有機栽培農家から見た学校教育
野菜や稲などの作物栽培にかかわっていると、様々な面で、我が子の成長のようすや教育のあり方について感じることがある。そこで、感じるがまま、思うがまま筆を取ることとした。
種子の生命力
まず「一粒の種子の持っている生命力(潜在能力)は、思っている以上ある」ということである。例えば、トマトである。条件次第で大木となって何千個も実をつけることができる。 また、堅い大地に蒔いた種子はがっちりと根を張り風雨に耐える力があるが、柔らかい土に蒔いた種子は一見りっぱに根を張っているように見えるが実に弱い。ハウスなどで過保護に育てられた苗は、外の環境に十分なれさせないと簡単に折れたり生育が順調でなかったりする。
このように、トマトの種子は、育つ環境によって、その生育が大きく違ってくるのである。私は、農薬や化学肥料を使わない有機栽培農業を始めて十年目となる。やればやるほど奥が深く、毎年、そして、毎年ごとに新しいことの連続だ。ちょっと油断すると、思い通り生育しなかったり、虫くいだらけになったり、病気で枯れたりということになってしまう。しかし、この様な失敗を繰り返しながらも、この有機栽培の野菜を食べていただいている多くの方々によって支えられ続けることができた。
旬野菜と土づくり
育てたニンジンは、多少見た目が悪くとも、しっかりとしたニンジンの味がする。もちろん、栄養もたっぷりとある。野菜を作る上で、いくつか気をつけていることがある。
一つは、旬の野菜を作ることである。春は、ビタミンや酵素がたっぷりつまった「芽」の作物(タラの芽や菜の花など)。夏は、体を冷やす働きをもつトマト、なす。秋は、冬に向けての栄養がぎっしりつまった「実」。そして、冬は、体をあたためる大根、白菜などの野菜。旬の野菜を作ることにより、虫や病気が少なくなり、逆に、季節を無視して野菜を作ると病気が多くなるのである。そして、それは農薬の使用につながってしまう。
二つ目は、「土づくり」である。一にぎりの土には、何千、何億以上の生命体(微生物)が生きていて、さまざまな関係を保ちながら存在している。それを、簡単に土壌消毒や化学肥料漬けをすることによって、大切な微生物や菌を殺してしまうこととなる。例え、一時的に悪い菌をなくすこととなっても生命力のない土になったり、一部の菌だけが異常繁殖したりして、作物が育つ上では悪い環境となるのである。
三つ目は、作物を育てる上での「気持ち」である。それは、自分の思い通りに育てようとするか、作物が育つのを見守り手助けしようとするのかの違いだ。自分自身もなかなかできないことであるが、「作物と話をできるようになると、作物も喜ぶようになるし、いい作物が育つようになる」と言われている。天候や生育状況に合わせ、作物が何を欲しがっているかを手助けするような気持ちで接することであり、過保護にも放任にもならないようにすることだ。
四つ目は、「初期成育、発芽する時の状態を大切にすること」だ。発芽の際、あまり良すぎる条件では作物が軟弱になったり、根をしっかり張らなかったりして、後々まで影響してくる。これに対して、比較的低温で発芽させると、がっちりと根を張り、多少悪い環境でもよく育つ。(三つ子の魂百までも・・・)
生き物と環境
農家と学校の教師の共通点は、「生き物」を扱っている点だ。その時の環境(自然条件と家庭環境)に左右されながら成長し、個性が育ってくる。それを、自分の思い通りしようと、画一的に捉えたり、押しつけようとすれば、反発が起きて失敗につながる。「作物のことばは作物に聞け」ということばがある。生育をじっくりと見守ることで作物から教えられることはたくさんある。育て、育てられる関係や、教え教えられる関係の中で大切なことは、互いに信頼しあうことである。
また、作物も子どもも、成長の状態をどれだけ正しく見る目をもてるかが大切だ。先入感できめつけたり一方的な方向だけを指示したり、個性を無視して同じ型に育てようとしたりすればうまくいかない。要は、何が大切なことなのかを見きわめる目と育てる力にある。
庄内地方の桜も、4月18日を境に花が散り始めました。今は、ほんの少しを木々に残しているだけです。
北上する桜前線に、その土地々の風景を思い浮かべては、今年、花見をしなかったことが少々悔やまれます。
稲の種まき作業もほぼ終了し、晴れ上がった日には、田んぼの土起こしに耕耘機が元気に平野の中を走り回っています。
育苗を5月始め頃までおこない、田植え作業は、5月の連休頃に平野部から始まります。
今年は、暖かいため幾日か早い田植えになりそうだとの話もありますが、天候に恵まれることを祈りたいと思います。
(事務局)