庄内協同ファームだより

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収穫の秋は大さわぎ

富樫英治 余目町 1998.11.24

  妻の身体の異常に気付いたのは、夏の暑さも遠退いた8月下旬の頃でした。稲刈りの後に出荷を計画していたストック(ナタネ科の切り花)の八重鑑別作業を、数日暑いハウスの中で続けたせいか、夜になると足がだるくむくみも確認できた。指で少し押すと指の跡が残り「おかしいなあ」と妻が言う。
 翌日、病院で診察を受けたら蛋白と糖が出ているとのことで一日の検査入院をすることになった。本人は身体に特別の異常を感じていないし、農作業と夏の疲れがでたのかなあとその時は軽く受け止めただけでした。
 何度か病院に足を運んでも検査結果がわからないと言われ、漸くして病名がはっきりしたのが9月の中旬にもなってからでした。担当の医師から「腎臓の病気で治療しないと人工透析になります。」と言われたとのこと。すぐ入院するように言われたという。
 農家にとって9月という季節はめちゃくちゃ忙しい。稲刈りを前にしてコンバイン、乾燥機、米の出荷までの機械器具の点検と組立て作業やら、稲刈り前に収穫しなければならないハトムギの刈り取り。ストックの灌水と管理作業がぎっしりと詰まっている季節なのです。今ここで妻に農作業から離脱されたらと考えると身体が沈みこむような重圧を受けた。
 2年前にも田植え直前に胆石の手術で20日余り入院し、その時の大変だった事が蘇ってくる。
 農家の労働は夫婦単位の協働を基本としてなりたっていると思っているのだけれど、こうした非常事態になると農家という労働形態の脆さがあらわれてパニックになってしまう。
 妻の労働のピンチヒッタ-は70才を越えた父と母になるのだけれど、母は今年の春に軽い脳こうそくを患って無理ができないし、父とて近年は農作業からリタイヤしていたから、二人で妻一人分ということもできそうにない。結局、親戚のおかあさん二人の応援をもらって長雨で圃場条件の悪い中での稲刈りを10月中旬に終了することができました。
 妻の入院で大変な思いもしたけれど、とても貴重な体験もしたなあと思います。ここ数年住宅の新築やら子供たちの進学、ぐらついた農業経営を立て直すために二人で必死に走り続けてきたのかもしれません。走る速度をゆるめて道端に咲いているタンポポや野菊の花に気付く余裕を持ちなさいという啓示だったのだと気づかされました。

スケッチ

菅原すみ 三川町 1998.11.24

 11月16日、中旬だというのに降霜もなく暖かい晩秋をぬくぬくと楽しんでいた。このまま雪のない暖冬かなと予想していた矢先、天気予報はあさってから真冬並の寒気団が入り強い冬型になるとの事、慌てて畑に向かい当分食べるだけの野菜をとりこみ冬支度に取りかかった。
 しだいに強風が吹き荒れシベリアから越冬の為に飛来してきている白鳥が最上川河口に帰る夕方頃、台風並の強い風に遭い墜落し20羽ほどが負傷し6羽が死んでしまった。18日、初雪が降りその後も降り続け大雪となった。
 19日の朝、4時頃修学旅行で大阪に行く高校2年生の息子を駅まで送る為、外に出ると柿の木が倒れビニ-ルハウスの1棟が倒壊してしまっていた。
 水分を含んだ湿った重い雪が降りつもった為で、予想をはるかにこえて積雪量は35㎝程、除雪車が出動して来た。
11月に除雪車が走るのを見るのは初めてのこと、雪には慣れている私達も唖然としてしまった。果樹農家のぶどう棚の倒壊や、きのこ栽培用のビニ-ルハウスの倒壊が相次ぎ交通も一日中マヒした。
 息子の乗るはずだった電車も線路への倒木のため運休、何とかバスなどを乗り継ぎ大阪の宿泊先に着いたのは夜の10時を過ぎていたとのこと、日本海側は大変な一日だった。
 今年の庄内平野は台風の被害も他の地域に比べればたいした事がなくヤレヤレと思っていたのに2日ほどで20度近くの温度差である。めまぐるしい季節の変化に身体がついていくのがやっとで毎日の雪かきをぼやきながら、23日勤労感謝の日、農家では「田の神上げ」の日を迎えた。
 おもちをついて供え今年一年の作物の収穫に感謝し来春の「田の神下ろし」まで田んぼの神様に休んで頂く。農家にとっての新年は、稲の種を蒔く4月になる。新学期が4月からなのは稲作文化からで、欧米は、麦を播く9月が新学期なのだという説を何かの本で読んだことがある。
 畑を耕す春、夏、秋、雪国の冬は生活を営んでいくのは大変だが心楽しい季節である。種を蒔く春が巡ってくるまで、心を耕やし暮らしを耕やすひとときの休息期でもある。
 雪がとけたら、畑の片づけビニ-ルハウスの修理、雪囲いなどをして冬への備えを万全にしよう。来年は夫と私のえとのうさぎ年、おだやかな年でありますように。

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