庄内協同ファームだより

トップページ > 庄内協同ファームだより > 庄内協同ファ-ムだより 発行 No.102 2004年4月

今回は、余目町の工藤広幸さんを紹介します。(この文書は、組合員の相互理解と云うことで不定期に発行している内部広報紙に掲載するため、冨樫俊一と高橋紀子が、工藤広幸さん宅を訪問し、取材形式でその人が本格的に農業を営むきっかけとなった経緯や今後についての夢、豊富を語っていただいた記事内容に加筆変更をしたものです)

生産者の紹介

工藤さんは、田んぼ11ha、大豆5ha,それから花、冬期間はシイタケを栽培している農家です。専業農家になったのは今からほんの6年前からで、それ以前は車の整備士として20年以上も企業に勤めていた会社員だったとの事です。
高校は農家の長男だから、そのまま地元の庄内農業高校に入り、同じく庄内協同ファームの生産者として活躍している佐藤清夫さん、五十嵐良一さんとは同級生であるそうです。
俺は、彼らみたいに農業が好きではなく、やりたくは無かったが卒業して親父に「一年だげオレどごあそばせでくれ」と頼んで、地元の庄内太陽自動車学校に一年間通い整備士の免許を取りました。
それからは、農家を兼業しながら酒田で3年間整備士の仕事をし、更に地元余目町の自動車学校に整備士として勤め、その後に農協の整備士として20年間勤めました。JA全農の整備士コンテストでは最優秀賞に輝き、全国トップの整備士として評価された経歴をもつ、いわゆる整備のプロの方です。最近も修理に出したが直らなかった娘さんの愛車(ビートル)を本人が直したというエピソードがあります。

45歳の決断

工藤さんが専業農家になったきっかけは、兼業農家をしながら集落の実行組合長をしていた頃に、仕事でいろいろなお家に自動車を取りに行くと、花を作っている農家が一番生き生きした顔をしていて自分でもどうかと考えていた時に、集落の生産者から花をやってみないかと誘われたことによります。

 その時にどうするか考えたことは、もう少し時間が経てば飛び出す勇気が無くなってしまう。やるとすれば、今しかないと思ったそうです。45歳の決断でした。
 工藤さんより一足先に仕事を辞めていた奥さんと夫婦二人で花を始める為に、480坪のハウスを建てました。ちょうどその年、余目に種苗センターが出来たのもタイミングが良かったと今は思っているそうです。

そして後継者が

 今年の春から、東京で働いていた息子さんが帰ってきて就農する事になりました。
県の農業研修制度を利用して、隣接三川町の農家にシイタケの研修を6ヶ月~1年間程した後にきのこ部門を任せようと計画しているそうです。その為に、シイタケ用のハウスも建てる予定です。
 息子さんは東京農大卒ですが、独学でコンピューターの勉強をし、パソコンのシステムを作る会社に2年間就職し、『オヤジ、オレ農家しねぞ』って言われて、『ああ、んだが』と云っていたが・・・・。
 コンピューター業界は毎日が残業が続き終電で帰る日々で、仕事を続けられないと感じたようだとの話しで、一度は違う仕事に打ち込み、そして農業の世界に返ってきました。
 同じ道程を辿ってきた父子だからこそ(農業をしないと言った時も)(帰ってくる時も)その気持ちが、理解できたのかもしれません。
 本人の夢は農業法人にする事だそうです、息子さんも就農し、花とシイタケのハウスも増え、その夢に一歩一歩確実に近づいている。そんな印象を受けました。



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