発行 No.86

日々 !!

野口吉男  藤島町

今年も半年を過ぎようとしています。春から天気の変動に悩まされている今日この頃です。
今はサッカーのワールドカップで盛り上がっていますが、国内は経済の停滞、政治への不信、食品への不信など多くの問題が噴出して何を信用すればいいのか判らない状況に陥っています。
このような中で私達は、いろいろ試行錯誤を重ねながら現在有機栽培の農産物を生産しているわけですが、誰もが、簡単に取り組める状況にならないもどかしさを感じています。早く確立した栽培技術を見つけたいと考えています。

6月11日に有機認証機関のアファスによる圃場検査と書類の検査が行われました。最初は家で台帳、作業日誌の検査と確認などをした後、雨の中、圃場の畝畔を回りながら検査を受け稲の状態、土の状態、周りの状態、水路などを詳しく見てもらいました。その後もう一度戻って稲倉などを見た後、去年の台帳や納品書の確認をして終わりました。毎年多くの台帳の記帳と毎日の作業日誌の記録、今までの農業にはなかったシステムに戸惑いはありましたが、3年目に入り新たな気持ちで毎日の記録をしています。

現在、有機栽培の稲のほうは、風とイネミズゾウムシに痛めつけられところをカラスに潰されなくなった稲も多くあり生育の遅れが見られます。6月8日にファームの米部会で圃場を回ったときにもいろいろ対策を取ったが(私の場合は、草刈を2回終了する)、イネミズゾウムシで田の周りが縁を取ったように白く見えるところがあり、皆これには本当に困っていることがわかりました。(カモの入っている圃場はきれいでした) 今後イネミズゾウムシを減らすためどうするか考えなければならないと思っています。 今年もトロトロ層による雑草の防除をやっていますが、現在ヒエとコナギ等が発生しています。去年より米ぬかを多めに散布したがこれからの雑草の発生度を注目し来年に向けての対策を考えるつもりです。

6月17日に今年初めて除草機を押しました。暑い中田の中を歩くのは大変きつい作業で100m歩いては汗を拭き拭き押しています。いかに普段歩いていないかあらためて思い知らされています。除草機を押しながら稲を見るとイネミズゾウムシに変わりイネドロオイムシ、イナゴがついていました。雑草のほうは思ったより発生している面積が少なくホッとしています。これからも収穫までにはいろいろあると思いますが気を引き締めて取り組みたいと考えています。(このようにして見ると、昔の人は農薬や除草剤もない中で毎日大変な苦労をして栽培していたことが改めて思われます。)
6月14日、15日にファームの研修があり、農家のライスセンター、加工施設、宿泊施設、また食品加工会社、酒造会社などを見学する。地元にいながら見ることのなかった施設なども見ることができ、地元にも知らない所が在ることを考えさせられました。

スケッチ ~私にとって絵を書くと言うこと~

鶴岡市 五十嵐ひろ子

今年、我が家では90aの水田を紙マルチの田植にした。周りの田んぼと比べるといくらか生育が遅れているように見えるが、紙マルチがしっかりと雑草の生育を抑えているという確かな安心感がある。重労働だった田植作業も、青々と広がる田んぼに癒される感じである。
 そんな我が家の田んぼを横目に見ながら今日は、学校へと車を走らせる。
 2年程前から地元の小学校の図工の授業で絵の指導をしている。というよりも一緒に楽しんで絵を描いているというほうが正しい。学校が週休二日制にになり、地域の人達とつながりを持ちながら、ゆとりある教育ということなのだろう。

 全国的に子供の数が減少している中、例にもれずこのこの小学校の生徒数も年々減少しており、全校生徒数が100人を切っているとのこと。
 職員室で挨拶をして、一年生の担任の先生と教室に入ると、目をまんまるにしてみんな緊張した表情だ。でも本当は私のほうがもっと緊張しているのだ。
 一年生は赤川の花火大会に出品するポスターを描くのだが、筆は使わず、パレットに絞った絵の具を指につけて書くという方法にする。紺や灰色等の濃い色の色面用紙を配って、さっそく真新しい絵の具で色づけされていく。赤、黄、橙、子供達は顔や髪まで絵の具を付けながら大奮闘して個性的な絵が出来上がった。
 子供たちの絵から学ぶことはとても多い。今井繁二郎先生は、生前に「君達の絵に足りないものは遊び心だ。子供達の絵から学びなさい」とよく話しておられた事を思い出す。
「筆洗い用の黄色いバケツには水を入れ過ぎないようにしなさい」と先生の言葉も空しく、バケツにいっぱい水を入れ、たっぽん、たっぽんとこぼしながら行くB君の後から、ズボンを膝までまくり上げて裸足で雑巾を拭きながら追いかける先生。体格のいい男の先生は汗まみれになって奮闘する姿に私も思わず苦笑する。

 後日、先生からA子ちゃんのポスターがコンクールで入賞したと電話をもらったときは本当に嬉しかった。
5,6年生は『動きある人物の書き方』ということで、スポ少のサッカーやバトミントンの場面を絵にするのだが高学年ならばある程度デッサン力も期待したいと思った。下描きした絵を見せてもらうと体の割に腕や足が短いので、絵全体が貧弱になっていた。顔の表情とか手や足をしっかり描く事により、画面全体が引き締まったものになる。意を決して私は、こういった「君達が描いている腕の長さでは、男子はオシッコする時チンチンに手が届かないぞ!」。笑いをとるかをかうか。結果は上々だった。担任の女の先生も笑っていた。

こんな風に地域の人達とかかわり合いながら華の40代も過ぎようとしている。
この頃強く思うのは、描きたい絵の方向性がぼんやりながら見えてきたこと。農業をやっていて自然の中から感じとれる風、光、匂いを表現できたら素敵だ。
本業は農業である。認証を得ての米作りがあり枝豆があり、漬物加工がありメロン、へちまがある。これからの50才代はがむしゃらに働くだけでなく、美しいものを美しいと感じる感性を持ち続けながら、ゆったりと暮らしたい。


庄内協同ファ-ムだより 2002年5月 発行 No.85

紙マルチ田植えに取組んで

三川町 菅原 孝明

今年は、桜が平年より10日も早く咲き温暖な春作業で出発しましたが 平年になく寒い田植えになりました。昔から言われるように、季節はずれの暖かさが続くとその反動がどこかにくるという心配が的中してしまいました。強風と低温で苗は痛めつけられ、この頃インフルエンザが流行っているように、苗達も元気がありません。これからの天候の回復を願っています。
今年度から、有機栽培米面積の拡大を目指して協同ファーム組合員で、紙マルチ田植え機を導入しました。11名が取組み、慣れない機械の為みんな悪戦苦闘しています。
田面に除草対策として再生紙を敷きながら、その上に苗を植えていく田植え機です。苗の生育が遅れないように地温を上げる為、活生炭で着色した黒の再生紙を使います。60日間田面を覆い土に戻っていきます。除草対策としてはおおむね良好ですが、再生紙のコスト高が問題点として残り、又機械の作業能率が普通田植え機の3倍もかかります。後の草取り作業のことを考えて、ゆっくり進む作業です。

能率本位の作業を行ってきたいままでの考え方を大幅に切り替えなければなりません。今まで、合い鴨、鯉、トロトロ層等の農法を色々やってきましたが、サギに鯉が食べられたり、仕事を終えた鴨の処理に困ったり、苗のほうに害を与えたり、除草効果がいまいちだったり、どの方法も一長一短があります。紙マルチ農法の長所を生かし、沢山の有機米を皆さんにお届けできるよう頑張りますので楽しみにしていてください。

山形庄内平野の米作りが、小学校の社会科の教科書に載ったのがきっかけで、私の町では横浜の小学校との交流が始まり、昨年より農業体験として、田植え、メロン収穫などの2泊3日の修学旅行が行われています。その中で環境にやさしい農法という事で、私がやっている合鴨農法の田圃に見学にやって来ます。今から色々の質問がFAXで届いており、稲を食べる害虫はどんな種類がありますか等、米作りを一生懸命に勉強してきます。昨年は合鴨の役目を勉強してきました。鴨たちの役割は、草取り作業、虫を食べてくれる、土をかき混ぜて稲を元気にしてくれるなど、専門的な考えや見方がどんどん出てきます。その中で小学生に教わった事がありました。「鴨は、人を楽しませてくれます。」と言う意見でした。なるほど………

農作業の忙しさに追われ、ただ一目散に働くばかりでそんなゆとりがあったのか……と考えさせられました。いや私自身合鴨に楽しまされて農作業をしていたと再認識しました。
その鴨も今年は5月25日に田圃に入り、小学生は6月中旬にやってきます。今は、紙マルチ栽培の勉強をしているようで、賑やかな田圃のにわか学級で又今年も子供達に教えられることを楽しみにしているところです。この厳しい農業環境のなかでも楽しい農業をやりたいものです。

スケッチ

鶴岡市 冨樫 静子

今年は例年になく、季節が急いでいるようで、家のうらに咲くカタクリの花もいつもより10日位も早く咲きびっくりしました。また、小さな可憐な野の花たちも一斉に咲き、カエルも苗代に卵を産みつけています。自然の営みがやはり早くなっています。
1ヶ月前に播種された苗は、ビニールハウスの中で順調に育ち、グリーンのじゅうたんを敷き詰めたようでとてもきれいです。農薬を使っていない苗は、管理のミスで一晩で使い物にならなかったりするので気が抜けません。

昔から苗半作といって、苗の出来、不出来が収量に大きく影響します。栽培担当者の息子曰く「今年の苗は根っこが良くまあまあの出来ばえだの」就農3年目で少しずつ自信をつけてきたようです。
田んぼの代掻きも終え、いよいよ田植えのスタートです。庄内平野は息を吹き返した様に活気づきます。水田の水鏡にグリーンが映えとても美しい景色です。5日間かかりやっと田植えも終わりホッとしている矢先に、イネミズゾウムシの害虫が発生したと聞かされ、植え付けられたばかりなのに招かざる客の訪れに頭をかかえています。繁殖を抑える為に努力しているようです。

放っておけば葉や根が食害され、ひどい場合は稲がなくなってしまい、大変な減収につながります。安全な作物を生産するには、大変なリスクを伴います。手におえなくなる病害虫もあることを覚悟の上で、安全を第一に考え、作りたいように作っていく姿勢を変えず、家族が一つになって頑張っていけば、それに対する対策がみつかり乗り越えられるのだと思います。


庄内協同ファ-ムだより 2002年4月 発行 No.84

今なお 苦闘する減農薬栽培

藤島町 志籐 正一

春3月、今年も頑張るぞと春作業に入ったある日、1通の文書が我が家に舞い込んだ。
なんの前触れもなく減農薬栽培をすると周りに迷惑がかかるから、すぐにやめて慣行栽培並の防除をしなさいという通知であった。
産地偽装や狂牛病など、食べ物に対する信頼や安全性が問われる中、私たちの長年の産直活動や農産物有機栽培、減農薬栽培の認証の取り組みがようやく産地でも受け入れられつつあると思い始めた矢先のことである。

産地では今なお、見栄えがよく、大玉の柿つくりのためには基準通りに栽培することが一番で、防除回数を少なくした人の柿は共同販売にもにも入れられないという農協や栽培振興会の方針が幅を利かせている(もっともこれは青果市場や一般消費者の購買行動の反映なのだが)。
申し入れの内容と、私の回答は以下の通りである。内容は一方的で、受け入れがたいものなのだが、わずか40戸前後の集落で、共有地で柿を栽培し、朝晩顔を合わせ、一生つき合っていかなければならない人たちからこのような申し入れを受けること自体、栽培法や技術の悩み以上に、私や家族にとって胃が痛くなるような大きなストレスになる。しかし、ここで引くわけにはいかない。胃薬でも頭痛薬でも何でも飲んで今年も何とか頑張ってみよう、さすがといわれる安全でおいしい柿を作るために。

              申  入  書       平成14年3月21日
 志籐正一 様
                     鷺畑果樹組合長  ○ ○ ○ ○

鷺畑果樹組合樹園地内において貴殿の管理する樹園地内で落葉病及び病害虫が発生しており、近隣園地内の方々から迷惑が掛かっているという申し入れがありましたので今後の防除管理に関しては、振興会の防除回数に従い管理徹底をお願いします。
尚貴殿の防除管理体制を文章で提出お願いいたします。

鷺畑果樹組合代表理事  ○ ○ ○ ○ 殿
  H14.3.31
    志籐  正一

平成13年は柿生産者の懸命の努力にも関わらず、各地で落葉病が散見され、カメムシの異常な発生が続いた年でありました。追い打ちをかけるように柿の市況は奮わず、柿生産も本当の意味で正念場にきていると思います。日頃より、組合長をはじめ役員の皆様のご努力に感謝いたします。先の申し入れに対し回答いたします。
私が管理する園地で落葉病及び病虫害が発生し、近隣園地に迷惑がかかってとの指摘ですが、私としましては、方法はやや違いますが、落葉病を始め、病害虫の防除には努力をしてきたところであり、何らかの話し合いもなく、客観的な調査もないままに片方の見方によって迷惑がかかっているというような申しれには応じることができません。この様な一方的な措置は組織としての社会性が問われる恐れがありますので是非、再考をいただきたいと思います。従って防除の方法も、振興会の防除回数に従って実施する事はできかねます。

ただ、私の柿の管理方法や防除の方法が、他の組合員の皆様と違うことが、上記のような指摘を受けている原因となっていると思われますので、この機会に私の柿管理の方法、特に病虫害に対する考え方と、実際に行っていることについて説明し、振興会の防除回数に従って実施できない理由を申し上げ、理解を得たいと思います。

柿生産と防除の考え方

柿を含め、生物には、それぞれ、病気や虫による被害を防御しようとする力が備わっています。これらの多くは生物体内やその表面にいる微生物の働きによるものと考えられています。
私は、自然にある植物から発酵によって抽出されたエキス(天恵緑汁、玄米酢等)や木酢液などを葉面散布することで、生体の防御機能をできるだけ強化し、化学農薬による防除はできるだけ少なくしたいと考えております。これまで化学農薬以外のこれら資材の効果については殆ど省みられることはありませんでしたが、最近では試験研究機関でもその効果についての研究が始まっています。しかし、化学農薬のように歴然とした効果が常にあるというものではありませんので、主要病害虫に対しては化学農薬との組み合わせで防除したいと考えております。
又落葉病については、良好な有機物、発酵資材の投入によって樹勢を維持することで発症を押さえることになると考えております。

農薬について

私は15年来の産直販売の中で、消費者がいかに、農産物の農薬に対して疑念を抱いているかを聞かされ続けてきました。発ガン性や、環境ホルモン、世代間による人体蓄積など、健康や環境に対する影響を心配する声は大きくなることはあっても小さくなることはありません。店舗に並んだ商品以外に選択の余地がない消費者としては当然なのかもしれません。これらの消費者の要望を生産の現場ですべてを受け入れることはできませんが、私達の農産物をお金を出して買って食べてくれるのは、農協でもなく、青果市場でもなくこれらの消費者の人たちなのですから、できるだけの努力をすべきと考えます。したがって農薬の使用に際しては山形県の防除基準や、振興会の防除計画の中で、健康や環境に対して影響を与える疑いのないものを選んで使用しております。又、農薬ではない自然界にあるもので、防虫効果や殺虫効果があるといわれる資材も検討しています。

防除計画について

今年度の防除計画については改良普及センターに指導をお願いし、別紙の通り検討中ですが、さらに検討を重ね、万全を期したいと考えております。

防除計画について

蛇足になりますが、今後の柿経営について私の経験と考え方を申し上げさせていただきます。
現今の農産物の低価格傾向は、経済不況に依るところが多きいと思われますが、他の大きい要素として農産物に対する消費者の不信感のようなものがあるように思います。特に最近の産地偽装や狂牛病の問題がこれらの不信感を増幅させているようです。
大玉生産や、きれいな柿作りのために防除の回数を徹底し、品質をそろえていくことはこれまでの柿生産と市場対策にはどうしても必要な方法であったと思われますが、安心や安全を求める人々には驚異と写り、不信感を招くことも是非考えていただきたいと思います。私は、ここ10年来化学肥料を全く使わず農薬も最低限の押さえて使用しながら栽培してきましたが、生産量は10トンを超え、柿の糖度も16度前後を維持しています。その殆どを産直販売しており、価格も一定で消費者から安全でおいしい柿として好評を得ています。
藤島町でも、新町長が特色のある農産物や産地作りとその積極的な販売を公約しており、柿の栽培においてもこれまでの振興会の方針に加えて、生産者の努力や特長を生かした特色ある柿作りを取り入れることが産地果樹組合の活性化や消費地の評価信頼につながると思われます。本組合は、農協での共販だけでなく、独自に並品の販売に取り組んで組合員の経営に大きな貢献をしてきた実績があります。今後共ともいろいろな可能性に取り組んでいただきますようお願いを申し上げます。そのために必要な情報があれば伝えていきたいと思いますので、ご検討いただきますようよろしくお願いします。

スケッチ

鶴岡市 小野寺 美佐子

喚声を上げてる野球部の子供達に、私にもあんなはじけるような若い時があったのだと、まぶしい思いで見ていました。
50歳を目前にした私の身体は2~3年前から痛みを訴えるようになりました。この間も半身が痺れてきたと思ったら、頭痛に変わってきたので不安に思い、かかりつけの医師に駆け込みCTを撮ってもらいました。 所見は、「ストレスと過労」で問題はなかったものの、先生曰く「小野寺さん気持ちは20歳かもしれないけれど、身体は年相応だからあまり無理をしないように」だと。つまり更年期?ですか?

こんな体調だったけど、横浜に就職が決まった長男が、どんなところで働くのか、寮はどういう所にあるのか心配でついてゆきました。久しぶりに関東に出たこともあり、かねてより行ってみたかった「相田みつを記念館」に行きました。いい機会だからと息子を誘ったら、息子の友達もついてきました。今の若い人たちがこういう所に興味があるのか疑問でしたが、なんとまあじっくり見る事!相田みつをの詩が書いてある日めくりやキーホルダー等のグッズをしっかり買い込む姿に驚いてしまいました。
鶴岡を出て2年目の息子の友人が「あこがれて出てきた東京だけど、この頃帰りたいと思う時があるんだ」

家に戻った私は、しばし空虚感に襲われていました。そんなある日、中央公民館から前に出版した「菜なのキッチン」を使って料理講習をしてくれないかと話がありました。「菜なのキッチン」には郷土料理を中心に、若向けの料理や基本的な配膳の仕方、家庭料理ならではのちょっとした工夫等が解り易く載せてあります。
私たちの育てた野菜をもっと食べて欲しい、昔から食べてきた料理を次代につなぎたいと思い仲間達と作ったカード式の本です。思いの外評判が良くて、地産地消やスローフードが謳われる折、家庭料理がこれからの私の活路につながるのではないかと、とてもうれしく思っています。
また、ついこの間、念願だった農家民宿の認可がおりました。人と食と自然の宝庫のこの庄内をどのようにアピールしていくのか、未知数な課題に、眠りかけていた私のやる気が頭を持ち上げています。
政治も社会も農業状勢も不安だらけで、何を信じていいのか解らない時代ですが、私は迷うことなく
“いちずに一本道、
いちずに一つの事”
(相田みつを)
そんな気持ちで、これからも“農と食”に携わってゆきたいと思っています。


庄内協同ファ-ムだより 2002年2.3月 発行 No.83

先月2月16日土曜日、庄内協同ファームでは2002年生産者集会を行いました。アファスシステムを導入してから始まったこの集会は、今回で2回目を迎えました。
今回のファーム便りは、生産者集会の模様と、その中で行われた講演会の話を、皆様にお伝えしたいと思います。

~2002年生産者集会~

集会には、生産者約30名参加しました。最初に、環境管理責任者である齋藤健一より2001年度アファスシステムの反省と課題が伝えられました。はじめに、BSE(狂牛病)、雪印食品問題、食品表示への不信感、安全性への不安等の消費者が、気にかけている食に対する不安にふれ、そうした不安を少しでも取り除く方法は、情報の公開が必要だという事を、生産者と再確認をしました。
次に、アファスシステムの目的・目標の達成度の報告をしました。目的・目標は、今年度の目的・目標は、ほぼ達成しており、引き続き継続をしていく事を確認しました。
まとめとして、消費者に情報公開を迅速にする為、作業日誌の記帳を早めにし情報集約が必要である。それと同時に記帳により農業経営の改善の為にも活用して欲しいという事を伝え、反省と報告を終えました。
続いて生産者を代表し、2名の生産者から2001年度の実践報告がされ、休憩を挟み、中島紀一氏より講演して頂iきました。

情勢激変下の戦略論
「崩壊の時代」に生きる普遍的庶民像

茨城大学農学部教授  中島 紀一

激変する時代

結論から言ってしまえば、2002年の状況は数百年単位の激動が始まってしまったと言えるだろう。ニューヨークの同時多発テロによって、時代の方向性は極めて鮮明になってしまった。マイカルの倒産、ダイエーの事実上の倒産、kマートの倒産、ユニクロ現象の一般化とユニクロの自滅といったことが毎日のように発生する。景気は循環的に動くと言われてきたが、現在の景気動向は循環的景気動向ではなく、構造的崩壊であり、恐慌的状況と言えるのではないか。

1929年の世界大恐慌と同じような状況になっている。1930年代の大恐慌は経済危機を戦争で切り抜けたが、現代で世界戦争が始まれば地球全体の崩壊が起きてしまう。これからは、地域紛争が増大し、途上国のいくつかが潰れる。さらに先進国のいくつかも潰れなければ解決がつかない状況に向かっている。
こうした激変する時代状況の中で、日本は本格的な空洞化が始まり、消費だけがある国家となってしまった。タンス貯金が無くなれば、日本は終わりとなる。「構造改革」は混乱を拡大深化し、成長理念下での崩壊は悲惨な共食い競合を創り出してしまう。しかも、こうした時代の流れは止まらず、政策的に止めることが出来ない時代に入ってしまった。

こうした時代状況の中で、政策・政治・運動の意味の転換が必要なのではないか。雪印食品の問題では、言葉=理性の信頼が崩壊されてしまったし、日本の生協と農民の運動がここ数十年で築き上げてきた「安全な食品は日本の大地から」というスローガンは完全に解体してしまい、こうした運動が何であったのかが問われる事態になってしまった。「安全性と環境保全のために」は「生産、加工を海外に移転した方が良い」とする発言がされ始めている。こうした経済、農業の状況をみると、日本の農家は基本的に崩壊状況にあると言えるのではないか。

崩壊的現実を厳しく見つめることから始まる21世紀の農業

こうした経済の崩壊状況によって、消費者の輸入品への拒絶感はほぼ壊れてしまった。消費者は、安全性には目もくれず、価格の高い物は買わないという消費動向になっている。従来は統一の卸売り価格で農産物価格が決まってきたが、野菜の価格に見られるように、中国野菜によって価格が決まる時代の到来になってしまった。輸入農産物は契約価格で決まり、過剰流通時の価格はせりではなくすべて入札で決まり、価格はすべて下がっていく。

こうして、農産物の雪崩的輸入は開始され、農産物の取引の基本は、輸入品の商慣行に変わっていく。国が育成しようとしてきた産業型農業は、ここにきて深刻な行き詰まりをみせている。しかしながら、産業型農業が行き詰まる一方で、直売所、女性起業などの生活型農業、地域社会型農業はすこぶる元気だ。こうした農業の担い手の中心は女性と高齢者だ。そこで、崩壊の時代を庶民はどのように生きるのかが問われてくる。
芭蕉の句で、「夏草や、強者どもが夢の跡」という句は、庶民の視点からの句ではない。国が破れても、豊かな地域と豊かな暮らしと豊かな農業と自然は残るのだ。

環境、生活、地域重視の農業戦略 ~より農業らしく、田舎らしく~

新しい時代の理念は、「あまりお金を掛けずに豊かに暮らせる地域社会」と言えるのではないか。農業の世界は、「お金がなくても暮らしは出来る」社会ではなかったか。お金の無い暮らしは貧しいのだろうか。お金が無くても豊かな暮らしは可能なのではないかという価値観の変換が必要なのではないだろうか。都市においても、有償ボランティアや地域貨幣への取り組みが始まったり、労働時間を減らし、労賃は下がるが首切りを回避し、労働を共有するワークシェアリングに取り組む企業が増えてきている。

農業と農村は、もともとお金が無くても暮らせる世界だった。都市は労働のすべてを賃金に換えて買い食いをして暮らす世界だが、農家は暮らしに必要なものは自分達で創って暮らしてきたのではなかったか。そうした世界、暮らしの拠点として庄内協同ファームを創造してゆくことを期待したい。お互い、お金から距離を置いた世界を構築しよう。日本農業の論理的構造をそうした方向に変革していこう。

大量生産=大量消費からの脱却と良質少量生産=良質少量消費への移行という方向が崩壊的現実後の農業のイメージとなるのではないか。環境保全型農業から環境創造型農業へ。産業型農業から地域創造型農業へ。買い食い依存型生活様式から自給自立型生活様式へ、が崩壊の時代に生きる普遍的庶民像であることを提案し、私の講演を終わります。

要約者 富樫英治

スケッチ

藤島町 志藤知子

今年の庄内は例年になく雪どけが早く、私の住んでいる里山にも、しっかりとつぼみをだいたふきのとうが芽を出しています。
 この季節、私の住む村の主な仕事は、柿の剪定作業です。雪が消えたばかりの地肌は、どこかでこぼこしていて、とても美しいとは言えないのですが、春の気配を感じた草や、地中の生き物たちが、ムクムクと動き出しそうな気がします。そこら中に春の息吹が漂う仕事始めです。
 顔を出したばかりの湿った大地の上に立ち、柿の木を見上げながら、仕事をしているうちに、体もだんだんと冬の眠りから醒めて、春をまとっていきます。やわらかな日差しの中にも、時折冬の名残の膚寒さが吹き抜ける木立の中で、若葉の頃を想定しながらの作業は、春の繁忙期までの肩ならしという所でしょうか。

 1年の始まりのこの季節にあって、食べ物の生産に携わる私の頭の中によぎるのは、今多くの人達が感じている食に対する不安です。狂牛病問題はもとより、食べ物を選ぶ手がかりになるはずの食品表示が、実は信ずるに足りないものだったという事実は、大きな絶望感を以って人々の心から“信頼”の二文字を奪いました。あってはならないことです。一部の不心得な人達の行為によって、食品や農畜産物全体に、区別なく、不信感が及んでしまったことは、とても残念なことです。
 そんな中にあって、私達生産者に出来る事、それは、農産物の履歴をはっきりさせておくことです。自分のどの圃場で、いつ、どんな作業を、どんな資材や、器具機械を使って行ったかを細かく記録に残しておくことです。

 幸い私達は、認証を取る為に三年前からこの記録に取り組み、慣れない記帳もようやく習慣として定着しつつあります。作目毎に、栽培計画から実績、保管や出荷に至るまで、検索できるしくみになっています。記帳にさく時間はかなりのものになっていますが、安全を提供する為の作業は、生産者としての責務という考えに立ち、各々が頑張っています。
 安心、安全にこだわっての食べ物作りに励むに日々の努力がまっすぐに食べる人に届くよう、あたり前の事があたり前に行なわれる世の中であるように、と願わずにはいられません。
 巡り来る春も迎える度に、体の底から湧きあがってくる百姓としてのエネルギーが、自然とうまくかみ合って、今年もまた、出来秋を迎えることが出来ますようにと祈るばかりです。


庄内協同ファ-ムだより 2002年1月 発行 No.82

はじめまして

余目町 中村公明

新組合員になった中村公明です。よろしくお願いします。
昨年まで5人でJファーマーズ余目という組織ををくり米作りをしていました。
一発除草剤の一回きりの栽培でしたが、一年一年が病害虫の被害が心配でした。木酢液の散布で何とか乗切ってきました。
その田からの生産物は安全、安心、うまいと思っていますが、果たしてその圃場を維持、継続また今以上に自然な状態でもっていくことが出来るのか。
和牛5頭の堆肥(ワラ+モミガラ+糞)を春に散布し、元肥の減量あるいは元肥無施用で栽培していますが、5年10年と経過後その圃場の状態がどのように土壌変化してゆくのが心配なところです。ただ、堆肥を大量に投入を続けてゆけば維持できるのかそうしたところ、今回の1月19日に行なわれる土壌分析の技術講習会は楽しみにしているところです。これから有機米、除一米を作ってゆく上での問題は山積ですが、自分としては協同ファームのこれからの活動に期待をしておるところです。皆さんからいろいろ指導をいただき、経営面、技術面に反映させていきたいと考えております。

これからの農業は、環境面を重視した方向に行くのは間違いない事だと思いますが、そのしわ寄せをすべて生産者が責任を負わなければならないのは、行政サイドの怠慢というべきでしょうし、両方の考えを総合的にかみ合ったところに本来の環境重視型の農業経営が生まれて来るように思います。生産者のみが走りすぎ、また行政が政策を押し付ける形での問題解決ではないように思います。


庄内協同ファ-ムだより 2001年12月 発行No.81特別号

夢はまだ一次発酵

2時間の家出

夢はまだ一次発酵

「あんた、この家の何が不満だなだ!」夜もふけた茶の間の隅で、怒り口調の母が言った。後継ぎという運命、自分の将来、好きな人のこと、結婚の障害、考えても悩んでも答えの見つからない問題に、頭の中がパンクしてしまいそうだった。「何もかも不満だっ!」そう叫んだと同時に、太陽が沈むのと一緒に就寝している祖父が、安眠を妨害されて、プリプリ怒って部屋から出てきた。「お前だぢうるさぐで、寝らんねー!」その言葉で、私の頭はプツンと切れた。「こんな家、出てってやるー!!」まだ肌寒い4月の夜空の下、勢いだけで私は家を飛び出していた。大学3年生、私は二十歳になったばかりだった。まさか、この自分が家出してしまうとは。我ながら動揺してしまった。思いの他、外は寒く、こんなことなら上着と財布くらいは用意しとくんだったと、すぐに後悔したが、出たからには後には引けない。とりあえず、近所のコンビニまでいこう。「実は家出をしてしまって…」訳を話して、店長に20円を借り、高校時代から付き合っていた彼氏に電話をして、迎えを頼んだ。彼が迎えに着いた頃には、もう日付が変わっていた。「ノリが思ってることきちんと話して、話合ったほうがいいよ、家まで送っていくから」彼氏にそう言われ、渋々家に帰ることにした。

家族会議酵

 家では、重苦しい雰囲気の中、両親と私とで家族会議が開かれた。「二十歳にもなってこんな子供みたいなことをして」と父がしきりに言っていた。何が不満なのか言ってみろといわれ、確かに不満は山ほどあるのだけれど、最近感じ始めた自分の中の息が詰まるような苦しさの根源は何なのだろうと、その時になって改めて考えてみたのだった。
 山形県の米どころ、庄内平野の稲作専業農家に二人姉妹の長女として生まれ、幼い頃から後継ぎを期待されて育った。「あたし、農家を継ぐよ」そう言いさえすれば、家族が安心することを子供心にわかっていた。「女の子なのにえらいね」いつもそう誉められた。高校までは自分自身それに満足していたのだ。それが、大学3年となり、周囲の友達が見なれないスーツ姿で就職活動をするようになって、自分には関係のないことなのに、気持ちばかり焦るようになっていた。私には始めから、農業という職業の選択肢しかなかった。それがあたりまえだと思ってきたけれど、本当にそれは自分の意思で決めたことなのか?家の期待に添うように選んできただけではないのだろうか?農業はする、でもいったいどんな農業を自分はしたいのだろうと正面から考えだしたのは初めての事だった。
稲作とは違う自分らしい農業を見つけようと、手当たり次第本を読んだ。先生に相談してみた。とにかく今目指す目標がほしかった。しかし、焦る気持ちが強すぎてうつ病のような状態に陥ってしまっていた。息苦しさの原因はもうひとつあった。彼氏のことだ。高校時代からの付き合いで、いずれは結婚したいとぼんやりと考え始めていた。母にそのことを言うと「彼がすごくいい子なのはわかるけれど、一人っ子じゃ家に婿にはこられないんだから諦めなさい」と言われた。「じゃあ、あたしの人生は好きな人とも結婚できないようなものなの?」憤慨する私に、心底気の毒という顔で「可愛そうに…」と母は言った。可愛そうに…そうかたずけられてしまったことに、怒りよりもむなしさが先に立った。私の力では抗えない江戸時代から続く農家、『富樫家』が壁のように立ち塞がっているのだった。

「いい子」卒業

 「俺がいつおまえに農業を押し付けたんだ」声を荒げた父が言った。すると、母が「父さんやっぱり押し付けてるよ、何も言わなくても感じるんだよ」と言い、父はしばらく黙っていた。そして、「おまえはどうしてそういい子でいようとするんだ」と言った。それを聞いたら、なんだかもう悲しくて、今まで自分が頑張ったり悩んだりしてきたことは何だったのだろうと虚しく思えてきた。親に対する怒りのような想いが溢れてきたが、冷静になって考えてみた時、なぜ自分はこんなにも期待に応える「いい子」でいなければと、無意識の中で思っていたのだろう、という疑問も感じた。そして、その答えとして、それは、自分に対する自信の無さだった気がするのだ。自分の考えたことが、たとえはったりだとしても、親のいうことよりも正しいということのできる自信が自分にはなかったから、だから、「いい子」でいることにとりあえず逃げていたのかなあと。それに、他にやりたいことがあったら、もっと早くに農業やらない、お嫁に行くと言えたはずなのだ。それが出来ずに悩んだりしたのは、やっぱり自分の中に農業が好きで、父と母のようにケンカしたり笑いあったりしながら好きな人と一緒に農業をしてみたいという想いがあったからなんだろうなと気が付いた。親を裏切るとかそういうことではなくて、自分自身の思いが、親に対しても譲れなくなってくる。それは当然のことなんだ、たぶんこれが、成長するということなのかなあと思った。自分の人生の責任を誰かのせいには絶対したくないから、だからこそ、できることなら、自分のやりたいような農業、生き方をしていきたいなあと思うのだ。
 この一件のおかげで、今まで心の中に引っかかっていたものがとれて、「私の人生は私自身のものなんだ」と言いきれるようになったら、かなり気持ちはスッキリした。父は次の日カゼをひいて、2,3日寝込んでいたが、寝込んだ理由はカゼのせいだけじゃないらしいよ。と母は私に笑いながら言っていた。今思えば、家出もしてみるもんだと思う。こんなことがなければ、お互いを理解することも無かっただろうし、自分自身の気持ちや変化に気が付かないでいたかもしれない。

長野に行こう!

 家出事件以来、少しずつ家を継ぐということではなく、自分がやりたい農業とは何かを、
考え始めるようになった。家は稲作を中心とした専業農家だったが、実を言うと米にはあまり興味が持てなかった。輸入米がどんどんと国内に入ってくるし、減反や青田刈りが相変わらず行われている。この現状に追い討ちをかけるように、米の価格は下がり、米の消費量自体が減少していた。米どころ庄内平野でありながら、米に見切りをつけて、花卉に力を入れる農家が我が家の周りでも目立つようになってきていた。米だけに執着していてはだめだ、何か違う新しいことをやらなくては!そして思いついたのが、ラズベリーを栽培することだった。まだ日本では栽培事例が少なく、デザートなどへの需要も伸びていきそうだった。ラズベリーのことを勉強してみたい。本で調べると、涼しいところを好むラズベリーは信州で少し栽培されていた。長野に行こう!八ヶ岳にある中央農業実践大学校へ行って、ラズベリーと花の実習をやってみよう!

 

 入学式は全員白がまぶしいつなぎを着用とのことだった。つくづく、スーツには縁が無いなあと思ったが、実践を重んじるこの学校の精神を感じるにはふさわしい伝統のような気もした。しかしながら、学校に果樹のプロジェクトは無く、ラズベリーを知る人も少なかった。学校は、私ひとりの為に担当の先生をつけて下さり、週に2回学校を出て、ラズベリー園をはじめ、りんご園、ブルーべリー園などの農家に実習へ行くことを許可してくれた。幸運なことに、学校と同じ原村に日本でも数少ないラズベリー専門の農園があり、一緒に作業を手伝わせていてだく機会を得た。農場主のおじさんはもともと農家ではなかった。違う仕事をしていたが、若い頃アメリカに農業研修に行った時に食べたラズベリーの味が忘れられず、定年を過ぎ夢をかなえるべくラズベリー農園を作ったのだと言う。整然と整備された園内を見ていると、自分はいつになったらここまで追いつけるんだろうと焦ってしまうと告げると、おじさんは「そんなに焦ってはいけないよ。たくさん経験してたくさん失敗してやっとわかることばかりなんだから。おじさんだって、もう10年近くここをやっているけれど、どんな肥料をやるか、いつ頃剪定してみるか、わからないことばかり、毎年挑戦しているんだ。だから、農業は面白いのだけどね」といって笑った。挑戦し続けるおじさんは、不思議と歳を感じなかった。おじさんの紹介で、ラズベリーをはじめとする、有機や無農薬などこだわりの果物でジャムだけをつくる、『ジャム工房とりはた』に山梨まで訪ねていった。訪ねた日はちょうどブルーベリーのジャムを作る日で、甘酸っぱい香りが部屋中にたちこめていた。ひとつひとつ手作業でビン詰めするのを手伝いながら話を聞いた。「数え切れないほど失敗したよ。こうすればもっとおいしいよなんてお客さんに教えてもらったこともたくさんあるし。十年経って、ようやくスタートラインに立てたかなあという気がするよ」独学でジャムづくりを学び、材料は自分が納得いくものを探し歩き、旬のものしか作らない。水や添加物を一切使わないその味は、こくがあって優しく、なんだか懐かしい味だった。
 ラズベリー園のおじさんもジャム工房のおじさんも、道なき道を切り開いてきた人たちだ。失敗を恐れてはいけない、失敗こそ先生。大切なことは夢を諦めない情熱をもつことなんだ。そう、二人に教えられたような気がした。

 11月になると、私達研究科は4ヶ月間の農家研修に出る。私は群馬のワイルドフラワーを栽培する農家と埼玉の観光農園に研修が決まった。花と観光、どちらも華やかで憧れる農業だ。研修中にできるだけ多くを学び取り、自分の実家でもやってみたい。そう心に決めて臨んだ農家研修だったが、研修を終えて思ったことは、意外にも「同じようにはできない」という思いだった。適地適作、農業はその土地の気候、風土、立地条件それらを克服しうまく利用してこそ成り立つもの。外ばかり追いかけていたけれど、私はもっと地元を知らなくてはならない。見飽きたはずの田園風景が、稲作には恵まれたみのりはぐくむ豊かな環境として思い出された。
 研修を終えて学校に戻ると、今度は卒論の執筆が待っていた。テーマがなかなか決まらず、苦し紛れに現代農業で見つけた「米パン」についてとりあげた。ラズベリーをジャムにして、パンとセットにして売ったらいいかなという安直な考えで、米をどうにかしようと考えたわけではなかった。ところが、調べてみるとこれがなかなか面白い。働く女性や単身生活者の増加で、手をかけずに食べられる米パンの利用される可能性はますます高まってきている。そればかりか、米の消費拡大や国内自給率の向上、減反地・耕作放棄地の水田利用、水田の持つ多面的機能の維持、学校給食への供給を通した農業教育など、今米を取り巻いているマイナス要因を一気に覆し、余りあるほどのパワーを持っている。それに、有機野菜を作ってサンドイッチにもできるし、雑穀や果樹を利用して雑穀パンや手作りジャムパンなどもつくれる。パン屋の店内でお米や野菜を売ったっていいじゃないか。米パンのお陰でなんて楽しい「農的生活」が出来るんだろう!ほわーん、夢いっぱいだ。でもこの膨らんだ夢は一次発酵(パンづくり的に言うと)にすぎない。この夢を現実のものとするか、夢で終わらせるかは、その後の自分の行動力にかかっている。お米はだめだと思って遠回りしてきたけれど、結局はお米に戻ってきた自分がなんだか不思議な気がする。

農家一年生

 今年の4月から、私は実家に戻り、農家1年目のスタートを切った。就農早々、5月に祖父が亡くなった。私に最もプレッシャーをかけ、そして、私が就農することを最も待ち望んでいたのが祖父だった。仕事と病院の往復でとても忙しい日々だったが、自分のいることで少なからず家族を助けていると実感できたことは私にとってはうれしいことだった。気が付いていなかったけれど、自分はこの家に、この家族に守られて育ってきたのだ。そして、これからは、自分が家族を守り支えていく立場なのだと感じた。だんだんと意識が朦朧としていくなかで、祖父は枕もとに私を呼び、はっきりとこう言った。「紀子、夢を持で。夢を持たなくなったら農業はつぶれる」と。祖父は私に、最期の最後に一番大切なことを教えてくれた。すごくおおきな何かを私はその時、引き継いだような気がした。
 農業で生活を支えていくということは、簡単なことではない。農産物の価格は決して高いとは言えないし、市場や天候に常に左右され、輸入農産物にも押され気味だ。どんな時代でも、農業はいつも厳しい状況にあったのだけれど、そんな中で、曽祖父は田んぼの開拓に、祖父は酪農と稲作の複合経営に、そして父たちは餅加工品などを産直する農事組合法人に夢を託してきたのだ。
 私がしてきたことはまだ何もない。ラズベリー園をつくることも米パンをつくることもまだ私の夢でしかない。でも、全ての仕事の始まりは夢をもつことからはじまるのではないだろうか。強力なサポーターもできた。私が家出をした時に、夜中にもかかわらず迎えにきてくれた、あの彼と来年結婚することになった。「のりの夢を一緒に叶えたい」そう言ってくれた。以前は反対していた両親も今は祝福してくれている。
 見渡す限り黄金色となった田んぼが風に揺れている。農業へ夢を託し、受け継がれてきたバトンを握り、私は今スタートを切ったばかりだ。


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