庄内協同ファームだより

トップページ > 庄内協同ファームだより > 庄内協同ファ-ムだより 1998.1月発行 No.38

自然農業に新年の夢託して

志藤正一 藤島町 1998.1.20

 正月気分も抜けきらない1月11日、菜の花温泉でんでんを会場に、自然農業の山形県交流会が開催された。県内を始め遠く秋田、宮城からの参加者を加え20名ほどの人達が、去年の成果やうまくいかなかった苦労話に花を咲かせた。我が庄内協同ファ-ムからも6名が参加した。

 「自然農業」は韓国の自然農業協会、趙漢珪先生が5年ほど前から日本で普及されている農業のやり方で、”自然の摂理に基き、自然の力を活かす”事を基本に作物や家畜を育てる。竹林や、広葉樹林に住む土着の微生物を採取、拡大しての土作りから始まり、購入した肥料や農薬には出来るだけ頼らず身近にあるものを利用して自分で作る。微生物の力を借りて作った植物のエキス(天恵緑汁、漢方栄養剤、玄米酢等)の散布で活力のある作物を育てる。またオガコや、地元の土、塩などを土着菌で発酵させた豚舎での自然養豚は臭いも殆どなく、糞も尿も全く豚舎の外に出さない。1年をとうして鶏舎の隅々にまで日が当たる設計の自然鶏舎等ユニ-クで魅力に富んだ農業だ。又、この自然農業の勉強をする基本講習会も変わっている。5泊6日の講習中は1日2回切りの食事を挟んで、朝9時から夜11時前後まで休みなし。

 地元韓国でも日本でも、自然農業ですばらしい作物や成果を上げている方がいる反面、私を含めてなかなか思うようにいかずに悩んでいる人も多い。何故かと言えば、自然農業は一般の農法と違いマニアルがない。あるのは土着菌の採取の仕方や天恵緑汁の作り方、豚舎や鶏舎の設計ぐらいのものだ。

 夜、酒が入っての交流会では「自然農業が成功するまで俺の体力がもつだろうか」とか「40aの田圃のヒエ取りにひと夏かかったよ」等のぼやきがあちこちから聞こえてくる。しかし、不思議なことに「もうやめようか」という声は聞こえてこない。失敗談を明るく笑い飛ばして「今年はどうしたらうまくイグベ」という話になってしまうのは、作物が人間の思っているようになるものという考え離れ、作物の横に立って、どう育とうとしているのかをじっくりと観察する気楽さというか楽しさを共有しているからなのだろう。

 「自然農業」では作物が欲しいときに欲しい養分を吸える土作りと、それぞれの作物の栄養周期を知り、その年の天候に合わせて作物が今何をしてほしいかを見極めることが必要だ。大変ではあるがここがたまらない魅力でもある。
 地域の交流はやがて地域に適応した新しいマニアルを生む事になると思う。私が今年実施した稲の半不耕起2回代掻による、無農薬栽培は30aでほぼ思いどうりの成果をだした。(もう一枚の田圃は失敗に終わったが!!)解っていることとはいえ、近代農法から、農薬や化学肥料を引き揚げた作物は惨めである。
 減農薬栽培を志したものの、虫食いだらけの野菜やイモチで一面赤くなった田圃を眺める農家はもっと惨めである。農薬に頼らない栽培のためには、種子の確保から始まるそれなりの栽培の体系や技術を農家自身の手によって獲得しなければならない。

「自然農業」がその道であることを信じ、「今年もガンバンベ」と7月の再会を約束して交流会は終わった。

農業日誌 「干し大根の収穫作業」

五十嵐良一 鶴岡市 1.24

 「今年の は、割合長くて太いし、干し大根束ねるのだば丁度いいんでないか?」「んだの!はえぬきの藁は短くて硬いし、仕事しにくいから、ひとめぼれの藁にしたなや。」 「ん-。手ざわりのいい藁だの!」 干し大根を束ねる藁は9月末頃とります。コンバインで刈ったものを切らずに落とし、束ねてまとめ乾燥させます。それを、すぐって(藁の葉の部分をそそぎ落とし、茎の部分にする事)まとめておきます。田ですぐった時の手が、若い頃の藁細工仕事を思い出させたのか、そんな父との会話の中でも一年の米作りを思いかえさせられます。米の収穫調整出荷も終え、月山や鳥海山の白さが気になり、風も北西から強く冷たく感じると、いぶしたくあん用の干し大根の収穫を始めます。昨年は、9月中下旬に雨が続き少し細目だったが、「あんまり太いより、250gパックには干して漬け込んでもこの位の太さがベストだ!」そういう妻だったが、「もう少し太くなるんじゃないか」と天気に期待をかけて収穫最盛期に入ったのは、彼女がヨ-ロッパ研修旅行に出かけた11月のなかばだった。

 5㎞ほどある畑から軽トラに毎日1台位、7日程で取り終え本格的ないぶしや漬け込みに入ったのは12月の声をきく頃でした。 ひとりでの作業は、はかどらず、近年急激に減った大根の作付けは周囲にも人をなくし、私をあきさせます。
20aの干し大根を1本づつ引き抜き下葉を少し取り除き、太さ、長さを揃えて並べて後、2本づつ藁で束ねて洗い、家に持ち帰り四段にしたはざにかけ、強い冷たい風を待ちます。
 大根を束ねる藁は両手で一握り位の束にして腰にゆわえ、2~4本位で葉の部分をピシッと強く締めつけ、干しても落ちない様にします。そんなひとめぼれのワラを見ながら、あきてきた体で米作りの1年を思いかえしたりします。
このワラをとったあそこの田は、砂気が強いから近所のGさんからもらったモミガラ発酵ケイフンをやった所で、肥効が遅くなり、その分少し丈があり、前の年の短かすぎた、はえぬきより、収量もあったし、藁もいい。病気も少なく、きれいにすぐったしなやかな藁は2、3本で手際良く作業がはかどる。
 ササニシキだと、そこそこ長さはあるのだが、細くて病気(イモチ)の多い年は、藁の節が黒くなりポリポリして力を入れて束ねると、5~6本でもちぎれて面倒でやりきれない。
でわのもちの藁だと、太いには太いのだが、少しもろさがありかさばった感触で仕事がやりづらい。
雪の降る前の砂丘の畑で、大根の収穫を終えるまでそんな事を考えながら、稲の姿を思いかえし、藁の硬さとしなやかさ、太さや長さや節の位置、その手ざわりを五感の中にしまいこみ、春の来るのを待ちます。

スケッチ

菅原すみ   三川町  1998. 1.16

ファ-ムの女性メンバ-8名がドイツ、イタリアの農業研修旅行に行った時のスケッチ
1997年11月19日~28日まで

       
ドイツキッペンハウゼン村・フランク家にて

 遠足の日に興奮して眠れない子供のように1時間おき位に目がさめた。自分の為だけに1日中、時間を費やせると思うだけで嬉しい。7時だというのに外はまだ暗く、村の朝は静かだった。Mrs.フランクの用意してくれたコ-ヒ-の香りで眠気も引き、暖かい朝食をゆっくり頂いた。娘さんのシビレさん(25才)は大学卒業後、近くの UcLAのような所で働いている。ドイツ語のわからない私達は英語を話すシビレさんを介して何とか話すことが出来た。

 息子さんは農学部の大学生、3年後、後を継ぐ為に帰ってくる予定だと言う。経営内容は、りんご、ぶどう、さくらんぼなど果樹6ha、9月~10月の収穫期にはポ-ランド人を雇い入れ、ワイン、シュナップス(りんごの焼酎)を作り販売している。地下室に保存してあるのを試飲させて貰った。収入のほとんどは農業部門からでベッド数12ほどの民宿収入は、ほんの副業程度で、以前は酪農家だったが、乳価の値下がり、生産調整があり、村の復興をかけたグリ-ンツ-リズム政策の助成金により民宿に切り換えたことによって、冬季間は、暖かい所に休暇に出かける時間的ゆとりが持てるようになった。
8時近く、小学生が集団で登校して行った。授業は昼で終わり、昼食は家庭で食べ、スポ-ツジムに行く子、塾に行く子、自宅にいる子とそれぞれの選択肢で午後を過ごす。日本のように画一化されてはいないが、小学5年という早い時期に将来へ進む道を判断するのだという。大学、実科学校(看護婦、幼稚園の先生等)、技術職(マイスタ-資格)を得る道とに別れて行く。教育費は国が負担し、親の負担はほとんどない。

 9時、村長さんの案内で村の散策に出かける。木造りの柱に白壁が映えて統一された村の景観に完成された大人の国を感じた。落ち着いた村の空気が急に騒がしくなった。派手な服装の若い亡命者数人が家から出て来て私達に声をかけた。「気をつけるように」村長さんは静かに言い、ドイツ連邦政府が国策で受け入れている亡命者達が、この村にも配され、労働が許可されていない彼らの行動が村の風紀を乱し、問題になっているという。

 ドイツの失業率は17~18%、亡命者まで就労の補償は出来ないのだと言う。樺太の緯度にある南ドイツ、バイエルン地方、凍えるような外から夕方帰って来ると薪が原料のセントラルヒ-ティングで暖かかった。「人間は自然を必要とするが、自然は人間を必要としない」というドイツの人達らしく徹底して自然を大切にし、ゴミを出さない暮らしをしていた。自炊用に持って行った、おかゆのレトルト袋、カップラ-メン、はし….。私達のゴミをフランクさんに詫びながら、日本の食べもの、農業の姿などを話した。もう明日は帰る日、シュナップスで暖まりベッドに入る。

 日本に向かう機上から眺めた初冬のドイツ….「ゆううつな季節」と通訳の酒枝さんが言っていたように、もやがたちこめ、灰色の重たい空に、モミの木が天をつくように枝を広げている。ビ-トルズの「ノルウエ-の森」のメロディが聞こえてくるようだ。

 りんごの花咲く頃か実をつける季節に、きっとまた訪ねてこよう。こつこつと時間とお金を蓄え、自分達なりの暮らしを夫と共に作りあげる。その日まで、さようならヨ-ロッパ。



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