庄内協同ファームだより

トップページ > 庄内協同ファームだより > 庄内協同ファ-ムだより 2002年2.3月 発行 No.83

先月2月16日土曜日、庄内協同ファームでは2002年生産者集会を行いました。アファスシステムを導入してから始まったこの集会は、今回で2回目を迎えました。
今回のファーム便りは、生産者集会の模様と、その中で行われた講演会の話を、皆様にお伝えしたいと思います。

~2002年生産者集会~

集会には、生産者約30名参加しました。最初に、環境管理責任者である齋藤健一より2001年度アファスシステムの反省と課題が伝えられました。はじめに、BSE(狂牛病)、雪印食品問題、食品表示への不信感、安全性への不安等の消費者が、気にかけている食に対する不安にふれ、そうした不安を少しでも取り除く方法は、情報の公開が必要だという事を、生産者と再確認をしました。
次に、アファスシステムの目的・目標の達成度の報告をしました。目的・目標は、今年度の目的・目標は、ほぼ達成しており、引き続き継続をしていく事を確認しました。
まとめとして、消費者に情報公開を迅速にする為、作業日誌の記帳を早めにし情報集約が必要である。それと同時に記帳により農業経営の改善の為にも活用して欲しいという事を伝え、反省と報告を終えました。
続いて生産者を代表し、2名の生産者から2001年度の実践報告がされ、休憩を挟み、中島紀一氏より講演して頂iきました。

情勢激変下の戦略論
「崩壊の時代」に生きる普遍的庶民像

茨城大学農学部教授  中島 紀一

激変する時代

結論から言ってしまえば、2002年の状況は数百年単位の激動が始まってしまったと言えるだろう。ニューヨークの同時多発テロによって、時代の方向性は極めて鮮明になってしまった。マイカルの倒産、ダイエーの事実上の倒産、kマートの倒産、ユニクロ現象の一般化とユニクロの自滅といったことが毎日のように発生する。景気は循環的に動くと言われてきたが、現在の景気動向は循環的景気動向ではなく、構造的崩壊であり、恐慌的状況と言えるのではないか。

1929年の世界大恐慌と同じような状況になっている。1930年代の大恐慌は経済危機を戦争で切り抜けたが、現代で世界戦争が始まれば地球全体の崩壊が起きてしまう。これからは、地域紛争が増大し、途上国のいくつかが潰れる。さらに先進国のいくつかも潰れなければ解決がつかない状況に向かっている。 こうした激変する時代状況の中で、日本は本格的な空洞化が始まり、消費だけがある国家となってしまった。タンス貯金が無くなれば、日本は終わりとなる。「構造改革」は混乱を拡大深化し、成長理念下での崩壊は悲惨な共食い競合を創り出してしまう。しかも、こうした時代の流れは止まらず、政策的に止めることが出来ない時代に入ってしまった。

こうした時代状況の中で、政策・政治・運動の意味の転換が必要なのではないか。雪印食品の問題では、言葉=理性の信頼が崩壊されてしまったし、日本の生協と農民の運動がここ数十年で築き上げてきた「安全な食品は日本の大地から」というスローガンは完全に解体してしまい、こうした運動が何であったのかが問われる事態になってしまった。「安全性と環境保全のために」は「生産、加工を海外に移転した方が良い」とする発言がされ始めている。こうした経済、農業の状況をみると、日本の農家は基本的に崩壊状況にあると言えるのではないか。

崩壊的現実を厳しく見つめることから始まる21世紀の農業

こうした経済の崩壊状況によって、消費者の輸入品への拒絶感はほぼ壊れてしまった。消費者は、安全性には目もくれず、価格の高い物は買わないという消費動向になっている。従来は統一の卸売り価格で農産物価格が決まってきたが、野菜の価格に見られるように、中国野菜によって価格が決まる時代の到来になってしまった。輸入農産物は契約価格で決まり、過剰流通時の価格はせりではなくすべて入札で決まり、価格はすべて下がっていく。

こうして、農産物の雪崩的輸入は開始され、農産物の取引の基本は、輸入品の商慣行に変わっていく。国が育成しようとしてきた産業型農業は、ここにきて深刻な行き詰まりをみせている。しかしながら、産業型農業が行き詰まる一方で、直売所、女性起業などの生活型農業、地域社会型農業はすこぶる元気だ。こうした農業の担い手の中心は女性と高齢者だ。そこで、崩壊の時代を庶民はどのように生きるのかが問われてくる。
芭蕉の句で、「夏草や、強者どもが夢の跡」という句は、庶民の視点からの句ではない。国が破れても、豊かな地域と豊かな暮らしと豊かな農業と自然は残るのだ。

環境、生活、地域重視の農業戦略 ~より農業らしく、田舎らしく~

新しい時代の理念は、「あまりお金を掛けずに豊かに暮らせる地域社会」と言えるのではないか。農業の世界は、「お金がなくても暮らしは出来る」社会ではなかったか。お金の無い暮らしは貧しいのだろうか。お金が無くても豊かな暮らしは可能なのではないかという価値観の変換が必要なのではないだろうか。都市においても、有償ボランティアや地域貨幣への取り組みが始まったり、労働時間を減らし、労賃は下がるが首切りを回避し、労働を共有するワークシェアリングに取り組む企業が増えてきている。

農業と農村は、もともとお金が無くても暮らせる世界だった。都市は労働のすべてを賃金に換えて買い食いをして暮らす世界だが、農家は暮らしに必要なものは自分達で創って暮らしてきたのではなかったか。そうした世界、暮らしの拠点として庄内協同ファームを創造してゆくことを期待したい。お互い、お金から距離を置いた世界を構築しよう。日本農業の論理的構造をそうした方向に変革していこう。

大量生産=大量消費からの脱却と良質少量生産=良質少量消費への移行という方向が崩壊的現実後の農業のイメージとなるのではないか。環境保全型農業から環境創造型農業へ。産業型農業から地域創造型農業へ。買い食い依存型生活様式から自給自立型生活様式へ、が崩壊の時代に生きる普遍的庶民像であることを提案し、私の講演を終わります。

要約者 富樫英治

スケッチ

藤島町 志藤知子

今年の庄内は例年になく雪どけが早く、私の住んでいる里山にも、しっかりとつぼみをだいたふきのとうが芽を出しています。
 この季節、私の住む村の主な仕事は、柿の剪定作業です。雪が消えたばかりの地肌は、どこかでこぼこしていて、とても美しいとは言えないのですが、春の気配を感じた草や、地中の生き物たちが、ムクムクと動き出しそうな気がします。そこら中に春の息吹が漂う仕事始めです。
 顔を出したばかりの湿った大地の上に立ち、柿の木を見上げながら、仕事をしているうちに、体もだんだんと冬の眠りから醒めて、春をまとっていきます。やわらかな日差しの中にも、時折冬の名残の膚寒さが吹き抜ける木立の中で、若葉の頃を想定しながらの作業は、春の繁忙期までの肩ならしという所でしょうか。

 1年の始まりのこの季節にあって、食べ物の生産に携わる私の頭の中によぎるのは、今多くの人達が感じている食に対する不安です。狂牛病問題はもとより、食べ物を選ぶ手がかりになるはずの食品表示が、実は信ずるに足りないものだったという事実は、大きな絶望感を以って人々の心から“信頼”の二文字を奪いました。あってはならないことです。一部の不心得な人達の行為によって、食品や農畜産物全体に、区別なく、不信感が及んでしまったことは、とても残念なことです。
 そんな中にあって、私達生産者に出来る事、それは、農産物の履歴をはっきりさせておくことです。自分のどの圃場で、いつ、どんな作業を、どんな資材や、器具機械を使って行ったかを細かく記録に残しておくことです。

 幸い私達は、認証を取る為に三年前からこの記録に取り組み、慣れない記帳もようやく習慣として定着しつつあります。作目毎に、栽培計画から実績、保管や出荷に至るまで、検索できるしくみになっています。記帳にさく時間はかなりのものになっていますが、安全を提供する為の作業は、生産者としての責務という考えに立ち、各々が頑張っています。
 安心、安全にこだわっての食べ物作りに励むに日々の努力がまっすぐに食べる人に届くよう、あたり前の事があたり前に行なわれる世の中であるように、と願わずにはいられません。
 巡り来る春も迎える度に、体の底から湧きあがってくる百姓としてのエネルギーが、自然とうまくかみ合って、今年もまた、出来秋を迎えることが出来ますようにと祈るばかりです。



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