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庄内協同ファ-ムだより 2000年7月 発行 No.66

暑中お見舞い申し上げます。

2000・7・25  野口 吉男

暑い毎日が続いています。いかがお過ごしでしょうか。
今年も7月末から8月上旬にかけて稲穂の出る季節となりました。春、3月20日に種籾に薬剤を使わず、60度のお湯に10分浸漬し殺菌して始まった作業から、4月に床土と肥料を合わせる作業(今年は、有機質100%の肥料とくん炭等をつかう)、箱に詰める作業、播種作業と連続した作業の後、ハウスにそれを並べて育苗の前半作業を終える。今度は平行して田圃の基肥散布、耕起、5月の潅水、代掻き、田植えとなり一連の春作業を終える。この後除草の為にトロトロ層は米糠ペレットを10アール75kgから80kg散布した。この間、約1月半本当に忙しかった。

去年から、トロトロ層栽培稲作(育苗時から無農薬・無化学肥料)に取り組み今年は面積を増やしてみた。(トロトロ層:田んぼ表面を発酵させ草が生えないようにする)ファームの仲間に聞くと大変な話ばかり聞いているので心配していたが、2日間除草のために43アールの田に入り、手で地球の表面を所々撫でて回っただけで終える事が出来た。雑草は、ヒエは少なく今年始めた所には、コナギが多く生えていた。去年から始めた所は、ホタルイが多かった。しかしその他に多くの生き物がいて、タニシ、ヒル、オタマジャクシ、ミジンコ等動き回っている。これも5年前から続けている有機質肥料の散布の効果なのかなと思っている。

ここに来て、去年米の品質を悪くした害虫(カメムシ)の多発警報が出されて心配している6月から7月にかけての温度が高かったためと思われる。今まではイナゴの発生が多く困っていて今年は少ないなと思ったらこれである。本当に毎年何か起こるものである。
 今後どうなるかは、後のファーム便りに譲るとして、7月24日の夜の雷はすごかった。寝苦しいので窓を開け雷のショウを見ていた。とめどない光の点滅と雷音、地球の最後はこうして終わるのかなと考えてしまった。30分くらいのショウも終わり、涼しくなってきたところで自然に寝てしまったようで朝まで窓は開いたままだった。人間のやっている事は、自然に比べれば小さなように思われるが、それでも人間は自然を食いつぶして生きている。いつか昨日の夜のような終わりが来ないように!


庄内協同ファ-ムだより 2000年5月 発行 No.65

“天神祭りでちょっと一休み”

鶴岡市 小野寺喜作 2000年5月27日

 5月25日晴れ、藤沢周平の出身地鶴岡市の「天神祭」があった。別名「化け物祭り」とも言われ編がさに手ぬぐいで顔をかくし、派手な襦袢を着た”化け物”が無言で酒をついで回り、手踊りや仮装パレードが繰り出すお祭りだ。この日ばかりは農作業の手を休める。数年来から”鶴岡親子劇場”のパレードに私も車の運転などで参加してきた。今年は久々の晴れのお祭りで、パレード参加が2千人とここ数年では最高の参加人数となったこともあり大変な盛り上がりとなった。この天神祭りまでに田植えを終え、一息つくのが恒例である。我が家もやっと前日に田植えが終了した。

“春一番”の乾燥した風で、田畑が乾き固くなるのだが、今年は4月中には10日間雨の日と、これほど田畑が乾かないのが例がないほどやわらかい田んぼで大変でした。前号のファーム便りでは育苗までのことが書いてあったので、今回は本田について少し書きます。

1.排水路の泥あげ排除

排水路にたまった泥をスコップであげ 流れやすく排除する。

2.畦畔補修

低くなった田んぼの畦畔(くろ)を高 くし、水もちをよくする作業。スコップ やトラクターに”畦畔塗り機”をつけてやる。

3.基肥、堆肥散布

本田に堆肥や、ぼかし肥料、有機肥料、貝 化石などの土壌改良剤などを、散布機、ブロードキャスター等の機械を使って 散布しました。田がやわらかく大変だった。

4.耕耘

トラクターの”ロータリー”で前年の稲株をかえすように土を起こし細かくする作業です。

5.しろか代掻き

耕耘した田に水を張り(ひたひた水) トラクターの”ハロー”で、どろどろの 状態にかきまぜ、平らにする作業です。

6.ゴミ上げ

代掻き後水を10cm位入れると、ワラ や草が浮き上がり、風で片側に寄せられます。それを取り上げます。

7.苗運び

ハウス内で育った苗を、代掻き後の水の 張った田に運びます。

8.田植え

代掻き後、ある程度泥が落ち着いたら、 苗箱から苗を田植え機械に入れ、植えていきます。

7~8の作業の間に、だだちゃ豆畑の耕耘、定植、畑の耕耘、野菜の収穫、等々の作業があり、ダイエットするまでもなく春はやせられます。


庄内協同ファ-ムだより 2000年4月 発行 No.64

農作業“春は大忙し”

鶴岡市 小野寺仁志 2000年4月20日

 今春は農産物有機認証の事やらで、いつになく大忙し。
 今月20日も過ぎれば田んぼのあちらこちらで肥料散布や耕耘が始まるのですが、今年は天候が不順で田んぼは軟らかく、とてもトラクターが入れる状態ではありません。
 ところで先日、家族総出で稲の種まきをしました。米栽培は機械化が進み、人手がいらなくなったとはいえ、種まきは別、最低でも3名は必要です。今回は稲の育苗について順を追ってお話したいと思います。

1. 塩水選

3月下旬種子の選別、塩水の比重(1.1 0~1.13)を利用して良い種子を選ぶ作業。

2. 種子消毒

昨年までは農薬での消毒でしたが、今年からはすべて温湯浸法(62℃5分)で行いました。(有機米栽培ではもちろん農薬は使えません)

3. 浸種

種子の発芽を揃えるため水に漬けておく。我が家では20日間位漬けておきます。

4. 芽出し

少し温度(32℃48時間)をかけ籾を少し破って発芽しやすいようにさせる作業。
我が家では近くの湯田川温泉の廃湯を利用して農協が行っている所に委託。下の写真

5. 採土・砕土

育苗土に使用するもので田んぼから採った土が一番良いとされていますが、今は購入する農家が多く、我が家も例外ではありません。

6. 育苗土に肥料合わせ

有機米栽培には育苗の段階でも肥料は有機質100%肥料を使用しなければなりません。どんな肥料が良いか分からなく、まだ試行錯誤の段階なので今回は2種類使用。(なんと有機農産物生産 の大変な事)

7. 土詰め

育苗箱(60㎝×30㎝×3㎝)に土を詰め る作業。ほとんど機械です。最近では土を使わず育苗マット(紙パルプ)で育苗する農家も出てきました。

8. 播種(今年は4月16日に行いました)

機械で行います。まず土を詰めた育苗 箱に潅水、次に種まき(130~160g/箱)最後に覆土をかけて終了。

9. 育苗(我が家での方法:稚苗無加温ハ ウス育苗の説明—-→ちょっと専門用語—でも読んで字の如く)

播種後すぐに平らに整地したビニール ハウス内に並べます。並べたら発芽す るまで土が乾燥しないようにまた揃って発芽するように、育苗箱の上にポリシートをかぶせ、芽が揃ったらポリシートを取り、後は毎日温度管理と水掛作業に追われます。(この辺からは本田作業とかち合い大忙しです。)

稲、枝豆、へちま、モロヘイヤ、自家用野菜等の育苗は気の抜けない作業ですが、苗作りが上手に出来れば、あとあと本畑でも立派に生育してくれるので、大事な仕事でもあります。

春は忙しく過ぎて行きますが、忙しい中にも気持ちにゆとりを持ち、鳥の鳴き声に耳を傾け、初鳴きに季節を感じ、木々の芽に息吹を感じ、そして今年はこんな事に挑戦して作物を観察してみようと!!

作家、藤沢周平が一時教員生活を送っていた地域にある“湯田川温泉”そこで行われている水稲種子催芽風景をスナップ

作家、藤沢周平が一時教員生活を送っていた地域にある“湯田川温泉”そこで行われている水稲種子催芽風景をスナップ


庄内協同ファ-ムだより 2000年3月 発行No.63

環境方針に基づく環境マネージメントについて

現在、幣組合では環境管理マネージメントを出発させ、農産物生産、加工等の事業における環境負荷削減と、改正JAS法における有機食品表示に対処し、環境保全型農業継続の為、㈱農業食品監査システムと提携し、農業版「ISO14001」といわれる「AFAS(アファス)システム」の構築と認証取得を目指して活動しております。
 これまで以上に、情報公開と具体的な営農改善に役立てて、皆様からの信頼を得るべく、努力してまいります。

宣 言

 私たち農事組合法人庄内協同ファームは「豊かな自然環境を大切に」「安全とおいしさを求めて」を理念として、持続的農業経営発展を計るため「AFASシステム」を導入し、行動をすることをここに宣言する。

農事組合法人 庄内協同ファームの環境方針

 人類の営みは、有限である地球の未来へ影響を与え、壊し続けているが近代産業の中で、農業も自然破壊への一つの大きな要因であることを認識する。
 私たちは農業本来の持つ、自然に融合する豊かさを大切にし、農産物の生産、加工、流通全般にわたり、環境負荷を出来る限りなくし、自然循環的資源を最大限活用し環境保全と人々の健康増進に資したいと考える。さらに、未来産業としての農業を確立するためにも農業に対する環境法規制、自主基準、その他の要求などを遵守するだけでなく以下の諸努力を行う。

1. 化学肥料、化学農薬をはじめとする化学物質使用削減による土壌、水質、大気汚染の防止。
2. 環境負荷の少ない生産技術の習得や資材の使用。
3. エネルギー使用量の削減。
4. 廃棄物の削減、リサイクル。
5. 農地の生物多様性の保全。
6. 調達先や供給先の環境活動への展開協力。

 また更に、AFASシステムを定期的に監査見直しする事によって継続的改善に努める。以上、全生産者に周知するとともに、ここに公に声明するものである。

2000年3月10日  農事組合法人 庄内協同ファーム 代表理事 齋藤健一

今年チャレンジしてみたい事

五十嵐 良一 鶴岡市

 学名・オリザ、稲の学名オリジアス、めだか、稲の魚という意味らしい。めだかの世界的分布は、水田の存在と重なっているという。
 娘との会話。「父ちゃん、環境問題でめだかの事書いて,受験の作文練習して先生から見てもらった。」私、「ん・・・・!!」彼女達にとって、めだかは水族館か学校のガラスの水槽で観察するものらしい。

 昨今、大量の化学物質、化学製品の使用,廃棄が環境を汚染し未来に不安を投げかけている現実が一般にもようやく認識されはじめました。今年の暖冬は,去年の猛暑とともに地球環境変化が肌で実感されます。またも稲作への影響が心配です。
 新しく定めた「食料・農業・農村基本法」の中にも基本理念として、食料の安定供給をあげながらも、多面的機能・自然環境の保全農業の持続的な発展そして自然循環機能の維持と今までとは違う視点で農業の構築が示されています。4月からは、有機認証の発足に伴い厳密な食糧生産の展開が求められるようになってきました。

 1月末二日間にわたり「省資源・環境保全型稲作技術全国交流集会に参加する機会があり、300名が集い無農薬や有機栽培等の取り組み実践報告、討議がなされ、久し振りに基本的な稲作技術の議論を聞く事が出来,日本各地の熱い稲作農民の心意気に触れました。
 しかし、30年余り、近代化学農法、V字型稲作で多収をめざし誇ってきた我々の肥培技術の意識の中では,真正面で受け止める事は,至難でした。

私も10年程前より減農薬・減化学肥料そしてわすかですが、無農薬無化学肥料の稲作をやっと取り組み始めました。低米価・高コストの中で、実験的な段階ですが、昨年の課題を整理し今年も、と思っています。せめて「水田の魚」が実験用に例えられない事を想い・・・・。


庄内協同ファ-ムだより 2000年2月 発行No.62

飛べASAICHO君!

鶴岡市 小野寺美佐子

「可愛かったなああの頃の息子達」などと言いながら、久しぶりに弟自慢の娘たちと幼かった頃の話に花が咲きました。冒頭の言葉は、やんちゃな次男が親しみを込めて兄に言った言葉です。長男はASAICHOという名前ではないのに、幼い頃から一徹なところがある次男がニコニコ笑いながら、ASAICHOくーんと呼び、兄の後を追いかけていました。そう呼ばれていた長男は、我が家に六十四年ぶりに生まれた大切な男の子でした。 元気な姉二人を持つ彼は、いつも私の服裾をつかんでいるような内気な息子でしたが、好奇心は旺盛で、周りを驚かせるようないたずらばかりしておりました。

我家は放任主義ですが、しつけは厳しい家です。口で言っても解らない時は、反省を促すため蔵に閉じ込めておきました。特に長男は蔵に入れられることが多くありました。そんな兄を心配するのはいつも三男でした。蔵に閉じこもったまま出かけると、帰ってくるのを今か今かと橋の上で待っている三男の姿がありました。私を見つけると小躍りし、手を打って喜ぶ二歳の幼い彼でした。

あれから二十年近く経ちました。泣いたり笑ったり、けんかをしたりじゃれあったりしていた五人の子供はいつのまにか、娘達は美しく、息子たちは夫をしのぐ肩幅がっちりの大男に育ちました。今年は末っ子の三男が高校生になります。そのことが、私にひとくぎりついたような安堵感をもたらしてくれました。子供達は体の弱い子もいず、大きな問題を起こすこともなく育ちました。親としては楽だったと思いますが、それでも私にとっては、子育てと生きることに追われた大変な日々でした。

これからは、もう少し自分のしたいことをしてもいいですよね。 やりたいことが頭の中で我も我もと手を上げます。
 でも、今年は三つだけ!。

・これまでやってきた仕事のグレードを アップする。
・農家民宿“母家”を軌道に乗せる。
・長年の夢 ブラッと一人旅実行

又、春が来ます。緑萠え、桜花爛漫の春、私が私へ贈る言葉は、暖かい思い出が一杯詰まった呼び名をもじって、“飛べMISAちゃん!”


庄内協同ファ-ムだより 2000年1月 発行No.61

『鍋底だいこん』

五十嵐ひろ子   鶴岡市   2000.1.28

雪のしんしんと降る夜の9時も過ぎた頃、私は『おでん』を作る為台所に立つ。毎日農作業に追われ、食事の支度から子供達の弁当作りまで義母に任せっきりになっている私にとって、冬期間は台所に立ってるのが嬉しく、フツーの主婦に戻れる時間である。夜の内に大きな鍋に作っておいて、翌日、味のしみ込んだおでんは格別の味だ。

必ず入れるのは大根。砂丘畑育ちの青首大根は農薬を使わず、越冬用として沢山貯蔵してある。大根は太めの物を選び、食べごたえを考えると切る厚さは2㎝位が良いと思う。他に昆布、つみれ、いか天、ちくわ、ごぼう巻。卵も忘れてはいけない。時には志藤さん家の豚肉も入ることもある。「いい匂いだのー」と中3の娘達がやってきて大根をパクリ。某美人女優がビールのCMで「鍋底だいこーん」と言っているのに影響され、週一回はおでんに缶ビールを飲むのが、冬の夜の秘かな楽しみとなっている。なにもかも雪で覆われている冬は、日常雑多な忙しさまでも忘れさせてくれる。

「手作りグループ」の漬け物の作業は、並行して行われる。FAXで注文が入るとグループのお母さん達は我が家の作業場に集合し、仕事に取りかかる。12月は目の回るほどの忙しさだったが、ベテランのグループ員の皆は手際よく仕事をこなしてくれた。張りのある生活は表情を生き生きさせる様だ。

さて、漬け物の仕事が休みの日は私の天下。主婦らしく朝食の準備をし、子供達を送り出し、洗濯機のスイッチを入れお茶を二杯いただく。そして車庫の二階へと向かう。ここは農業資材置き場になっており、メロンやミニトマトのダンボール等色々。棚卸しも兼ねて片付けながら絵を描くスペースを作る。四畳半位の広さに、私の絵と夫が描いた絵。加えて長女の高校時代の絵がひしめき合っている。

結婚当時は「20年後にはアトリエを建てて・・・」と夢を見ていたのだが、子供の教育費に姿を変え、アトリエの夢は叶えられそうにもない。でも車庫の二階のこのスペースが分相応のアトリエなのかもしれない、と最近は思っている。1月中旬からNHKギャラリーで白甕社新春展が開催され、私は水彩、油絵の二点を出品した。大家の作品と並んで私の絵は、見る人にどのように映ったのだろう。それは自分の裸をさらけ出す様に恥ずかしい事であるがいつか快感に変わるかもしれない。

マイペースで続けていこうと思っている。 2月末からはハウス内でメロンの作業が始まる。ゆっくりと時間を使えるのも一ヶ月くらいしかない。又、義母に台所を任せて朝仕事からハウスに入る事になるだろう。農繁期には休日もなく山脈的に連なる農作業を強いられる。夫婦協定とか家族協定とか勉強会で知識だけは得たが給料、休日、後継者も含めてその域ではない。
農作物の認証に関してもっと学習し、それに伴い我家の作業形態、作付面積等々、この冬の間に夫と話し合う時間も作ろう。そして晴れ間を見て画材店に絵の具を買いに行こう。


庄内協同ファ-ムだより 1999年12月 発行No60

1999年12月師走

佐藤清夫  鶴岡市 99.12.23日

 とにかく忙しいだけで来た一年だ。 子供の乗る三輪車のようなもの。懸命に足を動かすわりにたいして進まない。仕事が多すぎて、効率があがらない悪い例の見本みたいなものだ。時にはラーメン屋に走ることもあるが、忙中閑在りだ。枝豆・防虫対策の唐辛子液が 今年のだだちゃ豆は、夏の好天に恵まれて、近年にない収穫を上げることができたのですが、フタスジヒメハムシやハダニの発生を少なくするために、唐辛子の抽出液を撒布した時に、じつは大変なことがあったのです。2反くらいのだだちゃ豆畑に、唐辛子液を撒布して私がトラクターで次の畑に向かおうとしたところに、すぐとなりの60歳くらいのおじいさんが、激しくせきこんでトラクターに乗っている私を止めようとするのです。目は涙でぐしゃぐしゃ、口は激しく咳き込んだために泡を吹いている。 目の前で倒れながら私になにやら訴えている。なにか大変なことがおきたのか、とにかくトラクターを降りて、そのおじいさんを抱きかかえて家の中に連れていきました。 そこで初めて事情が理解できたのでした。それは、撒布された唐辛子液が気流に乗って、畑側の窓から家の中 に入ってしまったのです。何も知らないその家のおじいさんは、大きく吸い込んでしまったのです。事態を知った私は呆然自失。

大事には至らなっかたが 10分位して、咳き込みも収まり、目の涙も乾いて落ち着いたときは、本当にほっとしました。そのあとおじいさんは“死ぬかと思った”と笑いながらいってくれましたが、次の日にお詫びに行って許してもらいました。自然のものを利用したものでも、大変なことになるという失敗談として、みんなも気をつけてください。

減農薬栽培や基準・認証が課題

 だだちゃ豆が終われば稲刈り。夏が暑かったために白い米が出たり、かめむしの被害がでたりで、あまりよくなかったと言われています。でも、暑くない夏はもっと困るでしょうに。除草剤しか使用しない、徐一栽培もなかなか思うようにいきません。無農薬栽培は挫折してしまいました。もう一度、仕切りなおして来年に生かすようにしなくてはなりませんが、徐一栽培の技術をもっと高めることが課題である気がします。今、ファームでは餅製造の最盛期。原料のもち米の栽培はすべて徐一栽培ですが、今後、庄内協同ファームとして、基準・認証に向けての方向性が問われる場面に立つことになるでしょう。揺れながらも対応していくでしょうし、していかなくてはならないと思います。今年もあとわずか、2000年は皆様にとっても、庄内協同ファームにとっても飛躍の年であればと願います。

スケッチ 今年の、農作業をふりかえって

志藤知子 藤島町 99.12.22日

 白い雪に覆われた大地を見ていると夏の日、その下でヒエや雑草と戦った日々が何だか遠い昔のような気がしてくる。あまりにも静かで、あまりにもひっそりとしていて夏のあの辛さも大変な思いも、吸いこまれて、平らになって消えていきそう。

雑草との闘い

 それにしても、今年の雑草はすごかった。無農薬田2.5haには、すみからすみまで、ヒエ、コナギなどが、見事に生え揃って、私たちを悩ませた。二人で向かうには、あまりに広すぎる面積。繁雑な作業をしながら、時間をとっては田んぼに入り、ヒエを抜く。夫は除草機。50才をすぎた体に、満ちあふれる程の体力の備えはなく、”頑張りすぎないで、”と声をかける私に”頑張らないでやれる訳がない、”と無理を承知の農作業。傍で見ている私までが、よくやるなあ、と感心する程、少しづつ、粘り強く、一押し一押し一定のリズムを刻みながら、一条ずつすすんでゆく。あの力は、何だったのだろう。どこから湧いてきたのだろう。食べる人の為にそこまで頑張ることはない、と言う人もいたけれど、そういう意味での頑張りではなかったように思う。

確かな技術を希求する思い

 人の為に頑張るのには限界がある。
生まれ落ちるとすぐに農家の長男として家業を継ぐことを義務づけられ与えられた枠の中ではあれ、農業を愛し、誇りとして生きてきた夫。天職と思い頑張り続けてきた農業分野において、安全でおいしい米づくりへの技術確立は、ここ数年来の目標であった。自ら学び、研究した農法を実践し、ある程度の手応えを得たいという気持ちは、痛い程に理解できた。
安心、安全を旗印に、産直をすすめ、それで生き残っていこうとする私達の組織にとってもそれは、避けては通れない命題でもあった。あの頑張りのエネルギ-源は、ここにある。確かな技術を希求する思いが、頑張りを生んだのだった。私達はひと足、ひと足、無農薬でもどうにか米作りはできるという確信を得る為に頑張っていたのかもしれない。結果は、大量にヒエの種を田んぼの中に残すことになってしまったけれど、やれるだけの努力はした。今は雪の下で休眠している雑草の種が来春どんな動きを見せるか、まさに心配のタネではあるけれど、今年の頑張りには、心からのねぎらいを贈りたい。”お父さん頑張ったね、ご苦労様。”そして私にも”ご苦労さん!!”

栽培技術の飛躍的発展を

1999年も、もうすぐ終わり、21世紀の扉が開く。安心、安全にこだわった食べ物づくりを目指す私達の精一杯の努力が徒労に終わらぬよう、この方面での技術研究が大きな力を以て飛躍的に進むことを期待したい。そして、農業が私達人間にとっても地球環境にとっても、本当の意味での発展をとげる時代になって欲しいと願うばかりである。

<事務局>

一年間のご支援ありがとうございます。
「庄内協同ファ-ム便り」は、組合員のそれぞれの思いや農村風景を紙面にのせ、今号で60号の発行になりました。この「お便り」が、少しでも私たちの活動を理解して頂けるものとなれば幸いです。
 よいお年を。 -白沢-


庄内協同ファ-ムだより 1999年11月 発行No.59

もうすぐ冬

菅原孝明 三川町 1999.11.25日

白鳥も養う田圃の豊かさ

 秋作業が終わりほっとしているうちにもう11月。冬の使者である白鳥が、シベリヤから飛来してきている酒田市の最上川河口は、日本一の白鳥の飛来地です。そこを拠点として朝一番に庄内平野に散らばっていき、我が家の近くにも朝7時半頃に群れをなし飛んできます。
10aに10~20羽ほどが収穫の終わった水田に落ちている稲穂や、コンバインから出た籾を拾いついばんでいるのですが、白鳥が多く集まっていると「×××メーカーのコンバインは、性能が悪いからだ」と、酒飲み話に花が咲きます。白鳥も養う田圃の豊かさは私達庄内の百姓の自慢の一つです。田圃は米を生産するだけではなくいろいろな役割を果たしています。
大雨の時にはダムの役割を果たし水害対策の上では欠かせない存在であり、田圃に水を張ることにより稲の連作障害を回避して持続的生産を可能にし、トンボなど昆虫類の発生源でもあります。

農業の多面的機能

 2000年からの新しい貿易のルールを決めるWTOという機関で、日本はこの農業の多面的機能を中心課題として主張しているところです。
農産物の輸出国であるアメリカは、自由貿易を振りかざして、農業の多面的機能は貿易障壁となるとして認めようとしていません。食糧自給率の低いわが国に、まだまだ農産物を売り込むつもりなのです。狙いは米だからです。胃袋の中身を少しでも外国から取り戻すためにも、水田は守っていかなければなりません。その意味で新しい貿易のルールの中に農業の多面的機能をもり込み農業の特殊性を訴えていきたいものです。

遺伝子組み換え農産物

 低コスト、大量生産だけの必要性から出てきた遺伝子組み換え農産物には深刻な問題があります。除草剤抵抗性を持ち枯れない大豆、虫を殺す毒性を持ったトウモロコシなど、遺伝子操作により地球上になかった農産物や、安全性を無視した農産物が外国で作り始められており、それらが原料の菜種油、コーンスタ-チ、スナック菓子などが身近に溢れてきています。一部遺伝子組み換え食品表示の義務化が法制化され選択の幅がでてきましたが、我々生産者も、より安全な農産物を作るよう努力をしていかなければなりません。

今年の米は

 そんな思いを込めて栽培してきた今年の米は、乳白米とカメ虫の食害が少し見られましたが、見かけより食味が自慢のお米を今年も生産することができました。私達生産者が自主基準を設け、化学肥料を極力減らして有機質割合を70%程度までたかめ、お日様の恵みをいっぱい浴びて充分に稔ったお米です。また、対外的にも認められた農産物にするために第三者機関認証の準備に入り、来年に向け更に意欲を新たにしているところです。
夕方五時過ぎになると、私達に挨拶をするように鳴き声をあげぐるっと旋回して帰っていく白鳥たち、こんな風景をずっと守り続けていきたいものです。

スケッチ

冨樫静子 鶴岡市 1999.11.25日

 秋を彩った、木々も今ではすっかり葉を落とし冬を迎える準備に入っているようです。今年は気温が高く回りの山々も例年とは少し違い、月山や鳥海山の山頂に積雪が見られるだけで暖冬で穏やかな日々が続いております。
餅製造の最盛期
 気温が高く過ごしやすいのはいいのですが私達のように餅を製造している者にとっては大きな悩みです。
それは温度が高いと雑菌が繁殖しやすいということです。そのため袋詰めの作業では手早く袋詰めをし、エージレスを入れてシーラーをします。ダンボールの箱に定数詰めをし、すぐ冷蔵庫へ運ぶ敏速な作業が要求されます。パック室に入る前には作業着の点検、手の消毒の徹底など細心の気遣いで作業しております。
 これからは餅製造の最盛期、製造室、パック室、そして検品発送と総勢40人位で作業にあたります。製造、発送終了予定の12月末日頃まで事故が無く無事に終えられるように願っております。
今春から就農した息子と餅加工に使用されている餅米は私達が生産した物です。我が家では今年就農したばかりの息子が夫の指導で生産しました。初めて農作業する者にとっては、作物の生理や管理、仕事の手順、農機具の運転操作など取得しなければならないことがたくさんあります。又栽培作物が多品目になっており、春の農繁期には息子曰く「覚えることが多すぎてパニックになりそうだ」とのこと。そして、今年の夏は気温の高い日が長期にわたり続きました。炎天下の下での農作業は慣れた人でも大変きつい仕事です。小言一つ言わず、頑張る姿に息子の成長と頼もしさを感じた親バカな私です。

それから彼にはもう一つ仕事があります。無農薬有機栽培での野菜作りです。農業書を片手に四苦八苦して育てた野菜が実をむすび収穫期をむかえ、我が家の食卓に上がりました。今まで食べたことがないニガウリやズッキーニ、見るのも食べるのも初めての野菜料理は食卓をにぎわし家族団らんの場をさらに楽しくしてくれました。今年は百姓としての第一歩。どんな思いでいることやら一歩一歩大切に頑張って欲しい。そして仲間を多くつくり、また村に活気がよみがえってきたらいいのにと願っております。


庄内協同ファ-ムだより 1999年10月 発行No.58

さあ、もうひと頑張り

冨樫俊一  鶴岡市 1999.10.29日

 今年も冬の訪れを告げる白鳥がやって来る季節となった。慌ただしく生活しているせいか、一年が毎年短く感じられてしょうがない。
春先から色々あった 思えば春先から色々あった。まだ若いと思っていた私もあっちこち、がたが来て生まれて初めて入院を経験する事になったり、息子が新規就農し、娘は就職が決まりホットしたかと思えば、下の娘が、さあ今度は私の番とばかりに東京へと進学。細るすねを見ながら、「かあちゃん、もうひと頑張りだのう」と励まし合う。
 気がつけば私達夫婦も今年で結婚25周年。波風たてながらもやっとたどり着いた道だ。これからも懲りずに宜しくお願いしたいものだ。いやお願い致します。

我が家は茅葺き屋根 我が家はまだ茅葺き屋根の為、これから天気の良い日には昔ながらの茅刈り作業をします。草刈り機械で茅を刈り、古い葉を落とし束ねて乾燥させます。春になると家へ運び夏に屋根の修理に使います。
 大変な作業ですが、今の時期は美しく紅葉した月山や鳥海山を眺めながらの仕事で気持ち良く、爽やかないい気分になれます。
 今年からは息子も参加する事になり、いつまで続けられるかはわかりませんが、楽しみながらやりたいと思っています。夏は大変涼しく、冬もすきま風でこれまた涼しいのですが?村に一軒しかなくなった茅葺き屋根、職人さんも少なくなり大変ですが大事に守って行きたいものです。
 人並みよりも自分らしく、ガマンばかりの人生では、生きている意味が無い。名誉や地位の為に四苦八苦する様な人生は送りたくない。やりたいからする、好きだからする。そんな風に生きたいと最近思っている。
 世の中はリストラの嵐。農家も毎年大変厳しくなっているが、あたふたしても始まらない。この際ド-ンとはじけて開き直ってやってみようではないか。今を頑張らないと、次へは続かないから。

 11月に入ると庄内協同ファームは1年で一番忙しい、活気あふれる時期を迎えます。狭い加工場にひしめき合うように大勢の人が集まり餅つき作業が始まります。
忙しいことはいい事だ。食べてくださる皆さんに感謝しつつ、さあ今年もいよいよ終盤戦。餅つきも我が家も、もうひと頑張りです。

スケッチ

菅原すみ 三川町 1999.10.25日 

 刈り取りの終わった田圃の静寂とは対照的に山々は紅葉で華やかになり、里では柿が橙色に色染いて豊穣という言葉がぴったりの秋の風景が広がっています。
 異常に暑かった今年の夏、息苦しくてこのまま倒れてしまうのではと思うことが何度もあって畑に出るのが嫌になる日が続きましたが、あの汗を流したぶんだけ実りの秋を嬉しく感じます。
秋祭りの日 今日は町内会の秋祭りの日、穏かに澄んだ秋晴れの朝、村中に響くほら貝の音を合図に公民館に人々が集まってきました。
出羽三山のひとつである羽黒山へ「五穀豊穣」「町内安全」の祈願マラソンをする出発式が行われるところです。「御祓い」をしてもらう羽黒山の社務所まで往復するとちょうど42.195㎞ だったことから、小学生から中学生へ、そして大人へとたすきを渡して走り継ぐリレ-マラソンがはじまったのです。第一走者は、稲の歩刈りで多収穫1位になった人に決まっていて拍手に送られて走り出していきました。
 マラソンの帰りを待つ間、公民館では昔の若者たちが順番に杵を持ち30kg の餅をついていきます。蒸したもち米を臼にあけ杵で丹念につぶした後で杵つきを繰り返し、粘りのある餅に仕上げていく技の見事さには感嘆するばかりです。大広間には健康食が展示されていて、作り方を聞いたり試食をしたりして日頃の食事作りの情報交換にするのですが、村のおじいちゃんおばあちゃん達はとても元気で70歳80歳でも現役で自給用の畑作りをしている家が多く、丹精こめた畑から摘んで来た野菜の煮びたしが一番の健康食だったりして、どうということもなく当たり前のように食べている食事のありがたさをつくづく思ったりします。

 これから晩秋、初冬にかけては漬物のおいしい季節となりますが、ピリッと辛みのある山形青菜漬、紅花で色付けしたたくあん漬け、赤紫色の甘酢味の赤かぶ漬、定番の白菜漬、キムチと漬け物樽が並んでいく我が家の納屋の光景を思い描いてうっとりしているともうそろそろお昼、御札をいただいてマラソンから帰ってきた人達に最後の餅つきを手伝ってもらって、あんこ餅、肉汁餅にして賑やかな昼食となります。
一番きつい山道をマラソンするのは中学生だったり農協の指導員だったり学校の英語教師のアメリカ人だったりその年によるのですが、今年のヒ-ロ-には大盛りにしてふるまい完走をねぎらいます。
 後片付けをしながら、それぞれの家の自慢の一品をまたごちそうになり、そのコツを教わりあうのですがこういう風にして昔から伝統食や風土食は受け継がれてきたのだなと思うのです。
村祭り原風景の一つとなって 五穀豊穣の言葉も知らない小学生と保育園児の頃から参加していた娘と息子はもう大学生と高校生、参加することはなくなりましたが、こういう村祭りが幼い頃を思い出す原風景の一つとなっていくのでしょう。
私もこの地に根を張ってもう23年、豊穣なる実をつけられるように技を磨き一人前の農婦になりたいと思っています。
 霜月に入ればそろそろ初雪の日もあり、大地が眠りにつく冬ももうすぐそこです。
冬の間、心ゆっくりと暮らせるように畑の片付けや漬け物の準備などもうひと頑張りです。


庄内協同ファ-ムだより 1999年9月 発行No.57

意外や意外! 期待はずれか? 今年の収穫

志藤正一 藤島町 99.09.22日

刈り取り天好が悪い年 稲刈りに夢中で、稲の株元に集中していた視線をふと南西の空に移すと、さっきまで晴れていたはずの空が真っ黒になっている。午後から夕方にかけて変わるはずだった天気予報がはずれ、まだ昼前なのに天気の模様はあっという間に変わっていく。
 コンバインでの稲刈り作業は雨や朝露で稲が濡れているときは出来ない。朝露が乾く間ももどかしく、作業を始めたのが午前10時過ぎ、今日の刈り取り予定の3分の1にもいっていない。大急ぎで刈り取った籾をコンバインから車に移している内、もうぽつりぽつりとやってきた。
 コンバインのエンジンを止め、シートをかぶせ、トラックを走らせる頃にはもうワイパーのスイッチを入れなければならない程になっている。今年のように秋の刈り取り期の天好が悪い年はこんな光景が何回となく繰り返される
収量も期待できるはずだった 9月13日、いつもの年よりも10日以上早くスタートした今年の稲刈り、雨勝ちの天気に邪魔されながらも半分くらいの面積、「ひとめぼれ」2.3haを刈り終えた。
 好天に恵まれ、品質もよく、収量も期待できるはずだった今年の稲作だが、稲刈りが進むに連れて、どうもおかしいのだ。50アールを入れると満タンになるはずの乾燥機が満タンにならない。あと5アール、ひょっとしたら10アールくらいの籾が入るかもしれない。
 “ 夏は天気がイイくて水難儀するほどで無いと上作出来ネ ” 今年もそうだったが、夏の盛り、天気が続くと川の水は枯れ、夜を徹しての水番(灌水の共同作業)になるのだが、作業の合間、こんな言葉を口癖のように言い合うのだ。
暑すぎた ところが今年の夏は違っていた。7月20日過ぎからの暑さはまさに異常だった。連日35度近くまで気温が上がり、外にいるだけで人間も仕事をする元気や考える気力を失ってしまうような日々が続いた。
 いくら暑い国で生まれた作物の稲でもこの暑さには参ったらしい。籾摺り(モミガラを剥いて玄米にする作業のこと)をしてみると玄米が小さくやせているように見えるのだ。モミガラの中で発育を停止した青米や屑米も意外と多い。
 かもを放飼して無農薬で栽培した田圃の収量は10aで450kg(7.5俵/60kg)だった。8俵だった去年より0.5俵、豊作を期待した自分の予想より1俵少ない結果となった。今年の稲つくりを振り返っても暑すぎたという以外に特に収穫が少なくなるような原因は見あたらない。刈り取りが進むに連れて、周りの農家からも“意外だの”の声がきこえてくる。
 豊作で余剰米をえさ米に回す事を政府が決定? 一体どこの国の話やら・・・…
 落ち込んではいられない。これから刈り取る「でわのもち」(もち米の品種名)に期待して稲刈りに精を出さなくては!!

スケッチ 「講事」は村の交流の場

佐藤喜美 鶴岡市 99.09.24

 ”こんばんは、久しぶり、今日は何人出席?”今日は月一回の「講事の日」です。
 私の住む集落には、昔(約150年前)からの風習で女性だけの年齢15才区切りの「地蔵講」(嫁いで来てから35才まで)、「善宝寺講」(36才から50才)、「羽黒講」(51才から65才)、「善光寺講」(66才から80才)、「念仏講」(81才以上)と5つの「講」があります。それぞれの講で都合のいい日に公民館に集まり、皆なで夕食を共にし世間話に花をさかせます。
 私の入っている善宝寺講は11人います。毎月2人ずつ当番を勤め掛け軸(善宝寺から賜ったもの)を掛け、季節の花を飾り会食の準備をして皆なが来るのを待っています。10年前までは当番が自分の得意料理を振る舞っていたのですが、ほとんどの人が農業外収入を求めて会社に出ている現在は、店屋物へと移ってしまいちょっと淋しい気もします。
 そもそも「講事」とは、昔から受け継がれたきた掛け軸を拝礼し、一人一人が家族の無病息災、身体堅固をお願いすることと農村という特殊な社会の中で、嫁という立場の人達の情報の発信交換の場、交流の場、ストレス発散の場で、話しの内容は当然、家ではタブ-とされていることで長く続いて来たようです。
 昨今、会社勤めの若いお嫁さん達にはなかなか昔から伝わる風習や慣習はすんなり受け入れられず、「講事」の存続もむずかしいように思われますが、また違った形でもいいですから長く伝承していければと思います。


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