庄内協同ファームだより

トップページ > 庄内協同ファームだより > 庄内協同ファ-ムだより  1998.2月発行 No.39

春作業に

野口吉男 羽黒町 1998.2.20

 今年は、暖冬といわれていたが実際は雪が多かった。ここ10年近く雪下ろしをやった覚えはないが、久しぶりにやった。  汗をかきながらの作業となり、夜には体中が痛くなってしまった。そんな事も無かったように今は、日射しのほうも強くなり、いくらか春が近づいて来るのがわかるようになった。毎日の暮らしは、冬時間のままで(夜遅く、朝も遅い)、早く冬時間を変えなくてはと自分に言い聞かせる毎日である。
 10月より冬の間は、庄内協同ファ-ムの餅製造に関わっており、毎日が餅との格闘ではあるが、こうやって原料(もち米)の生産から製品の出来るまでやれるのも、又、自信を持って餅を出荷できるのも、自分達の加工場を持っているからと思う。もう少しで春作業が始まるわけで、本格的に田圃にでるのは下旬になるが、3月中旬頃より始まる種籾の選別、消毒、浸漬と作業の計画や資材の準備も少しずつ進んでいる。
 もち米は苗作りからスタ-トし、有機質の散布(以前は堆肥で、現在は放線有機=ボカシ)から始まり耕起、代掻き、田植えと忙しい日々となる。植え付けが終わると虫の出番で、田圃全体が白くなるほど虫に(ドロオイ虫)葉を食べられる。回りの田は、田植え前に苗箱に薬の処理をするのできれいなままで、よけいに白く目立つ。そのため、田の見回りをする時は目をつぶってとなる。あとは天気まかせで梅雨の時期が早く終わるのを待つだけで、梅雨が遅れると生育に特に大きく影響する。
 除草剤も良くない事はわかっているけれども、何かいい方法がないかと考えてはいるが、もう少しの間使わなければならないのかなと思っている。暑い時期の除草機押しや手で田圃をはって草を取る作業の大変さを身を持って覚えているから……。
 私の住んでいる所はもち米作りにあっているのか、病気はあまり出ないが、それでも秋になって稔った稲を見てやっと安心する。1年に1度しか収穫出来ないので、これからも1作1作大切に作って行きたいと思う。農業の置かれている状況は大変厳しいけれども、人が生きている限り食糧は必要なわけで安心してもらえるもの、安全なものを作り続けて行きたい。
 村の活気が失われてきて、皆と顔を合わせるのも朝晩になってしまい、農作業の方法も手抜きが進んでいる。収穫を素直に喜べないこんな時代がいつまで続くのかと思うと、すくいようのない気分になる時もある。本当の豊かさがわかる時代が早く来る事を願っている。

農業日誌 「我が家の屑米と白鳥」

五十嵐良一 鶴岡市 2.20

 子供達の成長や家族での一年一年の出来事が、めぐる季節やまわりの自然風景の中に、ひとつひとつきざみこまれてゆくような気がします。それが慌ただしく繰り返される作業の合間に、何かのきっかけで、ふっと呼び起こされ、再びその時の若さや甘さを思い出し、味わう事があります。
 先日(2月11日)三日がかりでやっと終えたメロンン床土の蒸気消毒。煙で涙目でしょぼくれたビニ-ルハウスの私の耳に「クオ、クオッ」と白鳥の鳴き声。「あっ、もう北帰行? まだなはず…!」外は吹雪なのに、春を感じさせながら十年程前の我が家の白鳥事件を思い出しました。
 昨年、11月に四国の消費者グル-プの方々が来庄した時、車を止め。「ウァ-、白鳥って田圃にもおりるんですか?」「歩いて餌も採るんですね。」と冠雪した月山を背景にカメラでパチリ。それ程までに増えた白鳥は、隣市(酒田市)の最上川河口で、30年位前に地元の中学生の観察がきっかけとなり「白鳥を愛する会」の餌づけで、今では7000羽余りが飛来しています。近年は、こぼれた籾を求めついばむ白い群が庄内平野のあちこちに降り立ち、圃場にとけこみ雪に覆われるまで私達の目をなごませます。
 そんな鳥達に冬場になれば餌づけの餌が足りなくなるという事で、我が家では長男がもの心ついた頃から残った屑米や格納掃除した機械類から出る籾等を餌として届けました。
 毎年、軽ワゴン車に100㎏程の屑米と一緒の子供が、一人から二人そして四人になった頃は、年中行事の様になり、20㎞程の道すがら、お米の話しやオオハクチョウの事を語るだけで喜ぶ子供と、私の姿がありました。そしてお礼の絵入りの賀状が正月の話題になるものでした。
そんな楽しみのある白鳥見学に長男が、”頑”として「行かない。」と言い張ったのはいつの頃だったろうか。
 海風の冷たい土手から歩いて、下の娘達が白鳥をながめている間、ぬかるんだ河川敷の小さなプレハブの控所まで、小分けにした屑米を背負わせ、ノ-トに住所氏名を記入した時。「父ちゃん、白鳥ってカステラも食うのか?」見ると屑米や茶ガラばかりではなく、パンの耳やせんべいの割れたもの、そして廃棄されそうな菓子類もありました。
 「冬場は餌、足りないってTVでも言ってたから、あっちこっち願って集めたなだろう。」「ふう-ん。白鳥って人よりぜいたくだなぁ。」そして「こげだ(こんな)屑米、うめえと思って食うなだがのぉ。」ライスグレ-ダ-から落ちた屑米も乾燥機からの残り籾も、精米機を全開にして、ワラクズやゴミをきれいに飛ばしたものだったが、そんな会話を息子とした4年生の翌年頃から、なだめすかして誘っても行かなくなり、姉妹達も「お兄ちゃん、白鳥さ行くと、あったこい、コンニャク食べられっさけ!」と頼み込んでも逃げまわり、果ては母親に説教され、座敷の戸袋に隠れ大騒ぎになりました。
 近頃はTVでも餌不足は放映されなくなり、大きな白鳥のレリ-フが作られスワンパ-クとして整備された河川敷には、下の娘達にも3年前からは誘えなくなりました。 昨秋は、ほんの少しの屑米で、砂丘の黒松林を行きました。

スケッチ

芳賀和子 三川町 1998. 2.21

ファ-ムの女性メンバ-8名がドイツ、イタリアの農業研修旅行に行った時のスケッチ。連載は今回で終ります。

イタリア訪問記

 ロ-マの中心街からバスで1時間も走るとなだらかな丘陵地が続き、牧草地やオリ-ブ畑の田園風景が広がる。
私達のファ-ムスティ先であるマルツッ-ノホテルは湖の近くの大きな牧場の中にあった。
牛や馬、ヤギ、羊を飼っている酪農家であり、ファ-ムハウスも経営している。始めは馬で縦断する人達にたのまれて宿を提供した事から、一人二人と泊まり客が増え、いっそホテルにと牛小屋を改造し今となっている。
牛小屋だったとは、とても思われないセンスの良い飾り棚、絵や彫刻が飾られている食堂でゆっくりとパスタやワインを楽しんだ。二階の寝室もべットカバ-がかわいい屋根裏風の部屋で、テ-ブルの上にはかごいっぱいの果物や手巻きの歓迎のメッセ-ジが添えてあり、もてなしの心がいき届いていると感じた。あいにくの雨で乗馬も散策も出来なかったのが残念だった。

 共同経営者のアルフレッドさんに近くの農家を案内してもらう。オリ-ブ農家、窓ガラスをたたくような大雨で説明もバスの中だ。なんと270年以上も前に植え付けられたオリ-ブ畑が100ha、1300本もあるという。この農家の10分の1の面積だ。古木のためキカイが使えず収穫は手で摘み取らなければならないが、とても上質のオリ-ブオイルがとれるのだそうだ。木の間に牛を放牧し、化学肥料を使わない、防虫のための農薬も使わないと言う。永い歴史の中で風土にあった作物なのだろう。 前の日に訪れたイタリア農林省の方々の「品質の良さとは(これはワインのためのぶどうの時の話なのだが)化学肥料をなるべく使わず、健康に良い物という意味です」とはっきりいった言葉を思い出す。

オリ-ブ油の加工場

単純圧搾法で絞られ、遠心分離器で水と油に分ける。機械の前では、赤い花柄のエプロンを身に着けたおばあちゃんが、緑色のオイルを大きなビンに受け取り、あふれないように見ていた。80才は越えると思われるがオリ-ブ畑の仕事を手伝っているせいか肌の色がとてもいい。家族総出の作業は失業率が高く学校を出ても中々仕事につけない息子さんや娘さんに仕事として受け入れられていた。ドイツに向かう早朝、空には星が輝き、今日の良い天気を約束していた。
 もうすぐ3月、記録的な大雪も溶け田畑が見えて来た。もうすぐ稲の春作業も始まる。あの「品質の良いもの」の生産を目指し、励もうと思っている。

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