庄内協同ファームだより

トップページ > 庄内協同ファームだより > 庄内協同ファ-ムだより  1999年2月 発行 No.51

もうじき春、がんばるぞ!!
有機農業をめざして

1999.2.25日 小野寺 仁志 (^○^)  鶴岡市

 今冬は、当地方には珍しく11月にビニールハウス、果樹、庭木が倒壊、倒木するほどの大雪があり、大きな被害をもたらしました。 また春から丹精込めて栽培してきた大豆を収穫目前に雪に倒されて収穫が出来なくなった組合員もいます。こんな調子で今年は雪の多い年になるのかと思ってそれなりに覚悟はしましたが、今日まで降っては消え、消えては降り、——-という事を繰り返してきました。
 当地方は降雪量より吹雪がひどい事で有名なところで、今月13日朝の通勤時間帯に猛吹雪による視界不良で停車したライトバンに後ろから次々に追突、合計52台約300mにわたって玉突き衝突をし、軽いけがで済んだが事故車の撤去作業のため道路は7時間余りも全面通行止めになった。————- こんな大事件もありました。
 このようないろんな事はありましたが、季節は確実に春に向かっていて、小鳥のさえずりは日増しに数を増し鳴き声にもつやと張りを増しつつあります。もうじき始まる農作業に向けての計画をいろいろとおぼろげではありますが、立てています。

 今年は特に2001年から施行されるであろう有機農産物の認証制度に向けて、当組合でも今冬勉強会を何度か催し、出来るところから積極的に実践していく事になりました。
 発ガン性の疑いがある農薬はもちろん、内分泌攪乱物質の疑いがあるものやダイオキシン発生の疑いのある農薬をリストアップし、それは出来る限り使わない、またどうしても使わざるを得ない物については代替の物を探し工面する。
 また、栽培概要を作物別に作り、実際作業にあたったら何時どんな資材を使い、どんな作業をしたのかを記録、記帳する事を習慣づけてデータとして残し、それを基に更なる栽培的に向上を目指し、化学肥料、化学農薬に頼らない農業を行いたいと私は思っています。
 畑作物では無農薬栽培を始めてかなりの歳月経ちましたが、化学肥料使用からは完全には脱却出来ずにいましたが、昨年から本格的に微生物の力を借りての“ぼかし肥”(醗酵肥料)作りを始め、今年はなんとか化学肥料からの脱却を考え、実行したいと思っています。
 今年ももうじき春、お米はもちろん、大豆、野菜、など皆さんに安心して食べていただける農産物作りに励み、農産物といっしょに私たちの“元気の元”もいっしょにお届けしたいと思います。

スケッチ 1 村のうたから

1999.2.26日 芳賀和子 三川町

♪ 土口名物、数々あれど
  春はもうそう竹  夏はすもも  秋は伝九郎さわし柿よ  冬はふき山 銘産地 ♪

「や-っと来た-。吹雪で前は見えないし、もう少しでふき山さ、突っこむどこだっけ!」 悪天候の中、ひっしの思いで加工場に通勤して来る人達の声を聞き、ふと、このうたを思い出しました。そう、ここ土口はふき山名物だもの!

 この冬、何回となくやって来た地吹雪の舞う、強い冬型の天気、日本海側から吹いてくる強い西風が南北に細長く並んだ村の家々にあたり、家の西側に通った道路は、風の通り道に添って雪が波のようにたまっていき、通れなくなってしまいます。
 このうたは、40年前、青年団の中から生まれ、カラオケの無い時代、酒をのんでは歌われ、村対抗の運動会の応援歌としても、村の人達に親しまれてきたうたです。
 夫達には子供の頃、遊び廻った風景と重なり、なつかしい味となっている土口すももも伝九郎柿も少なくなってしまいました。
 土口すももは、実が小さめで、赤く、とても酢っぱいすももで、この地に合っていたのか、たくさん穫れてたそうですが、河川改修で畑が削られ、地下水が高くなったりで、我が家に一本、それも一枝しかなくなってしまいました。老木なのですが、毎年20個ほどの実をつけてくれます。
 伝九郎柿は、お湯で渋抜きをする在来種の柿ですが、現在の庄内柿、平核無柿に枝継ぎされてしまいました。
 40年の年月は、村の名物もうたの中だけに残されてしまいました。我が家の三人の子供達のなつかしい味は何でしょうか?
ふと考えてしまいました。
 冬の間に食卓にのぼる塩蔵品。季節の山菜や野菜を一年かけて保存し、野菜の少ない冬の間に食べる昔からの知恵。
 春のフキ、ワラビ、ウド、イタドリやミズ等の山菜、夏のナス、秋に漬け込んだたくあんや青菜漬けを塩抜きにしてはけんちん煮にして食卓に上げ、楽しんでいきたいものです。

スケッチ 2

 今春、組合員(冨樫俊一・静子)の息子の「俊悦」さんが(23歳)、メンバ-の家族の中から初めて就農し後継者として、庄内の地で羽ばたく事になりました。
 先日、その就農をささやかに祝う会を有志でおこないましたが、その時に、先輩として五十嵐良一が贈った言葉を、ご紹介します。
 はなむけの言葉を、と言われたのですが、なかなか立派な事など言えないわけです。ですから、私の言葉でなく、私が大切にしている言葉を贈ります。
 『稲の根に着目し、その事を原点とし、基軸として、米の単収増を実施し「諸作物の栽培を計り」経営に目をおよぼして「三川の農業、さらに」庄内の農業、そして社会を展望する。』
 これは、昭和59年3月24日に、稲の根の研究者、川田信一郎氏(東大)が、三川で稲の根と題して講演した時のものです。

 人間の器官の中で衰えないのは頭脳だ! 老人とは、少年に生きていく知恵を与えなければ…と。ソウゼツな講演でした。翌年か、翌々年に亡くなってしまいました。
 どうか自分を大切にし、体も大切にし、家族も大切にし、自分の立場から大きく視野を広げ、農業にいそしんで下さい。

五十嵐良一 1999.2.23日 『俊悦さんの就農をささやかに祝う会』より

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