温湯浸法による種子消毒が始まりました。
春作業の一つ、温湯での種子消毒が今年は3月14日から始まりました。
3月末まで各生産者による水稲の種子消毒が行われます。
約60℃のお湯の中に一定時間入れ、その後冷水に浸し籾を冷却します。そうすることで薬剤を使わずにばか苗病やいもち病に負けない苗を育てることができます。
冨樫俊悦
菅原孝明
2021.06.17 大麦の刈り取りが終わりました。
今年も無事に大麦の刈り取りが終わりました。
事前に刈り取り適期を確認し、青空の下、黄金色になった大麦を専用のコンバインで次々と刈っていきます。今回は刈り取りが始まり収穫が終わるまで好天が続き、休むことなく約1週間でここ庄内にある大麦をすべて収穫しました。
これからじっくりと乾燥調製を行います。昨年より一つの穂にたくさんの実がついていました。収穫時の水分が乾燥調製により約半分になりますが、これも美味しい麦茶になるまでの大切な工程です。暑い日が続きます。どうぞ皆様ご自愛ください。
2021.6.4 枝豆の定植
5/31 小野寺貴紀 品種:早生白山
今年は、晴れの日が続かず定植しようとすると雨が降りなかなか作業が進みません。
この日は好天に恵まれ、予定通りの作業を行うことができました。
毎年変わらず自家製ボカシ肥を入れた有機圃場です。だだちゃ豆をお届けできることを楽しみにしています。
6/3五十嵐勇輝 品種:白山
今年初めての夏日を観測しました。定植作業も後半戦です。
今日は蒸し暑い中での作業ですが、やっと晴れが続き定植作業もはかどりました。5月に定植した苗は大きく葉を広げ始めています。8月初旬には枝豆をお届けできるここと思います。庄内夏の味を楽しんでいただけるよう頑張ります。
6/1 志藤正一 品種:長四郎・1号
現在の圃場の様子。5月中旬に定植した苗は根の活着も良く、大きく成長しています。
下の写真は定植後約2週間前後の枝豆です。
2021.6.1 鴨の入水が完了しました
鴨の力を借りてカモ除草をしています。
今年も5月下旬から田植が終わり、カモを獣やカラスから守るためネットや電気柵などの対策ができた田んぼから順に入れていきます。
元気に泳ぎ回っている姿や幼いうちのピヨピヨといった鳴き声はなんとも癒されます。
2021年田植が始まりました。
田植作業 5月11日 生産者:冨樫俊悦 品種:でわのもち
おもちの原料「でわのもち」です。この日は研修生とともに田植をしています。
田植作業 5月13日 生産者:髙橋直之 品種:つや姫
天気がよくまさに田植え日和。GPS機能付き田植機でまっすぐかつスピードアップしました。ただ、雨が降っても止められません。頑張って植えてます!
田植作業 5月13日 生産者:志藤正一 對馬啓太 品種:つや姫
今年から夫婦で農作業を始めました。皆様に美味しいお米をお届けできるよう丁寧に育てていきます。
田植作業 5月13日 生産者 小野寺友浩 小野寺彰 雪若丸
パックご飯の原料「雪若丸」を植えています。子へ繋ぐ農業を進めながら今年はメインで田植えを任せています。
紙マルチの配布が行われました。
春作業風景
2021年4月19日 對馬啓太 志藤正一 品種:でわのもち
苗箱を並べプール育苗します。気温が上昇し、ハウス内ではじんわりと汗が出てきました。
2021年4月20日 小野寺紀允 小野寺貴紀 品種:つや姫
800枚の苗箱につや姫の種を播きました。順次トラックの荷台に積み込みハウスへ移動します。
春の農作業が始まりました。
これからの思い
あいコープみやぎ様からのご提案で震災10年のメッセージボードを掲げ画像を撮る計画がございました。3月11日当日に撮影希望との事でしたので、生産者の方から集まってもらい、生産者のそれぞれの想いをメッセージに込めました。震災当日は雪景色でしたが、風が少し強かったものの、雲一つない青空の下撮影することができました。
メッセージボードにありました「あの日から そしてこれからも ともに」。これからも食を通じてつながり続けてまいります。
機関誌の増刊号は6月に発行されるそうです。このような機会があり賛同させていただけたことを幸いと思います。
震災から10年、、、今私が思うこと
東日本大震災から10年が経ちました。アッという間の10年でした。この間、世の中は大きく変わりました。特に新型コロナウイルスが世界に蔓延したことにより今までの価値観が大きく変わろうとしています。ワクチン接種は始まったものの収束にはまだまだ時間を要します。
東日本大震災からの復興は表面上進んでいる様に見えますが、傷はまだ癒されているようには思えません。そう思うのは私だけでしょうか?
当時を思い起こせば震災直後は私たちの地域でも震度5強となり、かなり大きな揺れが長く続きましたが停電があったくらいで甚大な被害はありませんでした。停電時にラジオから流れてくるニュースで南三陸町や陸前髙田市が津波で壊滅しましたと報道されても街が壊滅することは想像できなくて理解不能だったことを覚えています。更に福島の原発がメルトダウンし爆発したことは衝撃でした。
その後救援物資を持って宮城の生協に行ったのですが途中、田んぼの中に船や車、家等が散乱している状況を見て絶句しました。私には被害が無かったのですが気持ちが混乱したせいなのか数日間、仕事をする意欲が湧かなかった記憶があります。
2012年1月下旬に宮城の生協さんから2013年1月下旬に福島の生協さんから協力していただきながら仮設住宅に「餅つき交流」を行う事ができました。私たちと交流することで少しでも心が和らげばとの想いで行いました。最初は警戒されたのか無表情での交流だったのですが回を重ねるにつれて笑顔で交流できたことが嬉しかったです。
また夏に福島の生協の組合員さんから庄内へ海水浴に来ていただきました。小さな子供たちが元気に泳いでいる姿を見られることが大変嬉しく、来てもらってよかったと思いました。いろいろな交流は時が過ぎると私たちも気づかされることが多く、人とのつながりの大切さを学ばせていただきました。
2月13日午後11時過ぎに福島県沖で震災の余震と言われる大きな地震がありました。瞬時に10年前の事がよみがえり恐怖を感じました。震源地より遠い山形でさえそうなのですから福島や宮城の人たちはもっと大変だったのではないでしょうか。10年経ってもまだ影響を及ぼすほどの大震災なのだと改めて感じました。
10年ひと昔という言葉もありますが10年経っても未だに影響を及ぼすという事は、地球にとっての10年は瞬きみたいなものなのでしょう。10年過ぎても震災はまだ続いていると思わずにはいられません。それに放射能汚染問題も解決していません。過度に警戒や心配する必要はないかもしれませんが見守り続けていく必要はあると思います。
コロナが収束したら福島に行き現状を知るとともに今できる事を考えていかなければならないです。
東日本大震災を風化させてはいけません。