庄内協同ファームだより

トップページ > 庄内協同ファームだより > 庄内協同ファ-ムだより 発行 No.96 2003年7月

稲が・・・ない

鶴岡市 五十嵐 良一 7月14日

 就農したての若い頃、米作りの事で同じ様な夢を幾度となく見るものでした。

村の東の通学路沿いの圃場が泥水の冠水で「黄化萎縮」という病気で、稲が全面出穂せず、落ち込む夢でした。はっとして目がさめ、夢だった事にほっと安心した記憶です。

 農を業として30数年、それに近い経験はありました。育苗の全面失敗、播き直し、全圃場の倒伏、イモチ発生の減収、冷害により傾かない穂。それでも植えた稲が全面なくなるという様な事はありませんでした。まかぬ種は生えないけれども、植えた稲は、減収する場合はあっても秋には、米として収穫できました。

 しかし、5月26日6時半頃の地震の翌朝、紙マルチ田植機で移植した圃場に水回りに行った時、愕然としました。5月11日、12日植えたはずの稲が・・・。120aの私の圃場が・・・。やっと活着し、少し黄ばんだ苗から緑色を増しやっと稲と呼べる私の稲が・・・。緑が・・・。所々にしか見えなくなっていました。地震の被害で、そうなったと理解できたのは、翌日になってからでした。

 私達、庄内協同ファームでは、有機認証による有機栽培米の取り組みをし3年目を迎えました。昨年仲間と共同で紙マルチ田植機を購入しました。1.9m程度の黒い紙を敷きながら田植えをし、田面をすべて紙で覆い除草効果を狙った栽培方法です。

 有機栽培においての育苗方法は、種子の病害発生は木酢や温湯で、又、有機肥料の障害も、水を貯めるプール育苗で、何とか、失敗を重ねながらも、確かめながらやってきました。病害虫については、肥培技術や、天然由来の資材の利用で、増収は望めないもののある程度まで対応してきました。

 しかし、除草については、面積を増し、仲間を増やす決定的な方法はかなり難しい事でした。

 そこで一年の試験的な紙マルチ田植機による、有機栽培に取り組み仲間と話し合いを重ねての導入でした。

 昨年7ha余り、今年新たにコシヒカリの作付けも行い10ha余りに増えました。

 地域でのつながりも新たに取り組み、有機栽培米を広げようとした矢先の出来事でした。

 自分の水管理の失敗と前夜の風で、紙マルチが浮き、稲が紙マルチの下敷きになったものと思い、前日の少し多目の潅水を悔み、そしてこの新しい紙マルチ田植機の栽培技術に対応出来なかった自分が情なく、家族にも、一日中話す事が出来ませんでした。

 枝豆の移植作業、メロンの摘芯作業と忙しさもピークの時期でした。

 再度、代掻し植え換えも考えました。しかし時期は遅すぎるし、補植しかないと覚悟し(コシヒカリ、でわのもち)の、有機の苗の都合をしようと仲間に電話をしました。

 被害は私程ではなくても、13名のうち4名が同じ様に紙マルチの下に稲が埋没し苦慮している事がわかりました。

 そして、その原因が潅水や風の影響ではなく地震によるものだという事が、、、、、。

 同じ被害の菅原孝明さんは、紙マルチの下の稲は、活着しているから、まだ大丈夫と下から苗を引き出しているという事でした。

 翌日5月28日、息子と2人で補植苗を少しだけ背負い、同じ様に作業を始めました。

 しかし、腰の痛さに落担も手伝い、遅々としてはかどらず、どうしたものかと思いあぐねている所に、ファームの仲間で一番若手の佐藤和則君と代表の佐藤清夫さん夫妻が応援にかけつけてくれました。

 「一町歩でこの作業はムリだ。紙マルチをはぐしかない。除草の対応は、後で考えよう。とにかく活着した稲だから、稲の力を信じよう。」

 その助言で1ha余りの紙マルチをはぎ、土の中に埋める決断をしました。5月29日昼まで、仲間に助けられながら、妻と息子の協力も得て、何とか1.2haの圃場に「稲がある」と見られる様な圃場に復活しました。

 「一生のうちいろんな事があるもんだ。」「百姓は、毎年1年生だもんな」そう思いながら、3度除草機を押しました。株間に繁茂したコナギに除草が追いつかず、今度は雑草に埋没しそうな圃場で、7月3日、今年初めてトンボを見ました。7月9日、せみの声がきこえました。



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