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庄内協同ファ-ムだより 発行 2006年 7月発行 No.112


庄内協同ファ-ムだより 発行 2006年 5月発行 No.111


庄内協同ファ-ムだより 発行 2006年 2月発行 No.110


庄内協同ファ-ムだより 発行 2005年 2月発行 No.109


庄内協同ファ-ムだより 発行 2005年 1月発行 No.108


庄内協同ファ-ムだより 発行 2005年 3月発行 No.106


庄内協同ファ-ムだより 発行 No.105 2004年10月

台風が過ぎた後に!

三川町 菅原 孝明

8月20日までの稲は、好天に恵まれ近年にない豊作型だと期待をこめて消費者に報告をしていました。20日の15号台風で一晩にして状況は一変しました。日本海側を通過した15号は、風台風となり雨がほとんど降らず、熱風が吹き荒れ「出穂」間もない稲の一番弱い時を直撃したのです。特に「出穂」の遅い「コシヒカリ」「でわのもち」に被害が集中しました。風の強く当ったところは、養分供給が絶たれ実の入らない「白穂」の稲が数多く発生しました。

又、早めに「出穂」して頭を垂れた稲穂は、風で吹き飛ばされて脱粒し田圃一面に落ちていました。穂先の2から5粒は何らかの被害をうけています。葉先も変色して田圃の景色は一変し、緑色から一晩で秋の色に変わったのです。庄内地方の海岸側では風に運ばれた海水による塩害で、収穫量が2~3割のところがだいぶあります。それに比べればまだましと自分を納得させているところです。

その後も何度も来る台風で、仲間の、収穫まじかのミニトマトハウスの全壊、柿の落葉・落果等甚大な被害を出しています。
これが自然相手の仕事と言い聞かせ、また来年があると思うことにしています。
でもこの季節の自然のサイクルは、狂い始めているのは確かです。

腹立たしい話がありました。一般市場流通の米屋さんから、農協に台風で被害のあった2等米、見栄えだけの評価で(腹白・ひとめぼれ)要らない、買えないという話があったそうです。付き合いが長い米屋さんだそうですが、私はそんなところとは付き合わなくてもいいのでは、と言ったのですが、今年は他の産地が豊作で買い手市場の為、販売に苦戦するのではと、対応策に苦慮しています。

 こういう事があると、産直の確かさを実感します。直接に産地の状況を消費者の皆様方に伝える手段をもっているからです。すでに台風のお見舞いと励ましをたくさん頂いております。本当にありがとうございます。
今年の稲は、生き残った籾はしっかりと稔ってくれました。一部、粒はいつもより小さく、腹白(風のために養分の転流が停止したもの)がありますが、長年化学肥料を使わずに栽培していますので平年に劣らないそれ以上の食味の米をお届け出来ますのでご安心下さい。

しかし少しお願いがあります。昨年は生産者の心意気で不作ではありましたが米価格の据え置きをしました。2年は続きません一部の米の値上げにご理解とご協力を頂きたいと思います。

今年も白鳥が飛来して来ています。10月15日第一陣が我家の上空を鳴きながら飛んで行きました。
『白鳥君、今年は沢山の「籾」が田圃に落ちてるよ。お腹いっぱい食べて体力を蓄えて春のシベリヤへの渡りに備えて。』 
  
これも、自然の営み…


庄内協同ファ-ムだより 発行 No.104 2004年7月 

枝豆の収穫を前に

藤島町 志藤知子

「あっ、花が咲いている。」
「あっ、さやがついている。」

当然のことなのに、毎年初めて見つける度に新鮮な驚きと小さな喜びを味わう。今年も早いもので、そんな季節を迎え、定植を終えてホッとしたのも束の間、もう収穫に向けての準備が始まっている。

新潟や東北地方に停滞しているこの前線が通り過ぎれば夏本番“だだちゃ豆”の出番である。
だだちゃ豆は、近年マスコミでもよく取り上げられ、その独特な香りとおいしさで、随分有名になった。産地の中心鶴岡市では、今や枝豆は、米に勝るとも劣らない主力農産物に生長し、まさに破竹の勢いである。

かくいう私も、枝豆に挑戦して7年目。まだまだ駆け出しの私にとって、この時期は頭の痛い季節でもある。
枝豆が白く小さな花をつける頃には、草丈も伸び、幅も出ていかにもりっぱそうに見えるのだが、それからが大変!!

毎日続く長雨に打たれるうちに、右に倒れ、左に傾き・・・・もっと小さく作れば良かった!!と、反省するけれど、後の祭り。毎年のことながら毎年の結果。欲張りな性格が災いしてか、なかなかそこから抜けられない。どの時期にどれ位の草丈が適当なのかまだつかめずにいる自分がもどかしい。

「豊作型」と褒めてくれる人もいるけれど、私としてはもう少しすっきりとした立ち姿に仕上げたかった。
今年の反省はともあれ、早生品種の収穫はもう間近に迫っている。7月下旬から9月上旬までのひと月半を「豆戦争」と呼ぶ組合員がいる程、枝豆の収穫・調整出荷作業は時間との戦いである。鮮度保持の為、多くの人手を使って短時間で選別・袋詰めを済ませ、ダンボールに詰めて予冷をかける。香りとおいしさを逃がさずに届けたい一心での作業である。

やっぱり“だだちゃ豆”はおいしい!!と皆様に喜んでいただけるよう、梅雨明けの天気に期待し、左右に広がりすぎた私の枝豆も充分な陽差しを受けて、見事に稔ってくれる事を願っている。
7月各地に被害をもたらす程に暴れまくった天気、8月はどうぞ穏やかでありますように。


庄内協同ファ-ムだより 発行 No.103 2004年5月

田植えの準備と作業風景 阿部 事務局

阿部 事務局

 今回のファームだよりは写真を使用して見ました。取材先は協同ファームの生産者でかつ、製造部門の責任者である野口吉男さんからご協力いただきした。(取材日5月12日、14日)
内容は、田植えの準備から田植えまでの作業工程を6段階に簡易的にまとめたものです。
見覚えのある風景もあるかもしれませんが、皆様が毎日、口にするお米の春の作業を農家のみなさんがどのようにしているか、写真でみて、いろいろ感じて頂ければ、幸いに思います。

NO1  5月12日

このハウスの中で苗を育苗させます。期間は約3週間程度で温度は25℃位に保ちます。
ハウス内の温度調整と育苗状況の観察も必要なので毎日チェックしに足を運びます。ハウスの中には、3町6反歩分必要な為、約1000個の苗箱があります。

NO2  5月12日

運び出した苗箱をトラックに積み、田植えをする水田に運びます。持っている田んぼがすぐ隣りであると楽なのですが、以外とあちこちに分散しているケースが多いとのことです。今年の根は長く元気でしっかりしているそうで、このまま天候も見方してくれますと秋の収穫に期待が持てます。

NO3  5月12日

田植えをする前の水田です。これから水抜きをします。この水田の品種は『ひとめぼれ』となります。水田だけなのですこし見え難いかもしれませんが、御了承ください。

NO4  5月12日

この様に先ほどトラックに積んだ苗箱を水田の端に置きます、水田の脇の畦道に置く場合もあるそうです。この水田の面積は30アールになりますので、苗箱の数は、約90箱程度必要となります。

NO5  5月14日

較的に見た事のある風景かもしれませんね。苗を水田に置いた当日に田植えをする場合もありますが、大概は翌日から田植え作業する場合が多い。作付け面積、天候具合により、それぞれの農家の判断になります。

NO6  5月14日

野口さんは、6条植えの田植え機で作業した場合は、一日150アール程度以上の田植えが可能とのことですが、実際は田んぼがあちこちにあり、天候のこともあるので4日5日程度必要とのことです。当日は私が取材したため思うように進まなかったようです。

 以上が田植えまでの大体の作業工程となります。
今回は、協同ファームの事務局の阿部が担当させていただきました。

 


庄内協同ファ-ムだより 発行 No.102 2004年4月

今回は、余目町の工藤広幸さんを紹介します。(この文書は、組合員の相互理解と云うことで不定期に発行している内部広報紙に掲載するため、冨樫俊一と高橋紀子が、工藤広幸さん宅を訪問し、取材形式でその人が本格的に農業を営むきっかけとなった経緯や今後についての夢、豊富を語っていただいた記事内容に加筆変更をしたものです)

生産者の紹介

工藤さんは、田んぼ11ha、大豆5ha,それから花、冬期間はシイタケを栽培している農家です。専業農家になったのは今からほんの6年前からで、それ以前は車の整備士として20年以上も企業に勤めていた会社員だったとの事です。
高校は農家の長男だから、そのまま地元の庄内農業高校に入り、同じく庄内協同ファームの生産者として活躍している佐藤清夫さん、五十嵐良一さんとは同級生であるそうです。
俺は、彼らみたいに農業が好きではなく、やりたくは無かったが卒業して親父に「一年だげオレどごあそばせでくれ」と頼んで、地元の庄内太陽自動車学校に一年間通い整備士の免許を取りました。
それからは、農家を兼業しながら酒田で3年間整備士の仕事をし、更に地元余目町の自動車学校に整備士として勤め、その後に農協の整備士として20年間勤めました。JA全農の整備士コンテストでは最優秀賞に輝き、全国トップの整備士として評価された経歴をもつ、いわゆる整備のプロの方です。最近も修理に出したが直らなかった娘さんの愛車(ビートル)を本人が直したというエピソードがあります。

45歳の決断

工藤さんが専業農家になったきっかけは、兼業農家をしながら集落の実行組合長をしていた頃に、仕事でいろいろなお家に自動車を取りに行くと、花を作っている農家が一番生き生きした顔をしていて自分でもどうかと考えていた時に、集落の生産者から花をやってみないかと誘われたことによります。

 その時にどうするか考えたことは、もう少し時間が経てば飛び出す勇気が無くなってしまう。やるとすれば、今しかないと思ったそうです。45歳の決断でした。
 工藤さんより一足先に仕事を辞めていた奥さんと夫婦二人で花を始める為に、480坪のハウスを建てました。ちょうどその年、余目に種苗センターが出来たのもタイミングが良かったと今は思っているそうです。

そして後継者が

 今年の春から、東京で働いていた息子さんが帰ってきて就農する事になりました。
県の農業研修制度を利用して、隣接三川町の農家にシイタケの研修を6ヶ月~1年間程した後にきのこ部門を任せようと計画しているそうです。その為に、シイタケ用のハウスも建てる予定です。
 息子さんは東京農大卒ですが、独学でコンピューターの勉強をし、パソコンのシステムを作る会社に2年間就職し、『オヤジ、オレ農家しねぞ』って言われて、『ああ、んだが』と云っていたが・・・・。
 コンピューター業界は毎日が残業が続き終電で帰る日々で、仕事を続けられないと感じたようだとの話しで、一度は違う仕事に打ち込み、そして農業の世界に返ってきました。
 同じ道程を辿ってきた父子だからこそ(農業をしないと言った時も)(帰ってくる時も)その気持ちが、理解できたのかもしれません。
 本人の夢は農業法人にする事だそうです、息子さんも就農し、花とシイタケのハウスも増え、その夢に一歩一歩確実に近づいている。そんな印象を受けました。


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