「食わずしては生きられない」
生きると言うことは食うことだ。食わずには何も始まらない。その”食う”為の作ることを農民は放棄し始めた。長年のストレスがここに来て出始めている。転作の強化や米の暴落をはじめとする様々な制度の歪みが一気に噴出し、ガンバレ、ガンバレと言われても頑張りようがなくなって来ている。
農産物を生産するという事は命を育むことだ。その命が軽んじられている。今こそ”食べる”事の意義をもう一度みんなで考えて見る必要があるのではないか。人間は食わずしては生きられないのだから。
今のままだと現場は、村はあと10年、いや5年持つかどうか?決してオ-バ-な事を言っているのではない。日本の中堅農家の平均年齢は既に65才を越えている。米作り農家も今やボランティアにされてしまった。当然、後継者なんて育つはずもない。
ところが、ところがである。ここに”異大”なる農民集団がある。決して”偉大”ではない。その名を庄内協同ファ-ムと言う。みんなが振り向かなくなっている米作りに、農業に必死で取り組んでいる。まさに田舎の天然記念物である。除草剤1回だけ使用して米作りをしてみようとか、全然使わないでカモや鯉や微生物に働かせて高みの見物でいこうとか?しかし、どっこい愚か者の考えることはそんなにうまく行くはずもなく最後に登場するのは昔懐かしい”除草機”と言う事になる。村の連中もその光景を珍しがって寄って来る者や、危険を察知して遠巻に眺めている者など様々だ。
春はドロオイ虫で真っ白になったり、夏は夏でヒエという雑草が一面に茂り、その”異大”さを存分に発揮することになる。懲りない面々はそれでもやけに明るく、いや開き直ってか、ますます熱が入ってくる。
思いと現実のギャップに、もがき苦しみながらも、それでも必死に農業に頑張っている。そんな仲間を私はいつも自慢に思うし誇りに思っている。みんながいるから頑張れる。少々おつむの辺りが寂しくなっても、おなかが出っ張っても、細かい字が見えにくくなっても気にしない。食べてくれる人がいる限り百姓で、頑張って行こう。
それにしても夏は暑い。ビ-ルだ、ビ-ルだ。ビ-ルには枝豆だ!そうです。
協同ファ-ムの枝豆部会は、これからが一番忙しい季節に入ります。
何! だだちゃ豆をしらないだと!
食ったことがないだと!
まずは電話かファックスで、すぐにお問い合わせを。あなたの御一報が村を救うかも知れませんヨ?
田舎のおっさん達は暑く燃えている。
(熱の入る冨樫です。)
スケッチ
羽黒山の花祭り
7月15日に、全国的に知られている出羽三山の一つ霊峰羽黒山で「出羽三山神社の花祭り」がありました。
私の住む鶴岡市平京田は、江戸時代以前(どのくらい昔かは集落の最長老もわからない)に出羽三山神社が火事になり、その煙が集落の薬師神社のほこらから出てきたという言い伝えから、かなり昔から氏子になっていて神殿に奉られてある三基のみこしの一基の担ぎ手として毎年参加します。
義父の若い頃は、前日の午後11時の鐘の音と共に集会所に集まり、みんなで歩いていったということでした。何の娯楽もなかったその当時は、神事であり楽しみの一つでもあったようです。 この日は、庄内一円をはじめ県内外から訪れた祭り客が「稲の花」を奪い合います。
稲の豊作を願う花祭りは、松例祭、八朔祭りとともに出羽三山神社の三大祭りの一つで、稲の花をあしらった依代(よりしろ)の「花梵天」の先に飾られた造花の「稲の花」を家に飾ると豊作になると言われています。
夏の日差しが照りつける中、午後1時すぎ、黄、赤、白の三本の花梵天が月山、羽黒山、湯殿山の三基のみこしとともに合祭殿前の鏡池周辺を練り始めると、祭りは最高潮。
境内を取り囲んだ祭り客は、高さ約5㍍の花梵天が傾くたびに、われ先にと花を奪い合い池の周りを半周しないうちに三本ともほとんど丸裸にされていました。この祭りが終わるとここ庄内地方にも本格的な夏の到来です。今年の稲の豊作を願って羽黒山を後にしました。